【投稿】大量破壊兵器と化した「時価会計」の恐怖
福井 杉本達也
1.企業目的をコペルニクス的に転換した「時価会計」
時価会計とは「望みどおりの」利益を出す方法である。これまでの「企業の目的は利益を稼ぐことであった。」が、いまや利益は経営者の思うままに操作できるようになった。時価会計によって収益・利益の前倒し計上が可能になった。時価はこの商品が「売れたらいくら儲かる」という仮定(バーチャル)の世界である。しかし、債権・デリバティブ商品の今日付いている値段が、明日もあるいは来期も5年後も続くとは限らない。むしろ、続かないと考えるほうが自然であろう。その将来の「たられば収入」を評価差益として益金を計上し、ストックオプションなどを通じ経営者に高額報酬をもたらし、株主にも高配当してしまい、後は野となれ山となれというものである(参照:田中弘神奈川大教授:『不思議の国の会計学』税務経理協会)。しかし、その落とし穴は現金=キャッシュ・フローがついてこないことにある。この商品はいくらで売れるというその時点の「時価」で評価しただけであり、その商品を売ってしまったわけではないので、肝心の現金は入ってこない。いくら帳簿上利益を計上しても、「たられば」であるから肝心の財布に現金がないのである。したがって、いつかは破綻する会計トリックである。落語の「花見酒」の世界である。六代目春風亭柳橋の作であるが、あらすじは「”酒が無くてなんの桜かな”と言われるように、花見には酒が付き物です。『向島に花を見に行ったら酒屋がない、だから我々二人が金を出し合って酒を売らないか』と言う事で酒を仕入れて売る事になった。倍儲かるから2両が4両、4両が8両になって、8両が ・・・・、両手でも数えられないほど儲かるという。借りのある酒屋だがそこで2両の酒を買った。一斗樽に仕込んだが底の方にわずか入った程度で、担いで出掛けた。腹が空きすぎて力が出ないと言って1貫だけ残して置いた。この1貫で芋でも買って力を付けて働く事にしたが、芋を買えば芋屋に儲けさせてしまう。だったら、無駄がないように我々の酒を買えば損が無く、倍儲かるよ。樽をそこに置いて、まず相手に1貫の金を払って一杯の酒を買って飲み出した。金を受け取った相棒も待ちきれずに、その一貫を相手に渡して一杯やった。イイ酒だと感心しながらやった。相手が美味そうに飲むので 、その1貫で交互にまた飲んだ。向島に着いて、酔った勢いで店開きをした。最初の客が付いたが、酒が無く売り切れていて断った。2両の金で仕入れているので、4両にはなっているはずで、そのお金で再び酒を仕入れて来る事にした。相棒に売上金を出さすと1貫しか無い。『2両で仕入れたのに1貫しか無いとはおかしいじゃないか』、『1貫出してお前が飲んで、俺が飲んで、またお前が飲んで、俺が飲んで・・・、で売り切れた』、『それなら、無駄が無くって良かったな』。(HP:「吟醸の館」「落語の舞台を歩く」より『花見酒』)という世界なのである。
右肩上がりのインフレ時には、債権の価格も上がり土地の価格も上がるので破綻しないが、一旦、デフレに陥れば「含み益を吐き出させる会計」から「含み損を作る会計」に逆転する。破綻したときには貸借対照表の「借方」である「資産の部」には過大に時価評価されてきた無価値の、今や紙くずとなったCDS(Credit default swap)や各種デリバティブ商品があり、「貸方」である「負債・資本の部」には“あるはずだった”自己資本が全くなく、これまた膨大に積みあがった借金だけが残る。現代の会計学は「詐欺」になってしまった。
10月7日付け日経新聞のマーケット総合欄に末村篤氏が「現在価値革命の暴走と挫折」という記事を書いている。「投資銀行のビジネスモデル崩壊の教訓は、高レバレッジ(負債によるテコの原理)経営の失敗だけではない。投資銀行が担った金融文化の特徴は、あらゆる資産を市場取引の対象とするために、価格を時価で評価する会計思想である。市場価格がないものにまで「時価」を付ける「現在価値革命」の暴走と挫折が、投資銀行を葬り去った。現在価値革命は、資産価値を過去の採用や利益の積み上げではなく、将来収益の割引現在価値で認識し、すべての金融取引に適用する金融文化を指す。会計上の資本概念は、払込資本に内部留保を加えたものから、時価評価後の資産から負債を引いたものにコペルニクス的転換を遂げた。」と評している。
2.欧米の時価会計見直しに鈍感な金融庁・日本公認会計士協会
本家の米国証券取引委員会(SEC)やEUが時価会計の見直しに舵を切ったにもかかわらず、日本の金融庁や公認会計士協会は鈍感であったし、今でも鈍感であり続けている。SECが時価会計見直しに関するガイダンスを発表した(9月30日)時点で、「証券化商品の時価会計適用を事実上緩和する発表について、日本の金融庁は真意を測りかねている」(日経:2008.10.2)との間の抜けた報道対応をしている。「アメリカから時価評価が出てきて、アメリカがまずそれを放棄してしまったということで日本は困惑している」(平松一夫関学教授:「税経通信」2009.1)のである。米国にいわれるままに、米国のすることは全て正しいことだとしっぽを振って二階に上がったとたんハシゴをはずされてしまったのであるから困惑するのも無理はない。
ところが、増田公認会計士協会会長は「会計基準は経済の実態を表す物差し。基準の変更で(会計上の) 白己資本比率を変えるのは本末転倒」と指摘し、「金融商品の時価会計を凍結することには賛同できない」と述べ、(日経:2008.10.24)時価会計の緩和に反対している。さらに輪をかけて、佐藤金融庁長官は12月3日の企業会計基準委員会で、「一部の金融機関から(時価を基礎とする)会計基準を緩和すべきだとの意見があるが、(混乱を回避する狙いとは) 逆に作用する」「会計に期待するものは単純で、企業の財政状態を公正、正確に示すもの。損失が発生すれば迅速かつ正確に開示すべきだ」と述べ、不良資産の切り離しや自己資本の積み増しなどを金融機関に要求し(日経:2008.12.4)、企業への「貸し渋り」を加速させ、さらに不況を深刻化させようとしているかのようである。
3.時価会計は『勝ち組』が100年に1度のチャンスをものにする道具
12月4日、欧州中央銀行は政策金利を大幅に下げ2.5%に、同時にイングランド銀行も1%にした。さらに11日にはスイス国立銀行はゼロ金利に、11月26日には中国も1.08%もの異例の利下げをするなど、世界の実体経済は完全にデフレに陥ってきた。デフレ下においては全ての財やサービスは下落する。欧米諸国は時価会計の一部凍結を決めたのに、日本だけが時価会計の見直しに消極的であれば、日本の企業は不況下でどんどん下がり続ける資産を「時価」で再評価し資本が縮小していくことになる。結果、自己資本過小となり破綻に至ってしまう。日本の金融機関は、BIS規制により海外展開する企業は8%以上の自己資本が要求され、国内展開している地銀などの金融機関も4%以上という金融庁の指導がある。自己資本がそれを下回れば金融事業からの撤退や他行との強制合併を迫られる。そこで、金融機関は自己資本率を維持するために競って企業への貸し出しを制限し「貸し渋り」を行い、不況に喘ぐ中小企業を無慈悲に切り捨て、派遣労働者の首を切らせ、株価を暴落させ、不動産を売り急ぎ、実体経済をさらに深刻化させることになる。
しかし、100年来の金融危機・恐慌は、ゴールドマン・サックスをはじめ一部投資家の『勝ち組』にとっては逆に100年に1度の資本を集中化するチャンスでもある。ゴールドマンは米金融界の時価会計の緩和に反対している(日経:2008.10.30)が、池にはまった『負け犬』を叩けば叩くほど『負け犬』の資産を安く手に入れることができて儲かる。日本が時価評価に消極的であれば、日本の企業はそれだけ資本が棄損する。ゴールドマンにとっては資本を集中化する際に日本の競争相手が少なくなる。9月に破綻した米リーマン・ブラザーズのアジア部門などを買収した野村やモルガン・スタンレーに出資した三菱UFJのように海外展開しようとする企業も足元をすくわれる。野村・三菱UFJなど大手金融機関は、この間、棄損した自己資本の増強するため、あわてて劣後債や優先株・普通株などを発効し4兆円もの資本増強に走り出している(日経:12.1)。また、日本の株価がさらに下がり(外国人投資家による意図的な日本売りを含め)、時価評価による資本棄損によりさらなる投売りが進めば、ゴールドマンらにとっては日本企業を買収しやすくなる(米国企業は資本を無駄にするものだとして日本企業のような株式の相互持ち合いなどをしていないので株式に時価評価は適用されない。日本だけが株式の評価損によって大打撃を受ける)。投売りされる日本の不動産も買い易くなる。「法人企業統計調査」によると、資本金10億円以上の金融業・保険業の自己資本比率の推移は、平成20年4~6月期の5.4から、7~9月期の5.0へと低下しており、自己資本は確実に毀損してきている。竹中平蔵・山本有二・渡辺善美氏など歴代の金融担当大臣の多くは米国金融資本の代理人ばかりである。「日本の会計は、独自路線を行くようなことを口にしながら、やっていることは、アメリカ追随です」「アメリカにとって、日本は『やり放題』の国です。アメリカのいうことはすべて実行し、いわれてもいないことも、あうんの呼吸で相手の希望や願望を嗅ぎ取って、『自発的に』自分を変えようとします」(田中:上記)と田中弘氏は指摘しているが、「時価会計」は米英アングロサクソン金融資本の国策会計である。日本は国策会計にまんまと乗せられ、騙されてきているのである。そして、それに気脈を通じ、日本の企業経営を内部から堀崩そうとする大臣や会計士がいる。その結果、大量の派遣労働者が首を切られ、正社員にも失業の波が及ぼうとしている。金融庁や会計士協会の動きに十分注意を払い、日本は早急に廃止に向けた議論をしなければならない。
【出典】 アサート No.373 2008年12月20日