【投稿】本当に温暖化ガスを削減できるのか—「排出権取引」への疑問—

【投稿】本当に温暖化ガスを削減できるのか—「排出権取引」への疑問—
                           福井 杉本達也

1.「排出権取引」に180度の転換をした経団連
 1月26日、福田首相がダボス会議で地球温暖化防止に向けて、「国別総量目標」を提案して以降、ここ1・2ヶ月、急速に日本国内においても「排出権取引」に対する動きが活発化している。日本経団連はそれまでの「排出量取引制度や環境税に頼るのではなく、民間の自主的な取り組みを生かしていくことが重要だ」(御手洗富士夫会長:2007.12)という強固な反対姿勢から、一転して「私自身は大反対と言った覚えはない」(同会長:2008.2.25)と180度「変節」した。政府は「地球温暖化問題に関する懇談会」の座長に奥田碩前経団連会長(トヨタ相談役)を充て、経団連内の根強い反対論を封じ込め、今年7月の洞爺湖サミットに向け日本が発言力を強める狙いがあるとマスコミは解説する(朝日:2.27、毎日:3.4)。

2.ダボス会議とは
 昨年12月にバリで開かれた「温暖化防止バリ会議」で、日本は、当初の議長案にあった「温暖化ガス削減目標」に対し、「結果を予見するような目標はおかしい」と主張し日本は「温暖化ガス排出削減に消極的」との印象を与えていた(日経:2007.12.16)。また、同時期の「産業構造審議会・中央環境審議会合同部会」(経産省・環境省共管)では排出権取引の先送りを決めていた(日経:2007.12.15)。それがなぜ、正式な国際的会合でもないダボス会議を前に突然ひっくり返ったのか。
 ダボス会議の正式名称は「世界経済フォーラム 」(World Economic Forum)といい、スイスの実業家クラウス・シュワブが設立したジュネーヴに本部を置く独立の非営利財団であり、毎年、世界中の大企業約1000社の指導者、政治指導者(大統領、首相など)、選出された知識人、ジャーナリストが参加する会議を主催する。米国のライス国務長官、サマーズ元財務長官、英国のブレア前首相、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長、著名投資家のジョージ・ソロス等々、ようするに欧米中心の金融資本家・多国籍企業経営者の全くの私的集まりである。日本からは福田首相など政府首脳のほか、奥田碩氏や竹中平蔵氏らが出席した。そこで、福田首相は無理やり英国の主導するEU排出権取引制度への参加を迫られた。

3.排出権取引制度とは何か
 2005年2月に京都議定書が発効し、日本は2008年から2012年までの5年間に1990年に比較して6%の温室効果ガスを削減する義務を負うこととなった。ところが、2005年度における温室効果ガスの排出量は1990年と比較して7.8%の増となっている。単純に言うと13.8%の削減が必要となっており、日本は厳しい状況に立たされている。そこで政府は2006年に目標達成計画を閣議決定したが、①森林吸収で3.8%、②CDM(クリーン開発メカニズムプロジェクト)などの海外からの排出権獲得で1.6%、③国内での削減で0.6%削減することとなっている。ところが、やっかいなことに、オフイスなど業務部門からの排出量が1990年と比べ45%、運輸部門が18%、家庭部門も37%も増加しているのである。そこで、産業部門で-8.6%、電力などのエネルギー部門で-16.1%として、民生・運輸部門の増加を吸収しようというものであり、国内対策が限られる中、これを京都メカニズムを活用してクレジットを購入して達成しようとするものである。
 しかし、めざす「低炭素社会」への移行をどのように進めていくのかについては明確な海図は何もない。それを、市場経済手法の組み入れによって進めようとするものである。「炭素に価格をつける」ことによって、「工場や家計で今まで計上されていなかった環境費用が、排出する主体にとって金銭的な費用として顕在化されるので、費用を減らそうとする結果として、各主体にCO2削減の動機付けが働く。」(植田和弘「地球温暖化防止への環境経済戦略」『世界』2007.9)というのである。「市場で排出権についた価格が排出権の希少性を表す信号となり、その価格信号を通じて、環境保全という目的と、それを最小の費用で達成するという『効率性』の目的とが同時にかなえられる」(岡敏弘「排出権取引の幻想」『世界』2007.11)というストーリーであるが、環境破壊は市場経済の失敗によるといわれる中、市場の活用と環境の保全が、そう簡単に調和するものとなるのであろうか。
 
4.矛盾のある排出権取引制度
 「あちらで安く減らせるから、削減努力をこちらからあちらへ回すということが、温暖化対策のために重要なことだろうか」と岡敏弘福井県立大教授は上記論文で排出権取引制度に根本的な疑問を投げかけている。欧州排出権取引制度(EU-ETS)は京都議定書の目標達成のために、2005年にEU25カ国内の大規模排出施設1万640ヶ所を対象に導入され(第Ⅰ期)、約22億トンの排出権が国別配分計画により配分された。個別施設への排出枠は実績排出量から算定され無償で配分され、その合計を総配分量から差し引いた残りが電力に配分された。2008年から始まる第Ⅱ期も約19億トンと総配分量は減るが、減った分の負担は加盟各国とも電力だけにしわ寄せしている。電力産業の排出量は許可量よりも大きいので、電力産業は排出権を購入している。ようするに、国際的競争に曝される業界には多少「キャップ」はかかるものの実績排出量に基づいて排出枠が与えられ、実質排出量と排出枠との差を国際競争に曝されない電力産業で負担しようというものである。
これでは、生産設備の古いエネルギーを大量消費する企業・生産量の大きい企業・衰退産業ほど多くの配分を受けられ優位な立場に立つことができ、強いて排出量を削減しようとする誘引は起きない。また、電力の場合には、排出量を削減するには、例えば石炭火力から天然ガスへのエネルギー源の転換が効果的であるが、石炭火力を閉鎖し新たにガス火力にすると、石炭火力の排出枠は没収され、少ないガス火力の排出枠を配分されることとなる。電力への投資は長期的なものであり、排出枠がころころ変動するようなものであれば投資はできない。

5.英国の仕掛ける温暖化ビジネス
 元々、排出権取引は2002年に英国でスタートしたものである。国際競争に曝されるようなエネルギー多消費産業はもちろん、まともな製造業は今の英国にはほとんどなく、排出枠を厳しくしても、ドイツやフランスのように反対の声はほとんど上がらない。排出権取引制度には「契約の枠組みのつくり方、コンサルタントによるアドバイス、金融手法を駆使した決済のシステムなど英国の優位性を発揮させるチャンスが数多く含まれている」(浅妻一郎:「世界を席巻する排出量取引制度の深層」NIKKEI BPNET『ECOマネジメント』2008.3.10)。「ロンドンを排出権取引など炭素市場の世界的取引センターとして活性化させるねらいがある」(植田和弘)のである。
そのストーリーを作ったのが2006年10月に公表された「スターン・レビュー」(「気候変動の経済学に関するスターン卿調査」)である。元世界銀行上級副総裁のニコラス・スターン卿が英財務省のスタッフとともに、気候変動に関わる経済効果について報告したものである。気候変動への対策を講じない場合、損害は世界全体のGDPの20%以上にもなり、早急に対策を講じた場合のコストはGDPの1%程度に留まるという内容で、これをブレア前首相が大々的に取り上げた。「早期の地球温暖化防止策を実施することこそ…経済的でもある」(植田和弘)というのだが、山口光恒氏によると「途上国を含むすべての国がキャップ(排出量上限値)を受け入れ、全世界規模で排出権取引が行われる」ことがレポートの前提であるが、「現実問題として考えにくい」、つまり「最適政策以外は政策実施費用が便益を上回る」(「費用便益分析と『スターン・レビュー』」『ECOマネジメント』2008.2.18)とし、温暖化防止策が経済性と両立するというスターン説を批判している。

6.「温暖化」がカネになる?
 『「温暖化」がカネになる』(北村慶著)という本がある。内容は、「二酸化炭素」で金儲けを狙う、その金儲けの欲望が地球環境を守るというものだ。そもそも、「排出権」はエネルギー源である「石油」や「天然ガス」などとは反対位置し、それ自身としては何も生み出さない、“0”又はむしろ“負”の価値である。「負の財産」に一定の公的規制を課することによって「財産」とみなされることになるのであるが、それは「効率性の利点を持たず、投機の可能性を作り出す『虚財』」(岡)である。2005年からの第Ⅰ期EU-ETSでは当初CO2/1トン:6ユーロだったものが、5月には20ユーロを超え、2006年4月には30ユーロを超えたが、その後第Ⅰ期の排出割当量が過大であることが判明し9ユーロ辺りまで大きく値を下げた。2005年のEUでの排出権の取引量は3億2千万トンと発表されているが、電力業界を中心とする実需は4千万トンと推定され、実需の8倍の取引が行われていた。つまり、圧倒的に投機者の参加が多いということを示している。投機はゼロ・サムゲームであり、温暖化ガスの削減には全く寄与しない。わずか数ヶ月間で3倍以上も価格が変動することは、むしろ電力や鉄鋼などの長期的な排出削減投資を妨げるものである。山本隆三氏(住友商事)は「将来の不確実性がある場合には投資の意思決定を先送りすることにより、事業の価値を高めることができる。温暖化ガスの排出権取引のように削減費用と便益について不確実性が高い場合には、意思決定の先送りが生じることとなり、技術革新への投資が行われない可能性が高い」(横山彰編『温暖化対策と経済成長の制度設計』2008.1.25)としている。
 3月14日のロイターによると、米連邦準備理事会(FRB)は14日、米証券大手ベアー・スターンズへ緊急貸出を行ったという。預金機関以外への融資は大恐慌以来だという。ベアーは連銀窓口から直接借り入れることができないため、JPモルガン・チェースが介在する形をとったと説明している。今、欧米金融資本は大恐慌の一歩手前で死にものぐるいにもがいている。サブプライム・ローンといういかがわしい債権の証券化がその発端である。「プライム」とは最良ということである。「サブ」とは接頭詞で下ということ、二流・三流のあぶない債権ということである。わずかのカネしか賭けられない客に無理矢理大金を貸して身ぐるみ剥いでしまう賭場の胴元同様、本来は住宅を持てそうにもない貧困層に高金利のローンを組ませ、荒稼ぎしようとしたのである。つまり、サブプラプライム・ローンも「虚財」である。その「虚財」をノーベル賞お墨付きの「金融工学」を駆使し、「格付け」を行って、あたかも価値の高い商品のように世界中に売りまくったのである。
 ロンドンには「ロンドン気候変動サービス」という公的団体があり、学者やエンジニア、コンサルタント、弁護士、トレーダー、ブローカー、ITサービス提供者がこれに参加しており、金融市場の優位性・「商品のお墨付き」を高めることができる。すでに欧州の排出権市場は400億ユーロ(6兆4000億円)以上の「経済的価値」をつくり出し、さらに「グローバル・カーボン・マーケット」が実現すれば、英国標準の市場が膨れ、ロンドンは排出権取引市場の一大中心となる(浅妻一郎)。だが、それはサブプライム・ローン以上の「虚財」である。
3月14日、EUは温暖化対策の遅い国を対象に、鉄鋼・セメント・紙などといった国際競争力にさらされる業種を対象に輸入規制をし、域内産業を保護する方針を決めた。つまり、EU-ETSの制度が益々金融取引だけに重点を置き、むしろ製造業にとっては負担になること、域内の温暖化ガスを大量に排出する非効率の施設を国際競争から守るという行為を通じて温暖化ガスの排出抑制をできないことが明らかになりつつある。最も温暖化ガスを排出しない「低炭素社会」を代表する“理想的”産業は、電子画面で瞬時に取引の成立する『金融資本』だけである。

 【出典】 アサート No.364 2008年3月22日

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