特集にあたって (「知識と労働」 10号)
74年の大衆運動とマルクス主義
七月の参院選での革新諸党の勝利は、 「保革伯仲」 の参院議席比(議席数差7)を実現し、この選挙だけに限れば参院議席数の「保革逆転(獲得議席数六三対六七)を実現するものであった。それは保守合同以来、支配階級が選挙戦で蒙った最初のそして最大の敗北であった。七〇議席の獲得の手段、「金権選挙」(何百億円といわれる)と「企業ぐるみ選挙」の結果がこれであった。衝撃を受けた財界首脳は、議席数と得票率(初めて四〇%を割る)の「ダプル負け」であると政府与党への露骨な非難をあびせた。しかし、この勝利も敗北もプルジョア議会主義の枠組の内部での出来事であった。これについては、マルクス主義者の間で然るべき評価と批判が行なわれていない。
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選挙をたたかった革新諸党の間には、根本的な反独占改革のための共同の綱領も、それにもとづぐ反独占統一戦線の組織も、なかった。共産党と社会党の間には、政府与党と根本的に対決するために必要な共同の選挙綱領、選挙協定はなぐ、全国レヴェルでそれを締結するための努力さえ行われなかった。「準与党」 の方向をとる民社党と「中道革新連合」 をかかげる公明党については、 いまの局面で共社と同一の水準で問題にすることは当を得たことではない。しかし、革新諸党の間の選挙綱領の一致、政策協定なしには、それら各党の候補者の調整をすることも、したがって諸野党の得票数の合計では結果的には自民党を上まわったいくつかの選挙区(岩手、秋田、山梨、滋賀、島根、宮城、愛媛、大分等々)で政府与党に勝利することも、事後における机上の数量計算以上のものとしては全く問題とさえなりえない。だからわが国の国政選挙での革新諸党の進出を、たとえばフランスのように根本的な反独占改革の共同政府綱領をもってたたかっている国の「入民連合」の前進と同様に評価することは根本的な誤りである。
わが国の選挙戦の総括を行う上で、 根本的に重要な問題は、 他の革新諸党を「中間政党」と規定し、頭から批判する共産党が、自らの政綱においても戦術においてもブルジョア議会主義の枠組そのものにたいして本質的な批判を存わず、その枠組の内部にとどまっていることである。それはわが国に特殊な、全く異常な事態である。
共産党の「民主連合政府綱領」は、主要な金融機関と重要産業独占体の国有化及び国有部門の民主的統制を提起していない。それは金融資本の寡頭支配の体制そのものを基本的に承認するものである。それは独占資本主義と国独資の政治的経済的構造そのものには何ら手をつけず、それの存続を前提とした上で、議会主義的=官僚主義的な「統制」や「規制」のこまごまとした諸措置を行うこと以上の変革要求を何らかかげるものではない。無論、このような限界の内部でとられる、あれこれの部分的な改善や改良の政策が、今日独占資本と鋭い利害対立に陥っている中小の資本や小経営者(都市自営業者、商人、農民)の民主的反独占的要求を一定限度反映するものであり、またそれを部分的に満足させることもありうることは、否定できない。しかし、それは労働者階級の基本的利害の上に立った革命的な社会的変革の要求とも、また労働者階級階級と広範な勤労・被搾取人民大衆の反独占的な根本的変革の要求とも本質的に異なったものである。このような共産党の綱領的方針は今日国際共産主義運動の確立された共通の綱領—-根本的な反独占民主主義改革を通じて社会主義革命へ接近する戦略—-とは全く無縁な、それと根本的に対立する右翼日和見主義、ブルジョア的改良主義をその本質とするものである。
「政府綱領」の政治的変革の部分は「国家とその諸制度の問題をその階級的基礎と権力掌握者から切り離して論じるブルジョア法律家的形式主義に基いている。「国民主権」がブルジョア独裁の法的政治的形式であること、議会主義が官僚主義を不可欠の補足物とし、その頭部における金融寡頭試の権力を不可避的に生み出すこと、等の現代ブルジョア国家の本質的な特徴は全く忘れ去られているかにみえる。常備軍(自衛隊) の問題についても、民主運動と「国民抑圧の軍隊」であることを認めておきながら、その「解散」については専ら法律手続 「防衛庁設置法、自衛隊法の廃止」ー を示すのみで、そのような手続をとることを可能とするような政治的諸条件、階級間の力関係については全く述べられていない。 「民主連合政府」の存続と活動は支配階級の「弾圧」 「抑圧」装置としての自衛隊と如何なる関係に立つのか。 この根本的な問題は真剣に提起されてもいない。もうーつの抑圧装置、警察についても、全く同様の形式主義的な取り扱い、法律手続論と改善策しか示されていない。しかし、国家と国家権力の問題におけるこのような無関心で無批判的な態度は、「政府綱領」 の社会経済的変革におけるブルジョァ改良主義と全く相照応したものであり、後者と同一の根源、金融資本とその寡頭支配の政治的経済的体制を根本的に承認し前提することから、必然的に生じてくるものである。このことは、チリーの反革命クーデターに際して共産党指導部によって恥知らずの露骨さで語られた。チリの「人民連合」は国有化や民主的統制のような、社会主義をめざす根本的変革を行ったから、軍隊による反革命クーデターが生じたのであって、日本共産党の方針ではそのようなことは生じる余地がありえない、と。
総じて政治的国家的制度の領域で「民主連合政府綱領」が掲げているところの当面の変革の要求と目標は、その根本においてブルジ ョア法規範 —-「憲法とそれに基く法体系」—-を唯一の基準として提起され、それの「忠実な実行」「厳正な実行」という以上に何ら本質的な変革要求は掲げられていない。他方ではマルクス主義がブルジョア的法制度を問題とする場合の基本的な事項—-市民の「財産の尊重が必然的に資本と搾取関係、階級対立を生み出すこと、平等の下で実質的不平等(階級的区別と社会的差別)、民主主義の下でのブルジョア独裁等—は全て無知でなければ注意深く回避されている。このような政治的綱領は、社会主義へむかって進むことではなく、「純粋民主主義」のモデル国家を形成することを目的としているとしか言いようのないものである。これまでブルジョアジーの階級的支配のための法的政治的理想型であったものが、今や労働者階級の当面の変革の目標として掲げられ実現されうるような新しい諸条件が存在するようになった、とでも考えられているのであろうか。いずれにしろ、日本共産党の政綱の根本的な誤謬、度し難いまでのマルクス主義からの逸脱は、戦術的方針とその実践のうちに集中的に表現されている。
共産党は、戦術においては選挙第一主義、議席獲得至上論ー 選挙こそが「党躍進のものとも重大な課題」(二中総決議)ー に立ち党活動のすべてを集票活動に集中し解消している(「選挙戦を前面にすえた組織活動」同上決議)。だから、共産党の宣伝活動の最大の重点のーつが、 「北方領土要求」の反ソ・反社会主義的な民族主義におかれ、大衆の理性にではなく、ブルジョア的、小ブルジョア的偏見に訴えることにおかれているというだけではない。共産党は、危機の新しい局面と恐慌の深刻化のもとで労働者階級のたたかった 「国民春闘」を首尾一貫して最後まで指導し、これを勝利に導く方針を提起することも、組織された労働者階級の闘争を原動カとして広範な人民大衆の「生活防衛闘争」を組織し、その政治的統一戦線の力によって内閣を打倒する方針を提起することも、なかったのである。革新市長と国会及び地方議会の共産党議員を介して党のもつ政治力の主要なものは、「経営」「営業」の危機に対する全く弥縫的な援助策にふりむけられていたにすぎない。他方では春闘と参院選の全期間を通じて党指導部の主要な活動のーつは、労働者階級の組織されたもっとも戦闘的な部隊(動労、全電通、全逓、全国金属等々)にたいする政治的批判と組織的分裂活動、及び支配階級とその権力の公然たる攻撃をもっとも強くうけている部隊(日教組)にたいするイデオロギー的政治的攻撃に集中された。この意味では参院選での共産党の進出は、労働者階級の「国民春闘」にたいする指導の放棄と事実上の敵対という本質的な裏切り行為を代償として、全党をあげたブルジョア選挙方式の集票活動の所産として獲得された成果だったのである。
しかし得票内容の統計的数量的検討からも一見して明らかなように、東京、大阪をはじめとする都市部の選挙区の全てにおいて、共産党の得票数と得票率の頭打ちと減退傾向がすでに現れでいる事実は、その組織的責任の所在が誰にあるかといった党内の意見対立とは別に、共産党の議会主義的偏向と改良主義的政策にたいする不満と批判が都市労働者と先進的知識人層の間ですでに開始され高まり、はじめていることを示すものであろう。
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参院選での革新諸党の勝利をもたらしたものは、異常なまでの急激な物価高騰と賃金給与の購買力の下落、実質賃金の低下にたいする、雇用減退とさしせまった失業の不安にたいする、不況の深刻化と経営不振にたいする、また小農経営の没落の危機にたいする、労働者階級と入民諸層のヴォーターとしての強い不満、自然発生的な憤激と危機感の表明であった。いうまでもなくその根底にあったのは、わが国経済情勢の急激な悪化、誰もが認めざるをえない危機の到来である。
全世界のマルクス主義者が一致して認めているように、資本主義世界は全般的危機の「新しい局面」に入った。あらゆる標識がそのことを示している—-全世界的な過剰生産恐慌の諸条件の成熟、 インフレーションの急激な進行、国際通貨危機の慢性的な深刻化、ェネルギー(石油にかぎらない)危機、国際的な経済戦争と帝国主義的対立の激化。戦後の国独資の体制そのものが生みだし、あらゆる方策によって一時的に繰延べ蓄積し、深刻化させてきた諸矛盾の激化とその全世界的な爆発はさし迫ったものとなっている。
しかしこの情勢はわが国の「前衛党」によって科学的具体的に規定されることもなかったし、それにもとづく具体的で現実的な危機からの真の脱出策が提起されることもなかった。選挙の争点は主としては単なる「物価」の問題として庶民の消費生活の次元でのみ扱われている。せいぜいのところそれは政府のーつの政策、「高成長政策」との対決に解消され、それを他の一政策、「引締め政策」で取り代えることによって解決可能であるかに主張されている。しかも単なる議会内部の議席数の変化と内閣の更迭のみによって問題が片づくかに主張されているのである。独占資本とその政府がデスレ的転換を志向し、恐慌とインフレーションが必然的、同時的に深刻化している現在、このような政策を提起することは、また、政治闘争と社会変革における原動力としての大衆闘争の決定的な力から切りはなして単なる議会内部の力関係に全てを委ねることは、かりにもマルクス主義を掲げ、労働者階級の「前衛」を自認するものの態度として全く信じがたいことである。
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危機の深刻化は支配階級内部の対立(独占間の、独占と非独占間の)をも激化させずにはおかない。支配階級は国独資のあらゆる方策を用いてそれらの対立を部分的で一限られたものに押しとどめ、同時的に急速に激化することを阻止しようとしている。しかしいうまでもなく、支配階級は基本的で主要な攻撃を労働者階級と人民諸階層の上に集中し、恐慌の一切の犠牲をその上に転嫁するととによって危機を乗切ろっとしている。独占とその政府は、選挙戦の期間を通じて、選挙戦の終了後は一層露骨に公然と速度をはやめて、激しく、物価騰貴—-独占価格の凍結解除、公共料金の一斉値上げ—-に訴えて労働者階級と給与生活者の実質賃金を低下させ、時間短縮、レイオフ、解雇によって恫喝を加えながら所得政策による賃金の凍結を図ろうとしている。支配階級とその政府は公共部門と民間部門、大手と中小、不況の潜在的な産業と顕在的な産業、組織労働者と未組織労働者、本工と社外工・臨時工・季節工等々、労働者階級内部に分裂と対立を持ち込む一切の要因を駆使して、労働者階級とその組織への攻撃と分断を強めようとしている。同時に独占とその政府は、財政的金融的措置を通じて恐慌の深刻化、倒産の激化(10月11月頃には月間千件を予測)による、中小企業の淘汰と独占的集中、小所有者の収奪を遂行しようとしている。
支配婚級によるこのような攻撃は労働者階級と人民の反撃と下からの政治的高揚を生み出さずにはおかない。春闘の大衆的な勝利はその前哨戦であり、参院選の革新陣営の進出はその一徴候を示すものにほかならない。これに対して政府は、その階級的本性にしたがって、一方では公然たる弾圧と権力主義的支配の確立と強化に訴えようとしている。その要素はすでに選挙期間中に行なわれた日教組への弾圧、一連の反動的裁判による司法の反動化のうちに露骨に現れている。系統的なファッショ化の方向を阻止するためには、これらの部分的な、端緒的な現れの一つ一つとの即刻の真剣な闘争が必要不可欠であることは言うまでもない。
「前衛政党」の政策と戦術における原則的な誤りと日和見主義、及び革新陣営全体としての立遅れは、労働者階級と勤労人民をこのような経済的政治的攻撃から自らを防衛し反撃に転じる上で決定的に立遅れた状態においている。
四
プルジョァ議会主義の枠組の内部において自民党の「単独政権」「一党独裁」の時代は終止符を打たれようとしている。参院の議席差の接近は、議会の手続面、議事運営面だけからも「政府与党による支配の政治的不安定と対立の激化の新しい条件を生み出している。数量政治学的予測にもとづく衆院におげる「保革逆転」の展望は支配階級とその政府をおびやかすものとなっている。
危機の深刻化が必然的に不可避的に生みだす労働者階級と人民大衆の経済闘争および政治闘争の激化は、現在のところは議会主義の内部に押しとどめられている広範な大衆の政治的意識を前進させずにはおかない。それはマルクス主議にもとづく原則的で現実的な政治指導の確立と結びつくときには、ブルジョア議会主義の枠組そのものをくつがえさずにはおかない。春闘を闘った労働者階級の戦闘的な部隊の間ではすでに今日の「前衛政党」の議会主義的日和見主義と政治的組織的指導力の無力と根本的な欠陥にたいして大衆的な不満と批判が集中している。このような力は革命的で原則的なマルクス主義者の諸要素にたいしてその思想的政策的指導力の確立と政治的組織的結集の必要性を自覚させ、決意させる原動力の一つにならずにはおかないだろう。
支配階級は、こうした一切の動きをブルジョァ議会主義の枠内に押しとどめ、「ブルジョア的政治」の土俵の上で階級闘争と一切の対立を解決するための新しい政治的対応策とマヌーヴァーを模索しはじめている。財界首脳たちが考えている「保守新党」(自民党の四分の一程度) の結成とそれによる野党との「連合政権」構想は、その本質において革新諸党の分断を基本的な目標とするものである。それは共産党と社会党の「社会主義協会派」を除く全野党の連合を「保守新党」が指導する計画であり、社会党を分裂させ、「社会主義協会派」を締め出すことを第一の前提条件どしている。いわゆる「受皿論」(永野重雄)として支配階級によってあけすけに語られているこのような構想の実現が、労働運動と労働組合運動に新しい分裂を持ち込み、壊滅的な打撃を与えることは火を見るよりも明らかである。しかし、公然と「準与党」を名のる民社党はもとより社会党の一部(これまでからの社公民路線の追求者に限らない)と他の野党にも、この構想に呼応して進んで支配階級の「保守新党」をその上に載せる「受皿」の作成を準備する活動が早くも開始されているのは、わが国の革新陣営にとってこのうえなく危険な動向のーつである。このような保革の「大連合」による中道政権が予定している部分的国有化と独占体の規制を含む統制経済政策にたいして、共 産党の「民主連合政府」の政策内容は原則的な一線を画せないのみならず、本質においてそれと全く同一のものである。
議会主義の内部における政治的対立の新しい方向のーつは、その内容において本質的な区別をもたないーつの政策、「中道政策」の政権担当者の座をめぐる争いであり、「保守新党」による連立構想と共産党による「連合政権」が争っでいるということにある。この争いにおいて「民主連合政府綱領」の提起者が自らの掲げた政策を担当する政権の座から排除される事態を単なる喜劇として傍観して済ませることのできるものは、マルクス主義者でも人民の護民官でもない。それは労働者階級と人民にとってこの上ない災厄であり、悲劇である。また、今日の新しい政治的状況を「多党化の時代」 「連合政権の時代」として一面的に礼讃するものは事柄の本質を見抜けない日和見主義的超楽観論であると言わなければならない。幾多の歴史的経験が示しているように、議会主義的日和見主義にたいする人民大衆の幻滅は、露骨な反動と右翼的な公然たる権力主義に道をひらくものだからである。
五
恐慌の深刻化が生み出す支配階級内部の経済的利害の対立は、議会内部における政治的不安定の条件の下で、政府与党内の矛盾と対立、各派閥間の対立抗争をかつてなく激化させている。安保闘争と岸内閣の瓦解後の党内の深刻な分裂と派閥抗争が「高成長政策」によって鎮静化されたような有利な条件は、今日の新しい危機の下では支配階級にとって存在していない。三木と福田および保利の閣僚辞任は自民党内派閥闘争の激化の結果であり、また与党内の分裂と抗争の新しい原因ともなっている。デフレ政策の徹底と権力主義的抑圧支配による「保守本命」の道を歩もうとする福田と、かつては「国民協同」主義を掲げ、労資協調による野党の懐柔と分断の立役者になることを期待されている三木とは、今日反田中において同調しているけれども、前者の冷戦派的な体質と後者の平和共存派的な体質の相違を含め深刻な対立関係にある。いずれにしろ参院選の敗北によって窮地に陥った田中首相は、党内入事の操作により党内派閥闘争を一時的表面的に抑えこみ、強引な逃亡と沈黙によって臨時国会を乗り切った。今日田中を政権の座にとどめているものは金(伝えられるところでは一八〇億—-これは国民協会から自民党への年間献金額と等額である)と権カの力以外のなにものでもない。自らの出身業界である建設業界を最大の不況部門のーつとし、年来の持論である「高成長政策」と「列島改造論」を暗礁に乗りあげさせた田中首相は、自らの本来の姿とその利害的基礎に反して危機の下での総資本の利害に従って何らの政策的確信も展望もない引締め政策をとりつづけている。田中内閣はかつてなく、もろく脆弱な状態におかれているのである。しかし展望の欠如は田中に限ったことではない。台湾、韓国にあまりにも深くコミットし過ぎ、また産軍複合体の政治的推進者として、その冷戦主義の体質が今日の国際的なデタントの動向とあまりにもかけ離れている福田を含め、支配階級とその与党指導者の誰一人として今日の危機を乗り切る政策上の確信をもっているものはいない。「一寸先は闇」というブルジョア政治家の自戒の言葉が今日ほど深い意味をもつ時はない。それは恐慌の波と犠牲を誰が最も多く受けるかをめぐって、支配階級内部の「敵対する兄弟間の戦闘」(マルクス)が激化し、個別資本の利害と総資本の利害の対立が前面に押し出されている、今日の客観的情勢そのものに基づくものである。
労働運動にとって必要なことは、階級支配と現情勢への適応の異ったスタイル、方法を表現するあれこれの総裁志望者と派閥代表者のいずれの思惑が実現するかに主たる関心を寄せることではなくて、そのいずれのスタイル、方法による階級的抑圧にたいしてもそれにふさわしい的確な対決点を見い出し、首尾一貫して闘争することであろう。 マルクス主義者にとってまず第一に必要なことは、危機の深刻化を前にして動揺し対立し抗争しあっている与党指導者のあれこれの傾向のいずれかを選択し、それに期待を寄せることではなく、彼らの対立や抗争を生みだしている危機の客観的な根源とその現情勢を具体的に規定し、支配階級の出ロとは根本的に異なった労働者階級のヘゲモニーによる危機からの真の出ロを提起することである。
六
資本主義の「自動的崩壊」はありえない。支配階級にとって「絶対に活路のない情勢というものはない」(レーニン)。支配階級は基本的には消費の抑制と対外的膨張によって危機からの脱出をはかろうとしている。それは経済戦争の一層の激化と帝国主義的対立の一層の激化をもだらさずにはおかない。しかし今日の新しい国際的なカ僕係と社会主義体制の優位の条件の下では、支配階級は自らの体制の瓦解の危険を冒すことなしに世界的な戦争の手段に訴えることはできない。このような条件の下では世界経済の緊密な国際的連関の利害は、最も深い、根源的な力として、帝国主義的矛盾と対立の下にある帝国主義各国を対社会主義市場への接近の方向に向かわせずにはおかない。しかし、社会主義体制に対する帝国主義諸国の根本的な対立関係は、支配階級のとる平和共存政策と対社会主義接近を、社会主義体制への分裂策動(対ューゴスラビア、ルーマニア、「自由化」のチェコ、中国の社会主義体制からの分裂)をも含めて動揺と矛盾にみちた不安定で中途半端なものにする。支配階級は一方では対社会主義貿易と経済協力関係の拡大(田中訪ソ、チュメニ、ヤクート)を志向すると同時に、他方では経済的政治的矛盾と対立によってたえず根底からゆるがされている対社会主義の帝国主義的軍事同盟の維持と補強(安保堅持と日米会談、独自核武装)を図らざるをえない。
支配階級が全体として矛盾し動揺し分裂しているのと同様に、その個々の政治家、派閥、それらの背後にある財界と独占グループもまたニ面的で矛盾に満ちた利害をもっている。勿論、これらのそれぞれについて、複雑にからみあった二つの傾向と対立にだいする比重の置き方、コミットの仕方、度合にしたがって「一定の音階」(ガントマン)を区別することはできる。しかし、支配上層の間に、ブルジョァ政論家が好んで図式化するような冷戦派と共存派、頑迷派と開明派といった単純な、できあいの分岐、対立があるわけではない。だから支配上層のいずれかの部分、「階級分派」に依存し、それを支持することによって、国家政策の全体を平和共存の方向に転換させうると考えるのは、主観的で一面的な単純化による日和見主義的見解であろう。
確かに支配上層の対外政策上のニ面性と矛盾の基礎には、帝国主義の本質が生みだず一般的政治的目的と一国の客観的な国民経済的な利害の矛盾に基く、客観的な対立矛盾がある。だが、支配上層が後者の利害の自覚とその優位において行動することを待機することは全く問題となりえない。労働者階級が国民的な指導階級として、平和と平和共存を目的とする首尾一貫した自らの対外政策—-社会主義諸国との全面的で長期的で安定した経済協力関係の実現—-を掲げて闘うときにのみ、支配上層内部の矛盾を深刻なものとし、政策的選択をせまり、客観的な国民経済的利害の命ずる方向へその対外政策を向わせることができるだろう。労働運動が支配層内部のあれこれの政策的分岐の単なる付属物にならないためには、労働者階級の掲げる外交政策、方針は、その基礎をなす内政の根本的な変革、転換の方針との必然的な連関において、金融寡頭制支配の現体制とは異なった客観的な経済的基礎をもって、提起されなければならない。労働者階級とその前衛は独占の支配を打倒し国民経済を現実に指導するための準備を常におし進めることによってのみ、支配階級に政策転換を押しつけ、その中途半端で動揺的な部分的な対社会主義接近を一貫して拡大し発展させることかできるのである。
勿論、今日の世界のカ関係と社会主義体制の優位のもとで、帝国主義対立の激化に基く他の帝国主義たとえばアメリカの集中的な攻撃を受けた場合、自らの帝国主義国としての国際政治的地位の維持と上昇のためにも、客観的な利害が支配上層に選択をせまり、平和共存的方向をとることを余儀なくさせる可能性は大きい。しかし、それが国内的な基本的な階級対立と階級支配そのものを排除するものではないにもかかわらず、支配階級の反共的反社会主義的な本姓に基いて、また緊張緩和と平和共存が労働者階級の闘争に有利な条件を切り開くことへの恐怖に基いて、支配階級とその右翼的反動的、冷戦主義的傾向は、つねに必然的にまきかえしと反撃に出る。それは、客観的な世界情勢のカ関係によってすでに形成された「東西間」の条約や協定の体制そのものをくつがえすことは妨げられるにしろ、一時的な部分的後退や停滞を生み出しうるのである。ドイツの共産主義者が指摘しているように、それはプラントの失脚と更迭にもよく示されているであろう。ここでもまた労働者階級と広範な人民大衆の平和と平和共存のための闘争こそが決定的に重要な意義をもつのである。
今日、国際的な力関係は、社会主義と平和の諸勢力にとっで有利な方向へと全般的に転換している。デタントの趨勢は全世界的な規模で進行している。だから、労働者階級は既に獲得された一連の「段階的諸成果」 の上に立って緊張緩和と平和共存のための新しい闘争を組織することができる。「アジア集団安全保障体制」のスローガンはますます現実的な意義をもつものとなっている。それは、日米安保条約の存在の下でも即刻着手することが可能な、緊張緩和のための政策要求である。その第一歩として、何よりもまず、日ソ、日中、日朝の平和条約の締結、南ヴェトナム臨時革命政府の承認を要求してたたかわなければならない。集団安保体制の確立は、現実的で具体的な過程ともて把えなければならない。それは、社会主義体制に敵対する帝国主義の軍事同盟が存在する現状から出発して、国境の現状承認と尊重に基ぐ平和条約、相互不可侵条約、双方の車事力の相互引き離し、均衡ある相互的な軍備縮少等を含む一連の過程として現実の晴勢と力関係によってその進行のテンポや形態を規定される、ジグザグなコースをとるであろう。そこにおいて全欧安保会議のような国際会議をアジアで開催することは、過程を短縮し一挙に促進させるものとしてつねに目的意織的に追求されなければならないだろう。いずれにしろ、それは安保体制の解体と廃棄に到る具体的なコースのーつであり、またその重要な構成部分でもある。安保条約の廃棄は、この過程の進行途上で国内の政治的力関係を根本的に変えることによって一挙に実現されることも可能である。だから、 「集団安保体制の確立」と「安保廃棄」は相互に補足し促進しあうものとして統一的に把握されなければならない。
共産党の「民主連合政府綱領」は、安保条約の廃棄について、法的手続以外の何も規定していない。そのような手続をとることを可能とする現実の客観的情勢と政治的諸条件については一言も語られていない。それは従来かち現指導部によって革命の主要な戦略目標とされてきたものが、事実上議会主義の内部での法的手続の問題に解消されてしまったととを意味している。 「民主連合政府綱領」は一方では「アジアにおける真の集団安保体制の確立」について要求しながら、それの実現には「いっさいの軍事同盟の解体」が前提条件となると想定することによってこの要求を全くの無意味な理想論とし、事実上棚上げしている。共産党指導部は他方では、現実の目標として提起されている「アジア集団安保体制」のスローガンにたいしては、冷淡に無視するというよりは事実上敵視している。しかし、安保条約の廃棄や集団安全保障体制の樹立について、いかにそれを一般的な目的、高い理想として認めていようとも、それに到達する具体的過程や方策について冷淡な沈黙や敵対をもっで応えるものは、目的そのものにたいして真剣な態度をとるものとはいうことができない。それは自らの掲げる目的を全くの空文句に転化させるものである。このような二心的な態度の背後には、ソ連と社会主義体制に対たいする根底からの不信と表裏一体の全く悲観主繭的な情勢把握がある。それは、昨年夏の宮本委員長の「核政策転換」を新しい契機として、反米闘争第一主義の民族主義と並んで、反ソ反社会主義体制の民族主義の側面が全面的に展開され前面に押し出されてきた、日本共産党の政治的イデオロギー的変節の新しい局面と照応するものである。
七
労働者階級は根本的な変革のための革命的な要求とならべて、独占資本とその政府にたいして即刻の実現を迫るべき部分的で改良的な政策転換の要求を掲げてたたかわなければならない。
恐慌は資本主義的拡大再生産の不可避的な結果である。現代の国独資の諸条件の下で恐慌の発現の仕方、そのテンポは国家介入の諸方策により構造的な変更をっけ、その潜在的な爆発力はかつてなく深刻で激しいものになっている。資本主義をなくさないかぎり、 恐慌をなくすることはできない。しかし労働者階級は、今日の恐慌の深刻化の下では、日常的な経済闘争において、同時に、国家の財政金融政策の転換とそれに必要な一連の独占体の国有化を含む部分的な変革の要求を何ほとかでも系統的な政策として掲げてたたかわなければならない。それなしには、実質賃金の切下げから身を守り、賃上げをかちとり、生活水準の引下げと耐乏生活の強要に対抗して生活の諸条件を改善する上で一歩も前へ進むことはできない。いうまでもなく、このような変革の要求はいかに部分的な、限られたものであり、金融寡頭制の支配そのものを廃棄するものではないとはいえ、それが独占体の利害の一部に手をつけるものである以上、独占資本とその政府との深刻で困難な闘争を抜きにしては、したがって労働運動の統一した闘争なしには、かちとられることはできない。しかし、この困難さは労資の階級対立の非和解性のーつの表現であり、資本の側からの、ごく一部のものへのほんのわずかの欺瞞的な譲歩に幻惑され、あるいは桐喝に屈服するのでないかぎり、避けて通ることのできないものである。われわれの部分的な変革の政策は「かならず日和見主義者にも鉾先を向けているような綱領でなければならない」(レーニン)。われわれは、恐慌の深刻化に直面するわが国の労働者階級がみずからの利害と地位を守ってたたかうためには、次のような政策的諸要求のうち、少なくともその主要なもの、基本的なものを、それの即刻の実現を支配階級に迫る闘争のためのスローガンとして、掲げることが必要不可欠であると考える。
1,公共部門を中心とする拡大政策の導入とそれに必要な部門の国有化。 抜本的な雇用の増大。
公共住宅建設の拡大とその関連部門(私鉄、電切、ガス、セメント、鉄鋼、土木建設等) の系統的な国有化。
エネルギー産業の国有化。
2,軍事費(四次防)の削減と打切り。五次防の阻止。
アジアの反共軍事政権(韓国、台湾、南ベトナム等)への援助打ち切り
3,法人にたいする強累進課税の実施。
投機的利得の取上げ。
産業独占体と銀行、商社にたいする財政的金融的援助の制限と打ち切り。
4,インフレの進行を押しとどめるために厳重な物価統制を行うこと。
公共料金の凍結。家賃の凍結。食料等生活必需品の価格凍結。
5,物価上昇に匹敵するインプレ手当(三カ月以上)の支給。
勤労者課税の抜本的削減。間接税の廃止。
産業別協約最賃の確立に基く賃金の物価スライド制の実現。
労働者の平均賃金に見合う社会保障費及び老齢年金の支給と賃
金スライド制の確立。
6,一切の形態の賃金カット阻止。
一時帰休、一時解雇阻止。
全失業期間中(さしあたっては少くともニケ年間)最終賃金に
見合う失業保険(さしあたっては八五%以上)の給付。
全額企業者負担を含む失業保険制度の抜本的改善。
7,全面的な公共医療制度の確立と医療・薬剤費の無料化。
私学教育費の全額国庫負担を含む文教予算の抜本的拡大。
全面的な公共的保育制度の確立と育児費用の国庫負担。
8,兼業農家を含む小農経営にたいする経営保障と自発的協同組合化。
国家による無利子長期の財政的金融的援助。肥料、農業、農業機械器
具の価格凍結。
転用農地の国家・公共機関による専一的取得。
農業生産物の国家による買上げ保障。
都市自営業者にたいする無利子長期の国家によ石財政的金融的援助。
9,倒産企業及び閉鎖工場にたいする労働者による生産管理を含む国有化。
倒産切迫企業にたいする国家の財政的金融的救済と国有化。
10.対社会主義貿易と経済協力関係の拡大。
資本輸出にたいする規制。
発展途上国との平等互恵の基礎に立つ貿易、経済交流の発展。
日ソ、日中、日朝平和条約の締結、南ベトナム臨事革命政府の承認。
アジアにおける集団安全保障体制の確立。
われわれは、このような、労働者階級の恐慌からの脱出政策の核心が、軍事費(四次防、五次防)の削減と打切りを要求し、それによる公共投資と住宅建設の拡大を要求すること、この二つの要求の結合にあると考える。恐慌の深刻化に直面する労働者階級の闘争は、平和のための全人民的な闘争と結合して闘わなければならない。「労働運動と平和運動の統一」が当面の大衆運動の主要なスローガン、のーつとならなければならないのである。
八
わが国の労働運動とマルクス主義は、労働者階級と入民諸階層の掲げてたたかうべき反独占民主主義的な根本的変革と社会主義革命への接近の綱領的政策においても、また当面の部分的で改良的な政策転換の要求の提示においても、決定的に立遅れた、原則的な方針にもとづく準備の全く行なわれていない状態の下で、全般的危機の新しい局面を迎えようとしている。
一九六九年の「共産党・労働者党国際会議」で再度確認され強調されたように、社会変革と革命において、民主主義と社会主義をざす闘争において原動力となるのは、労働者階級と広範な人民の大衆行動の力である。危機の深刻化は歴史を創造する大衆の活動力を著しく強め高めずにはおかない。だから今日ほど「革命的階級の能力」を鍛えあげ、大衆行動を首尾一貫して指導するマルクス主義者の目的意識的活動の強化が客観的に要請されている時はない。大衆闘争とマルクス主義がーつの現実的で革命的な力に結合され統一されることなしには、今日支配階級によるかつてない収奪と攻撃にさらされている労働者階級と広範な人民をその貧困と窮乏化の現状から脱出させ解放することはできない。マルクス主義者は労働者階級と広範な人民を議会主義的諸政党の政治的指導のもとにゆだねておくことも、支配階級の対立と抗争の深刻化が呼びおこさずにはおかない政治的覚醒の枠内にとどめておくことも許されない。
本特集は、すでに開始されている危機の新しい局面に立向う労働運動と広範な人民大衆の運動にたいするマルクス主義者の間での綱領的・戦術的見解と意見の一致をはかるためのーつの寄与を提供するものである。これらはいずれも試論であり、マルクス主義者の間での広範な討論を組織するための皮切りと問題提起のためのものである。もちろん論者たちの見解は具体的な問題のすべての点で一致しているわけでばない。しかしマルクス主義の原則と党派性をまもること、労働運動と人民運動の政策の理論的基礎を提示すること、それによって現実的変革にたちむかうことのけ的意識性は共通のものである。
(一九七四・八 文責 K・S、K・M)