【書評】『チベットの秘密』

【書評】『チベットの秘密』
     ツェリン・オーセル/王力雄著、劉燕子編訳
      (集広舎、2012年11月発行、2,800円+税) 

 「チベット女流詩人のツェリン・オーセル(茨仁・唯色)は、中国共産党の独裁体制下で出版を禁じられ、日常的に様々な制約や圧力を受け、さらに何度申請してもパスポートを取得できず、その不当性を提訴しても受理されないため、自分を『国内亡命者』と呼んでいる」(本書の編訳者、劉燕子による解説)。
 本書は、中国によって「解放」されたはずのチベットで現在何が起こっているかを,詩とエッセイによってわれわれに知らせる。著者のオーセルは1966年文化大革命下のラサに生まれ、少数民族幹部育成を目的とした西南民族学院で漢語文(中国語・中国文学)を専攻し、ラサで『西蔵文学』の漢語編集者となった。しかし2003年に出版したエッセイ集『西蔵筆記』に「政治的錯誤」があるとして発禁処分、解職となった。その後中国当局による監視・自宅軟禁、「ネット愛国者の非難やサイバー攻撃」を繰り返し受けつつも、「チベットの秘密」—-中国政府によるチベット語・チベット仏教・固有の文化・生活様式の否定(文化的ジェノサイド)、環境汚染、資源の枯渇、徹底的な情報統制、プロパガンダ──を国際社会に知らせ続けている。
 そのチベットでの最大の事件が「三・一四事件」(2008年)である。チベット各地で発生して世界中の衝撃を与えたこの事件は、中国当局によって大規模な暴動とされた。しかしオーセルは、「これは、三月十日から始まりました。この日はチベット史において最も悲壮な記念の日です。四十九年前、無数のチベット人が立ち上がり、チベットを占領した中共に抵抗しましたが、武力鎮圧され、ダライ・ラマ尊者と数万のチベット人は、故郷を追われ、異国に亡命しました。そのため三月十日は、チベット人が骨に刻み、心に銘記する日となり、また中共がものものしく警備を固める日にもなりました」(エッセイ「チベット・二〇〇八年」)と歴史的な経緯を指摘する。そして「三・一四事件」が決して突発的なものではなく、三月十日以降、僧侶たちの平和的な請願に、当局の軍隊・警察による過酷な暴行が加えられたことに対する爆発であったと訴える。
 そしてその後の状況を次の文章が伝える(エッセイ「ラサ駅」)。
 「ラサから中国内地に向かう列車はみな早朝に発車しますが、チベット暦の土鼠年(2008年)の三月は、しばらく運行しませんでした。もちろん、運行停止となったのは、中国と外国が出資し、マスメディアが注目するモダンな旅客列車で、その代わりに兵士と武器を運ぶ軍用列車が走りましたが、外部にはほとんど知られていません。/〈略〉/他にも外部に知られていないことがあります。二〇〇八年四月、三大寺の僧侶が千人も頭に黒い袋をかぶせられて、ラサ駅に連行され、古い汚れた列車で運ばれて行きました。目撃した者によれば、靴さえ履かない裸足の僧侶もたくさんいたそうです」。
 さらに次のような場面もある。
 「あの時、ラサ駅は、僧侶が追放されただけでなく、チベット人を拘禁する臨時刑務所にもなりました。駅の中の二つの大きな倉庫は臨時の監獄となり、数千名のチベット人が拘禁されました。官制の新聞は『「三・一四」で暴力、破壊、略奪、放火した者』と書きましたが、でも、大多数は全く加わっていません。その中には、野菜を買いに出た家政婦もいれば、通勤途上の会社員もいます。(略)他にも大学生から制服姿の中高生まで百人以上も連行されました。/捕まえたのは軍隊や公安警察でしたが、軍隊の手にかかるとこの上なく悲惨でした。様々な虐待を受けました。受刑者たちは、自分で刑具を選ばせられました。鉄の棒を選んだ者は肋骨を折られました。バネを選んだ者は皮や肉を挟まれて剥ぎ取られました。電線を選んだ者は知覚を失うほど電流を通されました、等々」。
 この後チベットでの日常生活は変わっていく(エッセイ「いつも『サプサプチェ』という声が耳元に響いている」)。
 「チベット暦の土鼠年(二〇〇八年)のある日でした。私はキオスクの公衆電話を使い、(略)二人の友人に時候の挨拶をしました。二人とも『大丈夫、何とか安全だ』と言いました。二人はそれぞれ異なる場所にいますが、同じように『サプサプチェ(本当に気をつけて、という意味)』と繰り返し言い続けました。(略)そして、ある年のロサル(チベット暦の元日)に、ラサで、一人の友人が酒の力を借りて本心を吐露したことを思い出しました。 『今じゃ、時候の挨拶を交わす時にタシデレ(タシは喜慶、デレは吉祥を意味し、タシデレで『おめでとう』を意味する挨拶になる)なんて言わなくてもいい。おれたちはタシでもないし、デレでもない。お互いにサプサプチェと言って気をつけていなければならないんだ」。
 さらにこうした弾圧に並行して、「西新プロジェクト」なる「政治プロジェクト」が強力に推し進められる。その狙いは、「極めて効果的な送信機を配置して、国際メディアの情報が入りこむのを妨害すること」にある。例えばVOAのチベット語放送を視聴できなくするために「一千以上のステーションを設置し、上空に侵入不可能の金城鉄壁を構築」し、寺院や民家にあった衛星放送受信設備を没収、廃棄する。また「二〇〇九年三月、当局は衛星放送受信設備をチベット人に特注し、『チベット百万農奴解放記念日』の贈り物だとして、都市から農村、遊牧地域まで各家庭に配りました。それは、チベット人が『党と国家の声』しか聞かないようにするため」であった(エッセイ「『敵の声を封じ込める』という『西新プロジェクト』」)。
 こうして二千十二年二月、チベット自治区党委員会書記の陳全国は、このプロジェクトについて次のように語っている。
 「チベットではインターネットや携帯電話の実名登録の優位性を発揮させ、情報システムの管理監督を完遂し、空中、地上、ネットからの侵入を阻止するコントロール・システムを修築し、自治区一二〇万平方キロメートルの広範な地域において、党中央の声が聞こえ、党の姿が見え、ダライ集団の声は聞こえず、姿も見えないことを徹底させ、イデオロギーと文化における絶対的な安全を確保する」と。
 しかしこうした政策にもかかわらず、中国当局へのチベット人の抵抗は止む気配がない。それは彼らの心の奥底に関わっている問題だからである。著者は語る。
 「漢民族の文化には『落葉帰根(落ち葉は根に帰る)』ということわざがあります。根(ルーツ)とは、先祖代受け継いできた故郷で、いかなる民族にとってもかけがえのない独自の生の空間です。ですから、何と言おうとも、チベット人からルーツを冷酷に根こそぎ抜いて、全く無頓着に、ただ食べて、排泄して、寝るだけしかできない牛小屋同前の住居を与えて、すべてお終いにするなどということは許されません。人間は家畜ではないのです」(エッセイ「内部調査書が示す、移住させられたチベット人の悲惨な状況」)。
そしてチベット人の燃え続ける抵抗の炎は、監獄に捕らわれた尼僧たちの詩に託して語られる。
 「彼女たちが朗唱する軽やかな声が聞こえて来るようです。/『かぐわしい蓮の花は、太陽[毛沢東は「紅太陽(赤い太陽)」と崇拝された]に照らされて、枯れてしまいました。/チベットの雪山は、太陽の熱で焼け焦げてしまいました。/でも、永遠の希望の石は命をかけて独立を守る私たち青年を守ります』(『タプチュ監獄で歌う尼僧』の歌声の一つ)/いいえ。いいえ。私は政治の暗い影を決して詩に入れるつもりはありません。/でも、どうしても考えてしまうのです。獄中の十代のアニはなぜ恐れないのでしょう?」
 このように本書は、われわれの知らされていない、政治のみならず、言語、宗教、文化、生活習慣等々、あらゆる面で抑圧され、鎖に繋がれたチベットの状況をリアルに伝える。その闘いはこれからも続くであろう。しかし本書には同時に、著者のパートナーである王力雄による「チベット独立へのロードマップ」も収められており、チベットの将来への指針となっている。さらに言えば、現在中国政府がチベットに対して行っている植民地政策は、かつて日本帝国主義が朝鮮の人びとに対して行った文化的ジェノサイドと共通の様相を呈してはいないだろうか。チベット問題は、中国の政治体制の民主化の問題であると同時に、われわれの現在と過去に関わる問題でもある。(R) 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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