【書評】『アイスランドからの警鐘──国家破綻の現実』

【書評】『アイスランドからの警鐘──国家破綻の現実』
  (アウスゲイル・ジョウンソン著、安喜博彦訳、2012年、新泉社 2,600円+税)

 「〔2008年〕10月の最初の数日、レイキャビクの古い首相官邸は、作戦本部の地下壕のようになった。古典様式の大きな邸宅は全体として華麗であったが(略)、それはこの国の危機対策本部になった。10月2日と3日、木曜日と金曜日、ほとんどすべてのアイスランドのリーダーたちがこの建物の中へと急いだ。/(略)/リーマン・ブラザーズの破綻とグリトニル〔註:アイスランドの3大銀行で最初に経営破綻した銀行〕の国有化の試みでの不手際は、システム全体に広がる危機を引き起こし、金融部門にとってのこれまでのすべてのトラウマはまるでウォーミングアップのように思われた。(略)/パニックの形跡は至るところにある。人々は富へのアクセスのみならず、破壊されないですむ安息の地へのアクセスをすべて失うのではないかと恐れた。レイキャビク中の銀行の外には、現金を引き出そうとする人々の行列ができた。紙幣を詰めたプラスチック袋を手に家路につく年配の女性の姿が、しばしば目についた。支店のマネージャーたちは、午後4時の閉店時間に向かって時計の針が速く進むことをただ祈るのみであった。/(略)/食料雑貨店は,共和国がまもなく外貨準備の不足で必需品を輸入できなくなると予想する買いだめの人々でいっぱいになった」。
 本書は、2008年10月のわずか1週間のうちにその主要銀行のすべてと国そのものが破綻したアイスランドの記録である。その主要な論点は、次の4つ、(1)グローバル金融の原動力としてのアイスランドの勃興、(2)一夜のうちの崩壊への事態、(3)米国とイギリスが果たした決定的役割、すなわちビッグスリーの主要中央銀行(米連邦準備制度、イングランド銀行、ECB〔欧州中央銀行〕)からの切捨て、(4)グローバル・エコノミーに及ぼすこれからの影響、である。
 1980年代までタラ漁業以外には見るべき産業がなかったアイスランド経済は、金融市場が自由化された1990年代末に、米国型の投資仲介バンキング・モデルを採用した、野心的で自由市場志向的な銀行家の世代の登場によって、一挙に国のGDPの10~11倍にのぼる国際的バンキング・システムを構築した。経緯は本書の詳細な記述を見ていただきたいが、その火付け役の一人、シグルドゥル・エイナーソン(アイスランドの最大の銀行であったカウプシングの創設者)は、クライアントのエクイティ・ポジション(株式の買い(売り)持分)の引き受けこそが銀行に大きな利益をもたらすとして、アービトラージ(裁定取引、鞘取り)の機会をとらえる積極運用型の投資銀行を目指した。これによりアイスランドはバンキング帝国へと変容し、わが世の春を謳歌することになる。
 しかし最大の問題は、その流動性(換金・交換のしやすさ)のバックアップが、世界で最小の独自通貨であるアイスランド・クローナ(ISK)に依存していたことにあった。すなわちアイスランドの人口はわずか32万人であり、この人口100万人以下の国で世界唯一の独自通貨は、経済規模としては最初から限界を有していたし、国内での流動性の支えとなるには不十分であった。国際バンキング・システムが順調に機能しているときには問題にはならないが、一旦グローバルな危機が襲ってきたときには、この構造的な弱点が致命傷となったのである。
 そしてまさしく9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻が、アイスランド金融システム全体を流動性危機という地獄に陥れたのである。著者はこの結果を次のように述べる。
「アイスランドの銀行は、金融システムが外国の債権者やアナリストの信用を失ったときに引き起こされた全面的な銀行取り付けによって倒された。国が通貨準備をほとんど用意せずに独自通貨をもち、中央銀行が最後の拠り所となる信用できる貸主として役立ちそうにないということを前提とすれば、おそらく経済理論からみて、この帰結は不可避的なものだと断言してよいであろう。国の負担能力もまた、銀行に資本注入し、あるいは海外の預金者を保護することによって、銀行支援を用意するには不十分であった」。
 つまり「外部の世界が突然、アイスランドの金融システムを国際的なものとして認めなくなると、その途端に実体としてはただのオーバーサイズの国内的システムでしかなかったということである」。
 そしてこれに輪をかけたのがアイスランドを見捨てたビッグスリーの主要中央銀行の姿勢であった。その事情は次の通りである。
 「第一に、問題解決のコスト、危険状態の国を支えるのに必要な貸付額が大きいことである。第二に、国をデレバレッジ(註:不採算部門の売却による負債削減)し、あるいはバンキング・システムを管理できる規模まで削減するために、アイスランド人が信頼可能なプランを策定しなかった。第三に、アイスランド人には不可能な夢を現実のものにした彼らの国際バンキング・システムを放棄する用意が全然なかったように思われる。(略)/さらに言えば、アイスランドを救い出すことは大した恩恵にならない。国際金融の小さな特異な実体として、アイスランドがたとえ破綻しても、国際金融界にはシステミック・リスクの脅威はない。それは北欧の国であるけれども、他のスカンジナビア諸国はそれとは安全な距離を保っていた。(略)国際的な視点からすれば、国としてのアイスランドそのものは、失敗するには大きすぎるというわけではない」。
 要するに「アイスランドの銀行が助けるには大きすぎただけでなく、国としてのアイスランドは助けるには小さすぎた。アイスランドはEU(欧州連合)には参加しておらず、そのバンキング・システムの失敗は『感染性』の恐威を何ら誘発しなかった」のである。
 かくして「アイスランドは結局、外国人が決して共感を覚えるとは考えられない一つの例外にとどまった」。
 そして「アイスランドのケースは、大きな中央銀行からの救済措置を期待できない他の小さな債務国—-それらの国はまさに、デレバレッジという課題に正面から立ち向かわねばならなかった—-に対する警告として役立つと考えられそうである」という教訓を残すことになった。まさしくアイスランドは、国際市場にとっての「炭鉱のカナリア」としての役割を演じたのである。
 「この表現は、毒ガスに対する警報として炭鉱にカナリヤを連れて行く鉱夫たちの古い習慣に由来する。ずっと小さな生物的システムをもっている小鳥は、みずからがガス漏れに最初に襲われることで、鉱夫たちに避難させる時間を与える。多くの点でこれは真実であった。(略)しかし現在、日々明らかになっているのは、アイスランドは現実に銀行取り付けに圧倒された唯一の国であったけれども、他のほとんどの西側諸国がまさに同じ問題に直面しながら、アイスランドよりもずっと有効性のない対応策しかとれていないということである」。
 このことは、「現在の危機のもう一つの犠牲者(致命的でないものの)であるアイルランドは、もしもEUに加盟せずにユーロ圏でなかったとすれば無力であった。その銀行は、リーマン崩壊の後に預金取り付けに直面し、アイルランド政府はGDPの約2倍にのぼる内外を問わない包括的保護で対応した。保護がさらに求められるとすると、アイルランド国家は支払要求で溺死しかねないがゆえに、これは一種のギャンブルである。しかし、一致結束の支えを得て、預金者を保護する動きは信頼を得て、究極的に成功した」という事実経過を見れば理解できるであろう。
 本書は、この「炭鉱のカナリヤ」としてのアイスランドの波乱に満ちた物語である。
 なお付言すれば、本書は経済学用語が多用され、またしばしば銀行の実務報告のような印象を与える記述もあって、正直言って一般的な読者には読みづらい。しかしグローバル経済が小国家経済に与える圧倒的な動きを理解する有力な手がかりとはなる。(R) 

 【出典】 アサート No.435 2014年2月22日

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