【書評】『燃える森に生きる—インドネシア・スマトラ島 紙と油に消える熱帯林』
(内田道雄著、新泉社、2,016年5月、2,400円+税)
地球温暖化と関係が深い森林破壊問題の中で、わが国ではあまり報道されない、インドネシアにおける油ヤシ園をめぐるレポートが本書である。著者は、インドネシアをはじめ、タイ、フィリピン、マレーシアなどの環境問題、少数民族の取材を続けているフォトジャーナリストである。
とはいえ、森林破壊の元凶と言われているパルプ材伐採についてはともかく、インドネシアで森林破壊の最大の原因であるとされる油ヤシがどんな問題を引き起こしているかをわれわれはほとんど知らない。そもそも油ヤシとは、植物油の採れるヤシ科の植物であり、実の果肉からパーム油が、種(パーム核)からパーム核油が採れ、どちらも有用に使用される。2013年の日本の輸入量は、パーム油が59万トン、パーム核油が9万4000トンで、全植物油使用量の約42%にあたる(輸入先は現在のところ8割がマレーシア、2割がインドネシア)。
2014年の生産量はインドネシアが3000万トン、マレーシアが2000万トンで世界の8割以上、しかも世界のパーム油・パーム核油生産で全植物油脂生産量全体の40%以上という数字が出ている。その理由は、値段の安さ(菜種油や大豆油の約6割の価格)、しかも単位面積当たりの収量の多さ、そして生産コストの低さである。だが「この安さは低賃金労働者に支えられたものなのだ」と本書は語る。そもそもインドネシアで油ヤシの大規模栽培が始まるのは1911年で、第二次大戦や政治的不安定のためそれ程の産業でもなかったが、政情安定から後、生産・輸出ともに増大し、現在では外貨獲得の重要産業となっている。しかも油ヤシの栽培適地が熱帯雨林地域であるという事情から、熱帯雨林が油ヤシ農園のために消えていく。「インドネシアでは1990年から2005年にかけて、油ヤシ農園のために350万ヘクタールの森林が消えたといわれる」。そしてヤシ油の製品化の性質上、搾油工場を農園の近くに設置する必要があるため、油ヤシは大規模栽培のプランテーション方式でしか栽培できない(最低でも3000ヘクタール)。
こういった事情から、転換林(森林伐採の跡地、草原など)のみならず自然林や保護区までが開発され、当然のことながら土地の権利に関する争いも起こる。油ヤシ農園の企業の土地と昔から集落が保有している土地との境界や所有権があいまいということも手伝って、あちらこちらで紛争が生じ、多くは政府の後押しで企業がゴリ押しをし、極端な場合には村が消されていくこともある。しかも伐採が泥炭湿地林にまで及んでいるという由々しき状況もある。泥炭湿地とは、降水量の多い湿地では枯れた植物が水に浸かってしまい分解が進まない、その上に次々と植物遺体が積み重なって泥炭となった湿地を指すが、油ヤシはこうした土地でも栽培できるからである。ところがここを伐採すると、地中の有機物が酸素にさらされ分解が始まり、大量の温室効果ガスが排出される。(これについて言えば、世界の泥炭地に含まれる二酸化炭素の量は、世界の森林に蓄積されている量よりも多いという。)
これだけでも近未来的には大問題であるが、さらに伐採によって森の居住地を奪われ止むなく油ヤシ農園の中や近辺に住まざるを得ないオランリンバといわれる狩猟採集民が紹介される。(インドネシア語で、オランは人、リンバは密林という意味。ちなみにオランウータンとは森の人という意味であるが、これは類人猿。)彼らは今でも密林で数が月単位で森を移動する狩猟採集生活を送っている。しかし油ヤシ農園の拡大により生活の基盤が危機にさらされている。地方政府の定住政策には馴染んでいず、また生活様式や所有観念の違いから定住住民とのトラブルも生じている。
本書はこうした油ヤシ園の諸問題を、スマトラ島北部のリアウ州・ジャンビ州の村々において実際に体験観察しながら問題提起していく。それはわれわれの身近にあるパーム油が持つ背景—-近代資本主義世界の構造の一部を浮かび上がらせる。こうした視点から見れば、本書の次の指摘が何とも皮肉に聞こえる。
「インドネシアでは油ヤシの二割から三割は泥炭地に植えられている。泥炭地の土壌は酸性が強いが、油ヤシは栽培できるからだ。ところが、泥炭地は開発するときに大量の温暖効果ガスを放出する。泥炭地に植えられた油ヤシでバイオ燃料を作ったとしても、炭素が相殺されるのに四二〇年から八四〇年もかかるという研究もある」。
こうしてみれば、化石燃料に代わるとされるバイオ燃料も、ヤシ油から採れた植物性油脂で作られた「地球にやさしい洗剤」も、必ずしも環境に良いわけではないということに気づく。本書は環境問題について、また違う視点を与えてくれる。難を言えば、名前は知っているが、実地には馴染みのないスマトラ島の説明がもう少しあればと思うが、しかしそれを補って余りある油ヤシ農園の造成地—-見渡す限りの森林の伐採地=造成地—-や泥炭地などの写真は圧倒的に迫ってくる。これを契機にこの問題についての理解が深まっていくことを期待する。(R)
【出典】 アサート No.473 2017年4月22日