【投稿】原発震災で崩壊した「科学技術信仰」
福井 杉本達也
1 「原発安全神話」と共に崩壊した「科学神話」
哲学者・梅原猛は原発震災後の県民福井(中日新聞)紙上・『思うままに』で、「今回の震災による原発事故により、現代の多くの先進国が信じていた、原発は安全でクリーンなエネルギー源であるという神話は崩壊したが、このような神話よりもっと古く、遍く信じられている、自然は科学及び技術の発展によって奴隷の如く唯々諾々と人間に従うという神話にも大きな疑問符が付けられたように思われる。この神話の創始者はルネ・デカルトである」、「近代哲学は運命や神を追い払い、世界の中心に人間を置いた」、しかし「太陽を地球上に創り出そうというのは人間の傲慢ではないか」、「人間による自然征服の結果、人類の存続すら危うくするような地球環境破壊が起こっている」、デカルト以来の「人間中心主義の哲学を捨て、生きとし生けるものと共存する哲学を自らのものとしなければならない」と呼びかけている(2011.5.17 /24/31)。
また俳優・菅原文太は「科学万能主義はもう切り捨てなきゃいけない」、「科学文明が国家を豊にする、人間の生活を幸せにするという幻想に突き動かされて、われわれはひた走ってきた」、「その終局が原発じゃないですか」、「ここで一回『科学はいらない』『学者はいらない』って宣言したほうがいいのではないか」(「外野の直言、在野の直感」『本の窓』2011.7)と述べている。
文科省は福島原発事故後の昨年4月に一般市民を対象とした科学技術に関する意識調査を行ったが「科学者は信頼できる」と回答したのは41%であり、事故前の2010年11月の調査の83%から半減してしまった。調査機関・文科省科学技術政策研究所では「科学者や技術者に対する国民の信頼は低下している可能性が高い」と分析しているが(日経:2012.1.30)、原発の安全神話の崩壊と共に、その神話を吹聴し、支えてきた「科学技術」も社会的信用を失墜してしまったのである。
2 自然への畏怖の念を失った「科学」
17世紀に数学的自然科学の方法論を確立したのはガリレオ・ガリレイである。ガリレオの根本思想は自然という書物は数学的記号で書かれているとし、自然を単に受動的に観察するだけではなく、実験によって、能動的に自然に働きかけてゆかなければならないとし、自然界には存在しない“真空”中での落下という理想状況に近づける実験を通じ、実験で感覚的経験の所与のうちから量的に規定可能な単純な要素を分析的に取り出し、こうして得られた要素を数学的計算によって相互に統合することによって自然の織りなす量的関係をとらえ、数学的に表現した(参照:木田元『反哲学入門』2007.12.20)。しかし、それは自然にたいする畏れを抱き人間の技術は自然には及ばないと考えていた16世紀までの職人たちの自然観から、科学と技術を支配しうると考えた17世紀の科学者の自然観への転換をともなっていたのであり、その過程で科学者は自然に対する畏怖の念を捨て去ってしまったのである。(山本義隆『十六世紀文化革命2』2007.4.6)。
最終的にデカルトは「我思う、ゆえに我あり」として、キリスト教の世界創造論では世界は神によって創造されたと考えられていたことを逆転し、「我」という「精神」=「人間理性」の自己確認からはじめて、人間理性が明確に認識できるものだけが自然のうちに現実に存在する=実験によって確かめられるものだけが存在するとしたのである(木田:上記)。もはや自然は模倣すべき対象でも見習うべき師でもなく、審問の対象(「私が元素の混合によって生ずると言われている諸物体そのものを試験し、それらを拷問にかけてその構成原質を自白させる」(ロバート・ボイル))となり、「自然を支配し、管理し、そして人間生活のために利用する」(ジョセフ・グランヴィル)(収奪の)対象となったのである(山本:上記)。
3 科学はどこからが分からないかを明らかにすること
しかし、実際には近代自然科学はきわめて限られた問題にしか答えていない。物理学や化学は法則の確立を目的としていたが、しかしその法則というのは、まわりの世界から切り離された純化された小世界、すなわち環境との相互作用を極小にするように制御された自然の小部分のみに着目し、そのなかで人為的・強制的に創出された現象によってはじめて認められるものである。自然科学はそのような法則の体系として存在し、実際にはかなり限られた問題にたいしてのみ答えてきたのであるが、そのような科学にもとづく技術が、生産の大規模化にむけて野放図に拡大されれば、実験室規模では無視することの許された効果や予測されなかった事態が顕在化することは避けられない(山本:上記)。
ところが、今回の原発事故ではこのような近代自然科学の限界を悪用する「専門家」?が跡を絶たない。長崎大学名誉教授の長瀧重信氏は放射線被曝について「昨今、1mSv(ミリシーベルト)以上の被曝は危険であるという『科学的事実』があるかのような言説が流れ、特にお子さんを持つ親御さんたちが不安に包まれています。」と切り出し、「100mSv以下では、被ばくと発がんとの因果関係の証拠が得られないのです。これは、科学的な事実=《サイエンス》です」と述べる。因果関係が存在しないことが明らかにされたのであれば、科学的事実であるが、「証拠が得られない」ことは「科学的事実」ではない。現時点での「科学の無能」=影響があるかないのか分からないだけである。さらに氏は続けて「このような科学的事実で国際的な合意を得られたものを発表する機関がUNSCEARですから、『疫学的には、100mSv以下の放射線の影響は認められない』という報告になるわけです。」と続ける(首相官邸HP:「サイエンスとポリシーの区別」2011.9.29)。ATOMICAによると「低線量、低線量率の放射線被曝の影響については、あまり明確なデータは得られていない。」(ATOMICA:「国連科学委員会(UNSCEAR)によるリスク評価」)という要約となっており、明確に「数量化」できるものがないということであり、「実験と測定の結果を数学的に理論化された『法則』として確定」(山本:上記)はできないということである。それを、「影響は認められない」として無理矢理「ないこと」にしてしまうのであるから「国民の信頼が低下」するのも当然である(参照:影浦峡「『専門家』と『科学者』:科学的知見の限界を前に」『科学』2012.1)。なお、日本の法律(「放射線障害防止法」)では、一般人の被曝限度は、年間1mSvまでと決まっている。「あるかのような言説が流れ」というのは真っ赤なウソである。
4 科学の攻撃的性格
地球は今から46億年前に生まれたが、生命はそれから6億年位経った頃、深い海の底、海水の温度も高いところで誕生した。浅い海では降り注ぐ宇宙線によって壊されてしまったからである。生命が浅い海に移動してくるのは地球に磁場が形成され、有害な宇宙線の進入を防ぐことが出来るようになった27億年前頃である。そして、生物が陸上に進出してきたのは紫外線を防ぐオゾン層が形成された5億年前である。生命は宇宙線や紫外線などの有害な放射線の届かないところで生まれ、そして危険がなくなったところに進出していったのである(参照:「よくわかる原子力」HP)。一方、地球内部でマントルを溶かしている熱(地熱)の半分は、地中の放射性物質(ウラン・トリウム・カリウム)が自然に崩壊する際に出す熱(崩壊熱)とされる(東北大学ニュートリノ科学研究センター)。46億年前の地球は半減期の短い核種を大量に含む放射性物質で満ちていた。半減期の短い不安定な核種は早く崩壊し、放射線の影響が少なくなったことで生命が誕生する条件が整ったのである。
原発事故は今回の福島第一やチェルノブイリからも明らかなようにその影響の甚大さはこれまでの技術のものとは桁違いである。周知のように核爆弾はマンハッタン計画としてその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから理論的に生み出された。自然には起こらない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、ヨウ素131やセシウム134・137といった核分裂生成物やプルトニウム239といった自然界にはほとんど存在しない猛毒物質をまき散らすことは、この生命誕生後の地球40億年の歴史を根本的にひっくり返す行為に他ならない。人類の祖先からの歴史に匹敵する10万年に亘って放射性廃棄物を管理することなどできるはずはない。それは人間に許された限界を超えている。地球内部のマントル対流がプレートの動きを生み出し、その沈み込み帯でM9の巨大な東北地方太平洋沖地震を発生させ今回の原発震災となった。我々はもう一度、16世紀まで人類が有していた自然にたいする畏れといった感覚を取り戻すべきである(参照:山本:『福島の原発事故をめぐって』2011.8.25)。
【出典】 アサート No.414 2012年5月26日