【投稿】法を守らない国家に法を守らせるには

【投稿】法を守らない国家に法を守らせるには
          —原発再稼働をさせないために—
                        福井 杉本達也 

1 法律を作ったものが法律を守らないとんでもない社会
 日本の法令では1㎡あたり4万ベクレルを超えて放射能で汚れているものは、どんなものでも放射線管理区域外に持ち出してはならないことになっているが、福島原発事故では1万4000平方キロもの大地が4万ベクレル以上の放射能で汚染され、政府はそこに住む数百万人の人々を棄民してしまっている(小出裕章:『世界』2015,5)。日本では被曝の基準は「一般人1年1ミリシーベルト、職業人1年20ミリシーベルト」と決まっている。しかし、「法律には被曝量の規定はない」と多くの専門家が発言するようになった。法律にあるものを「ない」とし、政府、マスコミ、専門家は法令で決まったことを無視し、「1年1ミリ」は分かっているが、それを言うと福島の人が移動しなければならない。お金はもったいないし、原発は再開できないという。「法律で1年1ミリと決まっているのだから、みんなでそれを守ろう。」というのが理屈だが、政府が率先して「約束は守らなくても良い」、「事態が変わったのだから、約束は反故にすべきだ」という。(参照:武田邦彦 2015.5.9~11)
「1年1ミリシーベルト」は国際放射線防護委員会(ICRP)で決められたものだから、日本だけが勝手に基準を変更しようとすると、国際的な非難を浴びることとなる。

2 高浜3、4号機再稼働差し止め仮処分決定の意義と限界
 4月14日の福井地裁の判決は、高浜3,4号の安全性だけでなく、国の新規制基準の在り方をも批判している。判決は、「万が一の事故に備えなければならない原子力発電所の基準地震動を地震の平均像を基に策定することに合理性は見い出し難いから、基準地震動はその実績のみならず理論面でも信頼性を失っていることになる」「本件(高浜)原発の安全施設、安全技術には多方面にわたり脆弱性がある。この脆弱性は、①基準地震動の策定基準を見直し、基準地震動を大幅に引き上げ、それに応じた根本的な耐震工事を実施する、②外部電源と主給水の双方について基準地震動に耐えられるように耐震性をSクラスにする、③使用済み核燃料を堅固な施設で囲い込む、④使用済み核燃料プールの給水設備の耐震性をSクラスにするという各方策がとられることによってしか解消できない」「新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえるような厳格な内容を備えていることである。しかるに、新規制基準は緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない」と、基準地震動の評価の信頼性を指摘し、原発施設の脆弱性、新規制基準の非合理性を指摘している。全く理路整然とした判決である。外部電源と主給水、使用済み核燃料プールの給水設備を原子炉と同じSクラスの耐震性を持つように工事することも可能であろうが、膨大な費用が掛かる。それでは、再稼働のメリットはなにもない。
 これに対し、判決文でも引用されているが、田中原子力規制委員会委員長の「基準の適合性を審査した。安全だということは申し上げない」としている。基準には適合するが安全ではないという責任逃れをしている。にもかかわらず、菅義偉官房長官は14日午後の定例会見で、「原子力規制委員会が専門的見地から十分に時間をかけて基準に適合すると判断した。その判断を尊重して再稼働を進める方針に変わりはない」と話し、「粛々と進める」と強調し、こちらは安全判断を規制委に丸投げする無責任さであり、政府と規制委のキャッチボールで誰も責任を取らない体制が構築されている。

3 原発再稼働圧力と日米原子力協定について
 今回の福井地裁の決定に関連し、住民側弁護士を務める河合弘之氏(映画『日本と原発』監督)が雑誌『世界』2015年5月号において、「日米原子力協定は脱原発の障害か」として、矢部宏治氏の『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル:2014)を批判しているので触れておく。河合弁護士は日米原子力協定には「原子力発電」という文言は出てこない。「原子力の平和利用」という文言が出てくるだけで、「原子力の平和利用」と原子力発電は同義ではなく、「原子力の平和利用」を義務づけるのは、核不拡散を定めるためであるとし、原子力発電の分野においては、米国は明確な国際戦略は持たず、強固な国家意思に基づいて政策は決定していないと述べ、敵を実態以上に強大に描いていると矢部氏を批判している。しかし、原発は、1949年、ソ連も核実験を行い、米国の核独占が崩れたことにより、同盟国ばかりか米国自身も動揺したことを受け、米アイゼンハワー大統領が、1953年12月8日にニューヨークの国連総会で行った演説で提唱した「Atoms for Peace」(核の平和利用)という名目で、同盟国の懐柔を図った中で生まれたものである。したがって、明確な国際戦略に基づいていることは疑いえない。河合弁護士の論旨は米核軍産複合体との対決を奇妙に避けている。「原子力の平和利用」と原発を峻別し、あたかも原発以外の核の利用方法があるかのような印象が与えるが、そのようなものはあり得ない。核兵器に使用する濃縮ウランを、また一方で大量に使うことができるのは原発以外にはない。「医療分野」などというのはほとんど付けたしである。氏の論理は脱原発を裁判の枠内に閉じ込めることになりはしないか。

4 街頭デモまたは一揆
 裁判で敗訴しようがどうしようが、徹底して法を守らない国家に対して「国民」はどうすべきか。日本では1980年代以降、3.11までほとんどデモらしきデモはなくなってしまっていた。日本の歴史を紐解くと、「飛礫を打つ」という単純きわまる行動がある。単純であるだけに人間の本源と深くかかわっており、飛礫、石打ちにまつわる習俗は、民族を越えて人類の社会に広く根をはり、無視しがたい大きな役割を果たしてきたと歴史学者:故網野善彦が『異形の王権』(平凡社ライブラリー):「中世の飛礫について」において 指摘している。「飛礫は三宝の所為」といい、つぶてが単なる石ころではなく、神仏の意志がこもっているものとの理解があった。また、つぶてには悪霊を清める力があり、こらしめの呪力があると信じられた。飛礫打ちは、時の権力への不服従を表明している。
 なぜ、デモが無くなっていたかというと、1960年以後のデモは、学生と労働者との断絶が続き、学生デモはより過激になってしまい、これまで普通の市民は参加できなかった。しかも、連合の中心労組は電力総連であり、当然再稼働支持。連合の支援を受ける民主党も原発支持となる。これではデモはできない。
 国民主権といわれ、選挙で投票はするが、「国民」は、それ以降は、議員という代行者(選ばれた時点で国家機構=官僚機構の一部に転化する)に従うほかない。内実は、国家機関としての官僚に従うこととなる。誰かがやってくれるのを待っていると、結局、橋下大阪市長のようなデマゴーグを担ぎ上げることになる。3.11以降毎週金曜日に官邸前でデモがあるが、当初、新聞もテレビも全く報道しなかった。わざわざ遠い海外の出来事である中国の反日デモや香港のデモは大々的に報道するのにである。しかし、今日、インターネットがあり、もはや隠し通すことはできない。
 裁判闘争は脱原発には重要であり、論点を緻密に整理することができる。しかし、裁判所も国家機構の一部であり、費用も時間も労力もかかり、四大公害裁判やハンセン病裁判のような例外もあるが、水俣病裁判のように運動が弱くなれば官僚の設けた枠を突破することは困難である。そこに留まっていては脱原発はできない。自民党は来年度中に年間50ミリシーベルト以下の居住制限区域にも福島県民を住まわせようとしている(朝日:2015.5.14)。日本の法令は1ミリシーベルトなので、その50倍も汚染されている「放射線管理区域」にである。官僚が法令を無視するなら、デモで抗議することが当たり前だというふうにならなければならない(参照:柄谷行人ブログ)。

5 「国際法」あるいは「諸国家連邦」
 台湾は放射性物質が含まれている恐れがあるとして福島第1原発事故後に導入した日本の食品に対する輸入規制を強化する問題で、日台協議が行われたが、物別れに終わり、日本からの食品輸入が全て停止するという(産経:2015.5.14)。発端は、台湾の輸入会社が輸入した味の素や永谷園・はごろもフーズなどのメーカーの食品283種類が、輸入を禁じている福島、茨城、群馬、栃木、千葉の5県産だったが、東京・大阪など他県産と偽る中国語のシールが貼られており、産地偽装が明らかとなったからである。台湾は米国・香港に次ぐ3位の日本からの食品輸出先である。林農相はWTOに提訴すると息巻いているが、日本「国民」には通用する偽装も国際法上は通用しない。米国も5県産については厳しい輸入規制を行っている(JETRO)。
 「一般人1年1ミリシーベルト、職業人1年20ミリシーベルト」についてもICRPの議論の中で決まったことであり、「科学的根拠ない」という批判もあるが、もとも放射線量の考え方はがまん値の考えであり(武谷三男)、核を利用する側と利益を受けず浴びる側との及び諸国家間のせめぎあいの妥協の産物である。もし、仮に日本が一般人の許容基準を「1年20ミリシーベルト」に変えるならば、日本からの輸出食品・工業製品は全て放射能検査されることなる。また、日本に行けば20ミリシーベルトも被曝する恐れがあるとするならば外国からの観光客は激減することとなる。日本で働く外国人は勤務を拒否することもある。そのようなことはこの時代可能なのか。被曝基準を弄るということ=国際基準を無視するということは大変な事態を招くということである。
 田中規制委員長は再三、福島第一原発内に留まる膨大な汚染水の海洋への放出に言及しているが(朝日:2014.12.13)、ロンドン条約では1993年には全て放射性廃棄物の海洋投棄が禁止となっている。太平洋沿岸諸国家に日本政府の無法を訴え、諸国家連邦からの国際的圧力が必要である。 

 【出典】 アサート No.450 2015年5月23日

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