【報告】旧交を温めて–恩師訪問– 

【報告】旧交を温めて–恩師訪問– 

 今年の5月連休は、二人の恩師を訪ねることができました。吉村励先生と横田三郎先生です。それぞれ訪問記を以下に記します。
 
<吉村先生> 早期ガン手術を乗り越え、元気な先生
 吉村先生には、恒例の新春訪問を予定していました。しかし、昨年12月に電話連絡したところ、12月中旬に胃がんの手術を施されたとのこと。11月の検診で見つかり、自覚症状もない初期段階であったそうですが、胃を3分の2切除された直後でもあり、先生の回復を待っての訪問が延び延びになっていました。
 4月29日、生駒さんと私の二人で訪問しました。先生は少しスリムになっておられましたが、元気そのもので、様々な時事問題や、旅行の思い出話に花が咲き、3時間余りが短く感じられました。自慢の玉の茶器で、玉露をいただき、芳醇な香りと味に感動しました。
 胃が小さくなったことで、小食とならざるを得ず、持病の糖尿病がかなり改善したこと、4月からは普通食に戻ったとの事。
 山口補選、後期高齢者医療制度については、本来病気の可能性の高い高齢者だけを切り離すという事は、全体で支える制度としての「保険制度」が意味を為さないのではないかとの指摘もされました。大阪市のチェックオフ禁止問題では、ヨーロッパでは労使関係で決まった事には介入しないという原則が確立している事と比較すると、労使自治の慣行を確立できなかったという点では反省が残りますとも話されていた。
 マルクスの育った街トリアのお話、ヨーロッパとマリア・キリスト教との深い関係のお話など旅の話もたくさんお聞かせいただきました。行ける内に旅をしなさい、との指示もいただいた次第です。先生も86歳、自分でもここまで生きられるとは、と話されていましたが、まだまだ現役、また投稿いただくようお願いもさせていただきました。
 
<横田先生> 敗戦戦後の広島時代を振り返って
 横田先生は、2年ほど前に島根県大田市から高槻市内に帰って来られた。私は6年前に大田市を訪ね、夕日の綺麗な海沿いのお宅にお邪魔して以来の再会でした。海に落ちる夕日が気に入られての転居だったそうですが、年を経る毎に寒さの方がこたえるということで、娘さんの住む高槻市に新居を構えられたとのことでした。
 5月4日、市大同期のT君とお尋ねしましたが、T君も広島出身ということで、先生とT君の広島の思い出、8月6日原爆投下、先生の敗戦前後の思い出などに話が集中しました。
 先生は、敗戦直前に海軍に入営したものの、既に船も航空機もなく、配属された神奈川で、本土決戦に向けた敵戦車に対する肉弾攻撃の訓練に明け暮れ、敗戦記念日を迎えることとなった。運命とは不思議なもので、応召された先生は生き延び、広島に残った同級生の多くが原爆の犠牲となったとのこと。また、戦前は、部落、朝鮮人に対する差別が学校でも地域でも根強かったことなど。
 ドブロリューボフ著作選集18巻(島影社発行)を2006年1月に出版されたが、最近は、年のせいか翻訳のペースが格段に落ちてお困りの様子であった。これから補論をまだ出版したいのだが、中々進まないとのことでした。
 中曽根・小泉・安倍と続いた極右保守政権の流れに強い危機感を感じておられ、民学同などの流れを汲むの各グループがゆるやかであっても連携を取ってもらいたいとの「指導」いただきました。
 奥様との二人暮らしですが、ご夫婦ともお元気で、夜には晩酌も楽しまれているとのこと。(佐野)

 【出典】 アサート No.366 2008年5月24日

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