【コラム】ひとりごと –橋下市長の「従軍慰安婦」発言に思う– 

【コラム】ひとりごと –橋下市長の「従軍慰安婦」発言に思う– 

<他人事のような必要悪論>
■橋下市長が、5月13日に「従軍慰安婦」問題について、次のように発言している。
「意に反してか意に即してかは別で、慰安婦制度っていうものは、必要だったということです。それが意に反するかどうかにかかわらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためにはそういうことがその当時は必要だったんでしょうね。」

■この発言で私が、最も問題意識を感じるのは、もちろん女性蔑視の意識が根底にあるのだが、「あの当時は必要だった」と、全く第三者的に考えているところである。そもそも太平洋戦争で日本は、アジア諸国を侵略し、他国の人命と財産、領土、資源を奪ったことは確か。よく「国際法上、侵略の定義は明確ではない」というが、他国の領土に侵攻し、あらゆるものを武力で略奪すれば、言うまでもなく「侵略」である。そういった侵略戦争自体が、最大の人権侵害であり、人類最高の罪悪である。

■そして少なくとも敗戦後、その深い反省の上に立って、平和立国日本として再スタートしたはずである。更に、それは、戦時中に日本が犯した戦争犯罪を後世に継いでまでも背負って世界平和の担い手としての平和国家を目指す決意を示したのであり、その証が日本国憲法でもある。

■従って、戦争自体が多面的にいかに罪悪であるかを認識し、加えて平和都市宣言をしている市長として、自ら平和創造の担い手(主体)になることを自覚しているなら、このような第三者的発言は為しえないのではないかと思うのである。

■よくマスコミに出演する右翼評論家は、日本の侵略戦争の反省を「自虐史観」だとか「いつまで謝罪すればよいのか」というが、例えば自分の家族が近隣の人に殺されば永久的に許せるものではないことと同じで、終わりのない謝罪意識を持ち続けなければならないものである。そして国家間でいえば、その謝罪意識を踏まえながら未来に向かって、どのような友好関係を構築するかが問われるのだと思う。

■橋下市長の発言は、それ自体、上述のように問題意識を感じるのだが、それを何となく同調もしくは受け流す国民の意識にも加害意識の欠如を感じ、その事の恐ろしさもまた強く感じるのである。(民) 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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