【投稿】スペシャルドラマ『坂の上の雲』に見る
公共放送のプロパガンダ機関化への変質
福井 杉本達也
1 なぜ『坂の上の雲』か
昨年11月29日からNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』が5回にわたって放送された。さらに今後2010年・2011年の3年にかけて放送されるという。本来は『天地人』のような大河ドラマを年末まで放送するところを2~3回少なくし、割り込んで企画したのである。そもそも、「司馬遼太郎には連載中から『本作を映像化させてほしい』とのオファーが殺到していたという。しかし『戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない』との理由で司馬は許可をしなかった。」(Wikipedia)といわれる。それを、今回遺族の許可を得て映像化し、大々的な事前キャンペーンを張ったNHKの意図はどこにあるのか。
『坂の上の雲』の映像化を、中村政則一橋大名誉教授は『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店2009.11.13)で詳しく批判している。「どこの国でも政治意識の基礎には歴史意識がある。ときの支配者が国民の政治意識を自己の都合のいいように変えようとするときには、かならず歴史意識に働きかける。明治時代の南北朝正閏論争、昭和初期の津田左右吉言論弾圧事件、戦後では家永歴史教科書に対する検定強化などは、いずれも国民の歴史意識を変え、政治意識を変えて、支配者に都合のいい政治イデオロギーの再編をはかったものである。まさしく政治意識は歴史意識と不可分の関係にあるのである。今回の『坂の上の雲』のテレビ放映化も、国民の歴史意識のあり方に大きな影響を与える可能性がある。」(中村:あとがき)と指摘する。
2 日露戦争の性格
日経は1月3日「外向いて行動する日本にこそ価値あり」と題する奇妙な社説を掲載した。社説の最後で、「鳩山政権による日米同盟の空洞化は、1921年の日英同盟廃棄に始まり、敗戦に至る25年の歴史を連想させる」と述べている。ようするに、アングロサクソン金融資本に従順に従っておれば日本の利益は確保されるという考えであるが、岡崎久彦氏(元外務省情報調査局長)の「歴史の観点で日米同盟を見るというのは、冷戦終結後の国際情勢という短期的な視点ではない。島国だった日本が幕末に開国して以来、七つの海を制覇していたアングロ・アメリカン世界と仲良くしていれば、国民の安全と繁栄が約束されるということだ。」(産経:「日米同盟の更なる強化を」2005.11.17)という主張とぴったりと重なるものである。
その日英同盟は日露戦争に先立つ2年前の1902年に締結され。そもそも、司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いた日露戦争とはどのような戦争であったのか。「ロシアはすでに満州を奪ってしまっており、その武力を背景にした開発企業は満州国境から北鮮をおさえている。もしロシア側のいうように朝鮮半島を北と南の二つに分割してしまうとなれば…三十九度線上で防衛戦を演じねばならないであろう。それをやらねば日本列島そのものまでゆくゆくはロシアの南下運動のエネルギーに食われてしまい、すくなくとも対馬と北海道はロシアの有になってしまうにちがいない。」「日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない。」(『坂の上の雲』三)と『祖国防衛戦争』を強調するが、そこには、戦争の舞台となった朝鮮・中国(満州)の人民の姿は皆無である。
当時、ロシアの南下政策は、中国、チベット、アフガニスタン、イラン、トルコ、バルカンで、インドを取り囲む形でイギリスと対立した。しかし、イギリスは南アフリカのボーア戦争で苦戦を強いられ、大量の人員・物資を裂かざるを得ない状況になったことが影響し、義和団事件以降、極東においてロシアに自力で対抗する余裕がなくなったため、1902年1月に孤立政策(栄光ある孤立)を捨てて日英同盟を締結した。日本を番犬役に使い大英帝国の権益を守ろうとした、アングロサクソン対ロシアの帝国主義間代理戦争だったのである。
3 戦争の帰結―2010年は日韓併合100周年
日露戦争の結果(過程で)、最終的に朝鮮は日本に植民地化されることとなる。明治維新後も李氏朝鮮は、清朝の冊封体制の中にあったが、日本は1875年の江華島事件を機に李氏朝鮮に日朝修好条規を押しつけ、日清戦争後の1895年3月、清国との間に下関条約を締結し、朝鮮半島における清国の影響力を排除した。日露戦争中の1905年11月には、伊藤博文と長谷川好道韓国駐在軍司令官との連携による軍事的威嚇により、第二次日韓協約を大韓帝国に締結させ、12月には韓国統監府を設置して外交権を支配下に置いた。最終的に1910年8月22日に日韓併合条約を締約し韓国を併合した(Wikipedia)。韓国では「国権被奪」あるいは「強占」と記し、政府も国民も「日韓併合条約」は武力を背景とした脅迫によって強いられたものであるとして条約の無効を主張している(中村政則 2009)。この100周年の時期に、日露戦争を日本の『防衛戦争』として描くTVドラマを放映する感覚には恐ろしさを禁じ得ない。
4 戦費の調達先はアングロサクソン金融資本から
日露戦争の戦費は日清戦争の7.6倍、兵員数で4.5倍(110万人)戦死者数では42.4倍であった。日清戦争から日露戦争までのGNPは1.2倍しか増えていない。国家予算の8倍もの戦費がつぎ込まれた。戦費は増税(3億円)と外国債7億円及び内国債6億円で賄われた。1904年12月、日本銀行副総裁だった高橋是清は外債調達のためロンドンに向かった。最初の1000万ポンドの外債発行は1905年5月であり泥縄である。500万ポンドはイギリスの銀行団、残りの500万ポンドはニューヨークに拠点を置く金融業クーン・レープ商会の総支配人ジェイコブ・シフが引き受けた。
銀行団の最初の500万ポンドの発行条件は年利6%、額面100ポンドに対して発行価格は93ポンドで7年返済だった。平均利回り8%程度である。2回目は1200万ポンド。3回目3000万ポンド、4回目3000万ポンド。計8200万ポンドが調達された。2回目以降はクーン・レープ商会が引き受けの中心となった。
クーン・レープ商会は19世紀末から20世紀にかけてシフの下でJ・P・モルガンの最大のライバルとして金融界に君臨した名門である。1997年にリーマン・ブラザーズに統合された。シフは天皇から直ちに、勲二等瑞宝章を授与された。その後、戦勝祝いにシフは、招かれ、陪食前に明治天皇から旭日大綬章を叙勲された(田畑則重『日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記』 新潮新書2005)シフはフランクフルトのゲットーでロスチャイルド家と共に住んでいた歴史をもつ。日本公債をロンドンで販売した際、当時世界最大の石油産出量を誇っていたカスピ海のバクー油田の利権を持つロスチャイルド家は購入を拒否、その代わりロスチャイルド家と行動を共にするシフを紹介され、戦費を調達できたのである(本山美彦『金融危機後の世界経済を見通すための経済学』2009)。ようするにアングロサクソン金融資本は日本とロシアに強固な足場を持ち、どちらに転んでも損をしないようにしながら戦争をけしかけたのである。
5 明治維新からアングロサクソンの手のうちに
中尾茂夫明治学院大教授は「江戸幕末期の倒幕論といえば、われわれ日本人は、坂本龍馬や西郷隆盛といった革命児を主役とした歴史を思い描くことが多いが、より重要な政治力学は、当時の世界市場を動かしていたイギリスとの関係である。」とし、「イギリスの東アジアにおける最大の商会だったジャーディン・マセソン商会の、長崎代理店の任にあったグラバー商会は、そのイギリスの利害(自由貿易促進)の下、長州・薩摩の双方に対し武器を売却して倒幕の舞台を準備した主人公だった。」(『ビッグバン岐路に立つ日本マネー』1998)と指摘する。ジャーディン・マセソン商会の前身は東インド会社であり、1832年に設立され、香港にヘッドオフィスを置くロスチャイルド系企業グループの持株会社であり1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転(登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。現在もアジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリットである。設立当初は、アヘンの密輸と茶の輸出であり、1840~42年のアヘン戦争の元凶といえる企業である。同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である(Wikipedia)。
「19世紀をリードしたイギリス資本主義(パックス・ブリタニカ)を背景にした、グラバーの資金力と武器調達こそが倒幕を可能にした。国民的人気を博した歴史作家・故司馬遼太郎が描いた、豪快な傑物である龍馬像は、背後にイギリスによる支持があったればこそ可能だったのである。」(中尾)。グラバー(ジャーディン・マセソン商会)は1863年には伊藤博文や井上馨ら5人を、1865年には森有礼ら薩藩留学生15人と五代友厚や寺島宗則ら4人をロンドンへ密航させている。
6 NHKのプロパガンダ機関への変質
最近のNHKの放映姿勢には特に疑問を感じる。昨年12月8日に日経新聞と米戦略国際問題研究所(CSIS)の共催による「米のアジア政策と日米関係」というシンポジウムが開催され(詳しくは、日経:2009.12.9及び12.30)、米側はハムレCSIS所長(元国防副長官)の他、マイヤーズ元米統合参謀本部議長、アーミテージ元国務副長官、グリーンCSIS上級顧問、ポデスタ元大統領首席補佐官ら米軍産複合体利益代表らが「知日派」として勢ぞろいし、日本側は自民党の石破茂元防衛大臣、民主党からは長島昭久防衛政務官ら軍事オタクが出席した。なんとNHKは「ニュース9」で「今日都内で日米関係をテーマにしたシンポジウムが開かれ、アメリカを代表する知日家が顔をそろえました」と1新聞社主催のシンポを大々的に取り上げるとともに、さらに「知日派」として出席者の1人マイケル・グリーンをスタジオに呼び、普天間移設の「合意の実施がなければ、合意そのものが崩壊し、日米関係に大きな打撃となる」などと鳩山政権の普天間問題への対応に脅しをかけたのである。
このNHKの傾向は今年に入っても変わっていない。1月7日に菅財務大臣は「円、90円台半ばが適切」と発言したが、8日のNHKニュースは「波紋が広がっている」と報じ続けた。円高傾向を口先介入で止めるのは難しいことではあるが、「この件はそれほど大々的に取り上げる問題なのか、という気がする。意図的に騒ぎを大きくしているきらいがある。」(blog本石町日記:2009.8)。「波紋」とはどこでの「波紋」なのか。米国の利益としての「波紋」なのか。NHKはいったい誰に奉仕する機関になったのか明らかにすべきである。
【出典】 アサート No.386 2010年1月23日