【投稿】暴力を全て沖縄に押し付けて恥じない日本人と「琉球独立論」台頭の意味

【投稿】暴力を全て沖縄に押し付けて恥じない日本人と「琉球独立論」台頭の意味
                          福井 杉本達也 

1 日米地位協定の現状
 5月19日、沖縄県うるま市の女性殺害容疑で米「軍属」の男が逮捕された。今回、男は「公務外」であり、米軍基地に逃げ込む前に沖縄県警が身柄を確保したこともあり逮捕できたが、「日米地位協定」では、公務であれば裁判権は米国にあり、「米兵」については公務外でも起訴前に身柄を拘束することができない。「地位協定」では日本への出入国には特権があってフリーであり、どのような犯罪をしようとも国外逃亡は可能である。米軍基地内のみならず、米兵・軍属・その家族の法的取り扱いは全くの不平等状態にある。2004年には沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落したが、現場では米軍が規制線を張り、日本の警察は規制線から一歩も中に入ることはできず、現場検証をするなどはできなかった。米軍の手で現場検証をし、証拠物件は全て米軍基地内に持ちさられ証拠隠滅が図られた。米軍基地内は日本の法律が適用されない治外法権の場所だが、事故が発生すると発生場所も治外法権の場所となる。返還されても沖縄はアメリカの「植民地」であることが明らかである。

2 他国の米軍駐留協定との比較
 ドイツでは、地位協定で、たとえ米軍基地周辺といえども国内では、米軍機が飛行禁止区域や低空飛行禁止を定めるドイツ国内法(航空法)が適用される。韓国では米兵に韓国の裁判権が及ばないことは日本と同様であるが、「環境条項」が韓米地位協定で創設されていて、基地内での汚染について各自治体が基地内に立ち入って調査できる「共同調査権」が確立されている。また、返還された米軍基地内で汚染が見つかれば、米軍が浄化義務を負いる。
 フセイン政権が打倒され米軍に占領されたイラクでは、米兵・軍属に関するイラクの裁判権は「公務外」に限るとされ「公務中」か「公務外」であるか決めるのは米軍当局が行う。これは日本の地位協定と同じだが、民間の契約会社に対する裁判権はイラクにあると協定で明記されている。これは、2007年バグダッド市内で米民間軍事会社のブラックウォーター社員が銃を乱射し多数の市民を殺傷する事件があったからであり、イラク政府の強い要請による。また、「イラク周辺への米軍の越境攻撃禁止条項」やイラク当局は、「イラクに入国し、またはイラクから出国する米軍人と軍属の名簿を点検し、確認する権限」を持つと定めている(前泊博盛『日米地位協定入門』)。
 アフガンでも米軍・NATOの一時裁判権は米軍・NATOにあるが、民間軍事会社についてはアフガン側にある。ところが、「 イラクで入権侵害の国際問題を起こした 民間軍事会社の一つが日本で軍属として地位協定の特権をえていた。米軍との契約関係にあるのはあくまでもその会社であり、そこで働く個人は米軍の直接的な管理下にはないにもかかわらずだ。この点で、裁判権を巡る日本の地位はアフガンのそれよりも低いと言える。」(伊勢崎賢治「発効から不変の地位協定」福井:2016.6.12)。民間軍事会社とは米国の「戦争の民営化」を象徴する会社であり、その社員は事実上の米兵以外のなにものでもなく、米国の侵略戦争の相当分を担っている。
 問題は、日本はアフガン以下の外国軍隊による「占領下」・「植民地」の地位にありながら、日本人はそれを全く理解していないということにある。しかも、その暴力の負担のほとんど全てを本土の1億人が100万人の「琉球」に押し付け、本土は米国の「植民地」でありながら「植民地」を意識せず、「琉球」を米国と日本自らによる二重の「植民地」とし、その自覚もないことにある。この仕掛けは巧妙ではあるが、巧妙さの上に安住してきたのである。

3 「沖縄差別」の現状と「琉球独立論」
 国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に全国の約74パーセントの在日米軍専用施設を押しつけて恥じない日本政府とそれを支持する多数の日本国民という不条理な構図で、多くの沖縄県民の反対にもかかわらず辺野古新基地建設が強行されている。米軍によって日本は守ってほしいが、基地は沖縄においても構わないと大部分の日本人が考えていることが白日の下に晒され、「沖縄差別」という批判の声が沖縄県民からあがり、自分たちは差別された存在だという意識が表面化した。それが翁長知事の誕生につながった。この間、翁長知事は時間をかけて、丁寧に建設許可取り消しをしたが、日本政府は聞く耳を持たず、「粛々とすすめる」というばかりである。
 女性殺害事件後、米国防省報道部長は早々と「われわれは長年にわたって地位協定の改善で対応してきた」とし、地位協定の改正に否定的見解を示し、安倍首相も5月23日の参院で「相手があることだ」と翁長知事の要望を突っぱねた。日本政府は自国民である沖縄県民の生命を守らず、地位協定を改正しようとしない。このような日本に対して沖縄県民は「琉球人」として「沖縄差別」と批判するようになった。それは「琉球人」が自らを被差別者、抵抗の主体として自覚したことを意味する。「琉球人」が従属的な地位を逆転させ、日本人と平等な関係性を形成しようとするナショナリズムが台頭してきている。

4 「琉球国」の歴史
 琉球国は14世紀頃は北山、中山、南山という3つの国が沖縄島にあった。1429年に現在の首里城に統一され、その後、東アジア・東南アジアと交易をして小さいながら貿易国家として存在していた。15世紀初頭、尚巴志によって統一された琉球国は天皇の秩序体系とは無縁の独立した国家であった。その支配の正当性は、中国皇帝からの冊封と女性が執りおこなう国家祭祀に基づいていたとされている。
 1609年の島津藩の侵攻によってあえなく首里城を明け渡し、年貢として米・黒糖・布などを収奪され、島津の属国のような地位にありながらも、独立国として存立し続けていた。1854年のペリーとの琉米条約、1855年のフランスとの琉仏条約、1859年オランダとの琉蘭条約は琉球国が国家主体として締結した。
 1871年(明治4年)明治維新政府によって、本土で廃藩置県が実行された際には、琉球国は鹿児島県の管轄下に置かれ、翌年に琉球藩とされた。そして、明治維新政府は琉球藩処分法を制定し、処分官に任命された松田道之が、1879年陸軍歩兵を引き連れて首里城に乗り込み、「首里城明け渡し」を命じたいわゆる「琉球併合(国家官僚は琉球を独立国家として認めない立場から「処分」と呼ぶ)」によって、琉球藩は廃止され沖縄県として廃藩置県がなされた。その後、「琉球人」は、明治憲法下の天皇制国家の下に組み込まれ1945年には本土防衛のための「捨石」作戦により、「鉄の暴風」が吹きすさぶなか、4人に1人:十数万人の命が奪われた。
 1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約により正式に日本から「琉球」が切り離された。「琉球人」にとって4月28日は安倍晋三のいうような「主権回復の日」ではなく「屈辱の日」である。1879年の琉球併合・1972年の「復帰」も「琉球人」が住民投票(合意)によって国際法上の正式な手続きに基づいて自らの政治的地位を決定したのではない。名のみの「復帰」から現在に至るまで過剰負担の米軍軍事基地の重圧にあえいでいる。現在、内政外交面では日本国、軍事面ではアメリカ主導で支配されている。

5 「琉球独立」の場合の根拠法
 内閣法制局の見解では、憲法には「琉球」の独立を認める規定はない、憲法など国内法に基づいた独立は不可能であるという。しかし国連、国際法の枠組みで、例えば、東チモールのように国連の非地域自治リストに載り、国連の選挙監視団がやってきて平和的に独立の住民投票をして、世界の国々が国家承認をすれば、独立することができる。スコットランドの住民投票の場合は、イギリス政府は投票の結果を認めると合意したのである。「琉球」に基地を押し続ける日本政府は、そのような合意をしないと思われる。国際法に基づく住民投票の方が「琉球」にとって実現可能性が高いと龍谷大学の松島泰勝教授はいう。

6 日本人は「琉球独立」にどう対応していくのか
 今日の強権的な安倍政権を生みだしたのは「できれば国外移転、最低でも県外に」という普天間移設の公約を突然翻した稚拙な鳩山由紀夫の政権運営にあったとの意見が多い。鳩山は官僚機構をうまく使いきれず、官僚の反感を買って米国の意向を汲んだ情報がうまく上がってこなかったというのである。
 これは米国に従属することこそが自らの存立基盤であるとする日本の官僚とマスコミが作り上げたフィクションであり、鳩山は実際に沖縄の民意を最も深く理解した数少ない政治家の一人であり、その鳩山を孤立させてしまった。鳩山の考えに賛同せず、孤立させたことさえ理解しないで、鳩山一人に責任があるとするのは、自らも「植民地」の立場あることを見ない無残な日本人の姿である。
 「琉球独立論」は、こうした巧妙に絡み取られている本土の日本人に対する強い意思表示である。これに、イギリスのスコットランド独立の住民投票のように、少なくとも形式上の民主主義的対応を示すのか、フランスのアルジェリア独立やインドシナのディエンビエンフーのように徹底的な弾圧で臨むのか日本人自身に問いが突き付けられているといえる。 

【出典】 アサート No.463 2016年6月25日

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