【映画評論】ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』

【映画評論】ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』

                               福井 杉本達也

満若勇咲監督、大島新プロデューサーによる自主製作・ドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』を見た。上映時間3時間25分(途中休憩あり)という大作である。雪も降る夜7時20分からの上映ということもあり、このようなマイナーな映画などあまり見る人もいないのではないかと劇場に入ったところ、既に7~8人の若い観客がいた。

最初の方で伊賀市の被差別部落の松村さん・同僚の中村さん・その後輩の林さんと林さんのお母さんの4人が座卓を囲んんで部落差別について語り合うのだが、あたかもカメラが存在しないかのように自然にしゃべるシーンは非常に新鮮である。また、部落史を専門とする静岡大学の黒川みどり教授が、大学の参考図書や資料で埋めつくされた狭い研究室のテーブルに黒板を置いて、それいっぱいにチョークを使って大きな文字で「部落」の呼称の変遷について語る。江戸時代の身分の「穢多・非人」が明治維新後の1971年の解放令で廃止されたものの、新たに「新平民」や「特種部落」という差別的呼称が生まれた経過や「未解放部落」・「被差別部落」という呼称。また、行政用語としての「同和地区」、また「細民部落」や「貧民部落」という呼称がなぜ使われなくなったのかを分かりやすく解説している。

1 改良住宅と地域共同体の崩壊

対話をできるだけ取り入れたいドキュメンタリーであるが、対話がなりたたない地区もある。高橋さんが居住する京都市最大の被差別部落は、戦後は1万人も住み、闇市もあり活気にあふれていたが、今は1300人に減り、その半数以上が高齢者である。部落解放運動により建て替えられた高橋さんの住む改良住宅は、今となってはエレベーターもなく、耐震補強もなされず、行政の不作為のままに長年にわたり放置されてきた。住みにくく、安全でもない住宅から居住者のほとんどは出ていき、わずかな灯が残るのみで、芸術大学の移転先として取り壊される。山内さんが1960年代に製作した8ミリの自主映画が修復されたが、そこには消防車もゴミ収集車も入らない改善前のバラックがひしめく地区が映し出される。そのバラックが解放運動により、鉄筋の集合住宅に建て替えられた。貧弱な日本の住宅政策に一石を投じる画期的な運動であった。しかし、そこの入居者は制限された。京都市は「属地属人主義」をとり、対象者を被差別部落出身者に限った。

その後も、日本の住宅政策は非常に貧弱なままである。住宅を社会的共通資本とする考え方は薄い。あくまでも、貧困対策であり、住宅政策の基本は持ち家一本鎗で私有財産を優先し、住宅ローン減税など税制を含め、個人所有に誘導しようとしている。各市町村とも公営住宅の入居条件は厳しく、事実上は母子(一人親)家庭・高齢者世帯・外国人などに限られる。となれば、公営住宅の建つ地区は、貧困層が多く、年齢構成も偏り、地域共同体が構成しにくい地区となる。

伊賀市の被差別部落に住む廣岡さんは、市営住宅が同和対策事業終了後も地域にルーツがあることを入居条件にしている。廣岡さんは「他所の人もここに入ってきてほしい。それが差別が解消される第一歩だと思う」と行政の政策に怒りを隠さない。市営住宅の住民が高齢化し、空き部屋が増えれば増えるほど地域の共同体は成り立たなくなる。共同体が崩壊すれば、住民自治も運動もなりたたなくなる。高橋さんの住宅からの引っ越しのシーンはそれを映し出している。だが、箕面市の被差別部落のように「開かれた部落」として、共同体の再構築を試みている地区もある。

2 「鳥取ループ」と関電の金品受領問題

満若監督が「鳥取ループ」を取材しているとは思わなかった。突然、画面に高速道路で車を運転する「鳥取ループ」の宮部氏が登場する。「鳥取ループ」は勝手に部落の地区を撮影し。ネット上に動画を公開する「部落探訪」や「部落地名総鑑」のネット公開で裁判になっている。「鳥取ループ」の行為は、明かすものではなく、晒すもので就職差別や結婚差別に繋がるというものである。これを「鳥取ループ」は差別する個人の問題だとする。

関西電力役員の故森山高浜町助役から金品受領が発覚した時、「鳥取ループ=示現舎」は「関電が恐怖した高浜町助役は地元同和のドンだった!」との見出しで、「再稼働や拡張工事など地元の理解を得るため電力会社側が有力者に金品を提供するというシナリオならばありえる話だ。しかし地元側から電力会社に金品提供とは前代未聞。なぜこんな事態が起こりえたのか? それは“同和のドン”森山が解放運動を背景に高浜町、そして関西電力を屈服させてきたからだ」(部落差別解消推進 神奈川県人権啓発センター 示現舎2019.10.2)と書いた。森山氏こそが同和問題を背景に関電を脅したという書きぶりである。関電役員の犯罪は完全に免責されている。

この論調はマスコミも同様である。2019年10月3日付けの福井新聞は、故森山助役を「県客員人権研究員として人権行政のアドバイザー的役割」として、町助役以外の職務をわざわざ紹介した。岩根関電社長は金品受領問題の記者会見で「金品を帰さなかった理由を『脅された』と険しい表情で強調。『森山案件』は特別で、おびえてレまった」と釈明を重ねた」とまで、岩根社長の“本音”に共感する形で書いた。関電の第三者委員会報告書(委員長:但木敬一弁護士:元検事総長)は「本心としては金品を受け取りたくないという関西電力の役職員の心情を十分認識した上で」(P23)、「森山氏の要求は執拗かつ威圧的な方法でなされる場合も多く、時には恫喝ともいえる態様であり」(P100)、「あたかも自身や家族に危害を加えるかのような森山氏の言動を現実化するおそれがある、などといったことが綯い交ぜになった漠然とした不安感・恐怖感」(P188)からであると書いているが、これこそ、差別発言を糾弾する人々が、差別を再生産していると、主客を転倒し、問題は部落解放同盟側にあるかのようにして、巧妙に関西電力を「被害者」に仕立て上げるものである。第三者委に先立つ関電の社内調査報告書を作成した社内調査委員会の委員長は元大阪地検検事正の小林敬氏である。また、但木氏の数代前の検事総長の土肥孝治氏は16年間にわたって社外監査役を務めている。国家権力の中枢にあった検察幹部を何人も抱えながら、たった一人の森山氏の「脅し」に屈服したという言い訳が通じるものではない。「鳥取ループ」も国家権力・関電・マスコミエリート支配層の差別に全面的に加担するものであり、差別する個人の問題ではない。折角、「鳥取ループ」を取材したのであれば、さらなる切込みが欲しい。会話の話題が個人による差別・結婚差別の問題のみに流れるのはどうだろうか。

3 ネットによる情報操作

映画のの最後の方で、松村さんはひたすらネット上の差別書き込みを朗読する。ネット上の差別をどのように映像化するかというのは難しい。しかし、ネット上への差別書き込みは個人の問題であろうか。

我々がアクセスするネットは全ての情報を無条件にUPしているわけではない。支配エリートにとって都合の悪い情報は検閲され、削除される。また、アカウント自体を削除されてしまう。また、支配エリートにとって都合の良い情報は次から次へと拡散されている。その作業はオンラインサービスを提供するAIのロボット型検索エンジンだけに頼ることはできない。2022年10月にツイッター社を買収したイーロン・マスクは全体の2/3もの社員を解雇した。これは、経営の赤字を解消するためと新聞紙上で解説されているが、実際はその社員のほとんどが、ネット上の検閲に関与していた。

イーロン・マスクは「11月30日、自分が買収する前の同社幹部らがコンテンツモデレーション(投稿監視)を使って選挙に介入し、社会の信頼を損ねていたとしてこれを非難した。2018年、中間議会選挙の年にすでに共和党はツイッターのアカウント削除について警鐘を鳴らしていた。当時、ツイッター幹部は数千件のアカウントをブロック。この措置は、『ロシアのボット』が活動しているからという嫌疑によって正当化されたが、実際にツイッターの被害を受けたのはロボットではなく『生きた』ユーザーの方だった」。また、「共和党や民主党、バイデン氏の周辺から『不都合な』情報を含む投稿を削除するよう求める圧力があったことを示すツイッターの内部文書を公開」し、SNSの内情を暴露したが(Sputnik 2022.12.3)、こうしたネット上の検閲や情報拡散は日常的に行われている。ネット上の差別文書は差別する個人の責任・結婚差別も差別する個人の責任だという見方は甘い。支配エリートの情報操作が深くかかわっている。

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