【書評】『原発プロパガンダ』

【書評】『原発プロパガンダ』
       (本間龍著、岩波新書、2016年4月発行、820円+税) 

 「原発は日本のエネルギーの三分の一を担っている」、「原発は絶対安全なシステム」、「原発はクリーンエネルギー」、「原発は再生可能なエネルギー」というキャッチフレーズを聞き慣れた人は多いであろう。しかしこれらのフレーズは、実は「一つ一つの広告の中で必ず使用するように決められた言葉なのだ」。本書は、これを「原発プロパガンダ」と名づけ、その構造の解明を試みる。
 プロパガンダとは、政治的な思惑を伴う場面で人びとにその実施を悟られずにマインドコントロールする「宣伝広告」であるが、原発の場合、「一九五〇年代から国策として国が主導し、政官学と電力業界を中心とする経済界が展開した原発推進PR活動」を指し、「多くの人々の意識に原発推進を訴えかけ、無意識のうちに同調させる」こととなった。3・11以前の日本社会では、国民の8割近くが原発推進に肯定的だったという世論調査(2009年内閣府「原子力に関する特別世論調査」)も偶然ではなく、まさしく「戦後40年以上、原発礼賛の宣伝広告活動を延々と展開してきた」原子力ムラのプロパガンダの成果である。
 そのために費やした金額は、これまでに最低でも約2兆4000億円に上る(1970~2011年)。この巨大な金額は、ソニーやトヨタなどのグローバル企業の宣伝費(国内単体の広告費が年間500億円程度)に匹敵する。つまり「ローカル企業の集まりにすぎない電力会社が、グローバル企業と同等の広告費を四〇年以上にわたって投下してきたということになる」。最近まで競合が存在しなかった地域独占体の電力会社には、本来このような巨額の広告費は不要であったはずだが、この広告費は多くの国民に「原発推進への漫然とした是認意識を植えつける」ために使用されてきたのである。しかも驚くべきことは、これら広告費の原資がすべて、利用者の電気料金であったということである。電力会社の総括原価方式(すべての経費を原価に計上し、電気料金として利用者に請求できる)により、宣伝広告費も原価に含まれ、利用者に請求されてきたのである。「まるでブラックジョークだが、原発に反対する人からも電気料金は徴収され、その中から原発プロパガンダの原資に活用されたのだった」。
 本書は、こうしたプロパガンダを可能にしてきた条件を日本の広告業界の特殊性に見る。それは欧米のように、寡占防止のための一業種一社制(一つの広告会社は同時に二つ以上の同業種他社の広告を扱えない制度)や広告制作部門とメディア購入部門の分離の大原則がないことに加えて、日本では広告会社は「(メディアのために)メディアの枠をスポンサーに売る」=メディアは広告会社から「広告を売ってもらう」という体質である。このため、どの業種でも上位2社(電通と博報堂)がすべてのスポンサーを得意先に抱えているので、メディアはこの2社に反抗できないという仕組みになっている。
 この結果「反原発報道を望まない東電や関電、電事連などの『意向』は両社によってメディア各社に伝えられ、隠然たる勢力を発揮していった」。つまり「『広告費を形(かた)にした』恫喝を行うのが、広告代理店の仕事であった」のである。
 本書は、3・11に至るまでの原発プロパガンダの歴史を、「第1章 黎明期(1968~79)」、「第2章 発展期(1980~89)」、「第3章 完成期(1990~99)」、「第4章 爛熟期から崩壊へ(2000~11)」と時間を追って解明していく。その詳細は本書を見ていただくとしても、例えば普及開発費(東電の広告費)が原発事故の度事に飛躍的に膨張していく経過は異常としか言えない(1979年スリーマイル事故の翌年53億円→1986年チェルノブイリ事故の翌年150億円→2002年東電トラブル隠し発覚→2004年美浜原発3号機事故の翌年293億円)。
 このような「安全神話」は、2011年の福島第一原発の事故により、崩壊した。「しかし事故後の年月を経て、プロパガンダは次第に復活しつつある」。すなわち「かつてのような原発の安全性を謳う広告・PR展開がほぼ不可能になる中で、原子力ムラはついに安全性への言及を諦め、別の方策を実行し始めた。それが、原発事故の影響を極力矮小化し、『事故で放出された放射能の危険性は小さく、健康への影響はない』という『安心神話』の流布である」。この「安心神話」は、放射線リスクコミュニケーション(「元々自然の中にも放射線はあるのだから、福島第一原発の事故で出た放射線も大したことはない」という、自然放射線と事故による人工放射線を同一視する理屈で、安全対策に対する認識の共有を図るやり方)とタイアップして進められており、福島第一原発の実情を無視し、既に危機は去ったかのように言説を展開する。これに更に「風評被害の撲滅」という「新たな錦の御旗」が付け加わることにより、プロパガンダは一層進められていると言えよう。
 これに対して本書は、「しかし、そもそも風評という言葉の意味は非常に曖昧である。実際に害が発生しているからこそ、その周辺に噂が立つのであって、火のないところに煙は立たない。原発事故によって実際に放射能汚染や被害が発生しているのに、それらをすべて『風評被害』と呼ぶのは、真実を見て見ぬふりをするのと同じである」と、原子力ムラが「人々の素朴な感情」巧みに利用するのを批判する。
 このように本書は、原発をめぐるこれまでのプロパガンダが、国、電力業界、マスメディアによっていかに呼吸を合わせて巧妙かつ広範に実施されてきたかを炙り出す。そしてこのプロパガンダが今後も強力に持続されると警鐘を鳴らす。原発事故が次第に過去のものとされて行く危険性が現れつつある現在、貴重な視点を与えてくれる一冊である。(R)

【出典】 アサート No.474 2017年5月27日

カテゴリー: 原発, 書評, 書評R パーマリンク