【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(4)

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(4) 

▼ 前号で筆者は「勝敗を決する決定的問題」として「統一戦線の政策課題」を取り上げ、安倍政権に対抗する陣営が「原発ゼロ政策と成長政策を結合させる基本姿勢」、「雇用を拡大させ、窮乏化にストップをかける、そうした根本的転換を促進する具体的政策」、「デフレ経済下で進行する貧困化と格差の拡大を克服する戦略」、「その実現に向けた政策提起も、それを中心に据える統一戦線戦略も提起しえなかったところに最大の政治的・政策的敗北の原因があった」と指摘した。
 4/6の京都府知事選に引き続いて、4/27投開票の鹿児島2区補選と那覇市長選の結果は、残念ながらその指摘を再び強調せざるを得ない事態である。それぞれに様相が違うとはいえ、さすがに沖縄では反自民統一戦線が形成され、肉薄はしたが、鹿児島では全くバラバラで、いずれも自民党候補に勝利をもたらした。
 外交評論家の天木直人氏は自身の4/28付ブログで「絶望的な今の日本の政治状況を見せつけた二つの選挙」と題して、「それにしてもきのう4月27日に行われた鹿児島補選と那覇市長選の結果には、あらためて失望した」として、「選挙違反で失脚した自民党候補の後任を選ぶ選挙であるにもかかわらず、自民党候補が勝った」、「オール沖縄が普天間基地移転反対であるはずなのに、移転容認の市長が誕生した」「国民の期待を担って政権交代を果たした民主党は、3年間も権力を掌握したにもかかわらず自滅してやすやすと安倍自民党政権を復活させた。しかも野党になって、党勢を立て直すどころかますます迷走し、国民を裏切り続け、沖縄市長選に至っては自民党候補を支持する始末だ。その無責任さは万死に値する。もう一つの野党である共産党は、「自民党に正面から対抗する唯一の野党」を売り物にして自画自賛を繰り返す。安倍自民党政権を倒すべき野党共闘を拒み続けている。今度の鹿児島補選でも敗北が目に見えているのに独自の候補を立てて惨敗している。その共産党の真骨頂があの東京都知事選における共闘拒否だ」と述べ、そして最後に「私は単純に、民主党と共産党にこそ、自民党をここまで復活させ、野党を多弱にしてしまった大きな責任があると思う。今の政治状況はまさしく絶望的だ。それでも絶望してはいられない。どうすれば今の絶望的な政治状況が変えられるのか。名案があったら教えてもらいたい」と結んでおられる。
▼ こうした指摘は確かに正鵠を射ているのであるが、「野党多弱」の根本原因が、統一戦線姿勢の欠如のみならず、その政治的経済的政策課題提起において、アベノミクスの一人勝ちを許すような「成長抑制」路線をしか提起できなかったところにあることを指摘する論者やそうした視点に基づいた総括は極めて少ない。
 先の二つの選挙においても、自民党候補はいずれも、彼らが推し進める原発再稼働(鹿児島・川内原発)や辺野古移設容認問題(沖縄)が選挙の争点になること自体を徹底的に避け、消費税増税やTPP、集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の廃止、緊張激化・軍国主義化政策など問われるべき国政の重要政策を決して真正面には掲げず、沖縄では失業率が高く、所得水準が低い現状を「革新不況」などとデマり、アベノミクスと地域経済への財政・予算支援、経済振興策に期待を抱かせる選挙戦略を徹底して、論戦を避け、逃げを図り、またそうしなければ勝てなかったのがその選挙戦の実態であり、それはとても安倍政権の「信任選挙」などと言えるものではなかったのである。
 このような安倍路線に対して、疲弊し衰退し、大きな地域格差に苦しむ地方に予算をつぎ込み、経済を活性化することを、その実態と対置すべき中身で批判するのではなく、ムダなバラマキとしか批判できず、緊縮財政路線と成長抑制路線を事実上容認するような現在の野党の路線では勝てる選挙であっても勝てないのは自明である。
 アベノミクスは「成長政策」と称しながら、最低限の経済成長にさえ打撃を与え、低所得層に最も苦難を強いる消費税増税を強行し、非正規雇用をさらに拡大させ、生涯低賃金の「生涯派遣」を強いる雇用の規制緩和や、いつでも自由に金銭解決で解雇できる「解雇特区」、さらには際限なく働かせる「残業代ゼロ」案を「成長戦略の柱」と位置付ける、まさに「成長政策」とは対極にある成長抑制政策、勤労所得低下政策、貧困拡大政策なのである。彼らが喧伝するアベノミクスによる景気拡大の「トリクルダウン効果」(おすそ分け効果)などそもそも圧倒的多数の庶民層には存在しないし、ありえないのである。それは徹底した規制緩和と民営化による一部の独占資本・金融資本、特権層・富裕層をさらに肥え太らせる、彼らのみが恩恵を受ける弱肉強食の自由競争原理主義=新自由主義・惨事便乗型資本主義による社会保障・社会資本切り捨ての格差拡大と全国民窮乏化政策なのである。
▼ こうした政策に対置されるべきなのは、消費税増税ではなく、格差拡大と所得分配の不平等化に対する富裕層の課税強化、所得税の累進税率の強化、そして実体経済を上回る投機的金融取引に対する課税強化、これによって持続的かつ安定的、そして十分な財源を確保できることを明示することである。
 こうした所得の再分配政策と同時に、3・11東日本大震災・原発事故が提起した原発ゼロへのエネルギー政策の根本的転換、原発依存の独占・集権型エネルギー政策から、再生エネルギーを促進する分権・分散型エネルギー政策への転換、一極集中から分権・分散・相互連携型のいのちと福祉と教育、自然環境を守る積極的経済政策への転換、それこそが雇用を拡大・安定させる政策であり、これを税政策、徹底した平和・善隣友好政策と結びつけることである。このような基本政策こそが、自民党の一方的勝利を許さない、安倍政権を孤立化させる、「今の日本の政治状況」に「絶望する」必要などない、現状を打破する対抗戦略として提起されるべきであろう。
 安倍政権の原発再稼働や集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の廃止、9条のなし崩し憲法改悪、緊張激化・軍国主義化政策などはどれもこれも支持されておらず、これらに反対する意見が各種世論調査において多数派を占めていることは明らかであり、にもかかわらず安倍政権が持ちこたえているのはひとえにアベノミクス効果であり、微々たるものであれその総需要拡大効果なのである。これに対する対抗戦略を打ち出さずしては、支持できる選択肢を無きものとし、棄権の増大と投票率の低下をさらに促進し、安倍政権を退場に追い込むことは不可能であろう。こうした状況下での投票率の低下、棄権票の増大は、安倍政権の望むところであり、今や最大の政治勢力となった無党派層を無関心と棄権に追い込み、「多弱野党」のそれぞれは無党派層への魅力ある統一した働き掛けを放棄し、それぞれが「わが党こそが」という自己の勢力拡大、主体形成にのみ執心し、安倍政権を退陣に追い込むような強大な統一戦線の形成など視野の外に置かれる事態をもたらしてしまうのである。
▼ そして現実の政治状況においては、残念なことながらこうした対抗戦略、統一戦線戦略はなかなか現実化しそうにもない。
 都知事選をめぐって、宇都宮陣営の「希望のまち東京をつくる会」の「選挙総括(完成版)」が公表され(http://utsunomiyakenji.com/pdf/20140316soukatsu_final.pdf)、5月にはそれに基づいて地域集会も持たれ、宇都宮氏自身も参加、発言されている。表現は懇切丁寧であり、その真面目さや真剣さは伝わるのであるが、前号で紹介した統一候補や統一戦線形成に対する姿勢は全く変わってはいないし、前向きな変化も前進もほとんど見られない。
 この総括文書では、「2014宇都宮選挙の成果と教訓とは」と題して、「おおいに健闘した選挙でしたが、私たちの現在の力量では、まだまだ保守の岩盤を掘り崩すに至らなかったことを深く自覚したいと思います。そして、保守の厚い岩盤を掘り崩すことは、知名度やその時々の「風」に頼るのではなく、こつこつと市民運動を広げていく地道な、そして積極的な努力でしか達成できないということも、今回の選挙戦の重要な教訓であったと思います。」と述べて、「知名度」や「風」を獲得できなかった現実を反省するのではなく、悪の権化として唾棄する。
 そして「『一本化』論の幻想」の項では、「保守層の支持獲得を最大の大義名分として宇都宮さんの「合流」=立候補取り下げを迫った「一本化」論ですが、実際には、小泉流の劇場型選挙に頼る以外に戦略を持っていなかったというのが実情ではなかったでしょうか。明確な戦略が欠如したまま、形式的に「一本化」が実現しても、とうてい保守層に浸透することはできなかったでしょう。」と「一本化」への努力を突き放してしまい、統一して闘うことを放棄した言い訳、自己弁護に終始してしまっている。たとえ今回慌しい状況の中で不可能であったとしても、次につなげる統一戦線への意欲、姿勢、戦略も示し得ていない。
▼ この総括文書は最後に「私たちが今回得た最大の成果の一つは、まさにこの選挙戦を通じて得られた市民同士のつながりであり、「私たちは微力ではあるが無力ではない」という感覚にほかなりません。この感覚こそ、この社会で民主主義が再起していく上で決定的に重要なものだと私たちは感じています。結果は紛れもなく敗北でありましたが、勝利に向けた貴重な一歩を築いた選挙戦であったと、私たちは今回の選挙を総括したいと思います。」と述べている。
 選挙総括の最大の成果を、「微力ではあるが無力ではない」という感覚に収斂し、極めて主観的な仲間内の「感覚」を「決定的に重要なもの」とするようでは、「微力」を強力な力に変える、強力な力と結びつける、様々な思想・信条、党派や意見の相違を乗り越えた広範な統一戦線の形成など望むべくもない。つまるところは、自分たちの組織拡大に直接役立たないような統一戦線形成への努力などは放棄して、分かり合える者同士で、その「感覚」を共有できる仲間内で「こつこつと市民運動を広げていく地道な努力」をという主体形成論でしかなくなってしまう。
 こうした主体形成論こそが、実は統一戦線をかえりみないセクト主義の温床なのである。私たちは一貫して正しかったが、他が全て間違っていた、あるいは正しく対応してくれなかったなどとして、仲間内と身内びいきの自画自賛の論理で分裂と分断を正当化し、「こつこつと市民運動を広げていく地道な努力」を生かすことができず、出来かかった統一戦線やそれを実らせる努力をも踏み潰してしまっていることをこそ反省し、総括するべきではないのだろうか。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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