【投稿】ヒロシマ・ナガサキそしてフクシマと低レベル放射能の危険性
福井 杉本達也
1 「ヒロセタカシ現象」
反原発の作家・広瀬隆氏が福井県内を連続に講演して回った。6月25日は日本原電敦賀1・2号機と高速増殖炉「もんじゅ」が立地する敦賀市と大飯1~4号機に隣接する小浜市で、26日は福井市と敦賀原発から20キロ圏内に一部入る越前市で講演が行われた。敦賀会場では270人と思いの外多くの人が集まり、福井でも250人の会場は満杯となり入場制限する状況であった。25年前は原発の簡単な構造を書いた模造紙1枚での説明だったが、今回はプロジェクターを利用した豊富な写真・資料による説明であり隔世の感がある。3時間の長丁場の講演も十分集中できるものであった。今、広瀬隆は反原発の講演会で全国を飛び回っている。
ところで、最初の「ヒロセタカシ現象」はチェルノブイリ原発事故直後の1986‐88年に起こっている。著書『危険な話』は「30万部を超えるベストセラーとなった。広瀬の講演会は東日本を中心に全国的に展開された。あたかも組識的に演出されたかのようにびっしり講演スケジュールが組まれ、各会場とも盛況だった。…こうして婦人層、若年層に放射能による食品不安、原子力発電不要感が広がった。」(中村政雄 『原子力と報道』中公新書ラクレ)。
この「ヒロセタカシ現象にとどめを刺したのは、共産党系といわれている日本科学者会議原子力問題研究会だ。…話題の本『危険な話』を取り上げた。『内容に誤りが多いいたずらに人を不安に陥れようとするものだ』と複数の研究者が強く批判した。」(中村)。野口邦和氏(現在は同研究会委員長)は『文化評論』(1988.7)に「広瀬隆「危険な話」の危険なウソ」を掲載し、さらにその記事を一部改稿した「デタラメだらけの『危険な話』」を販売部数の多い『文芸春秋』(1988.8)に再掲載した。「この一撃以後、広瀬の発言は信頼を失っていった…その後、原子力発電に対する支持率は回複し、ほほ安定した。」(中村)。
2 チェルノブイリ原発事故の無視
野口氏の上記「デタラメだらけの『危険な話』」を現在時点で読み返すと、奇妙な点がいくつもある。1986年4月のチェルノブイリ原発事故の影響をことさら小さく見せようとしている。その一例が、『石棺』の完成により「原子炉の埋葬が完全に終了した」とするソ連の公式発表に対し、広瀬氏が「とんでもない。それほど簡単に永久処分が可能」ではないとしていることに対し「『ソ連の報告書をちゃんと読みなさい、広瀬さん…ソ連が発表したのは、破壊された『原子炉の埋葬が完全に終了した』ということ、つまり原子炉の放射能密閉工事が終了したということである」と反論しているのであるが、ソ連の公式発表を鵜呑みにして、『石棺』の完成によって原子炉事故が最終的に『終了』したものであると考えている。しかし、現実には25年後の今、『石棺』は風化しつつあり、内部の放射能はエネルギーを発し続けている。原子炉の『埋葬』などできない。また、「『甲状腺ガンがすさまじい勢いで発生する』は文学的表現であろうか…広瀬さんは『(甲状腺ガンの)兆候は出はじめている』とあっちこっちで講演して回っているわけだから、完全なウソ、作り話である。」と事故による甲状腺ガンの発生を明確に否定している。だが、現実にはチェルノブイリの北側で汚染したベラルーシの統計では事故後1990年頃から小児甲状腺がんは着実に増加し、1995年には年間90件に達している。事故から2年も経過し事故の全容が明らかになりつつある時点でのこの文章の放射能に対する評価は明らかに過小である。いずれにしても、「ヒロセタカシ」攻撃を通じて、チェルノブイリ原発事故の放射能の影響を低く見積もろうとしたことは明らかである。
3 「低線量放射線」=「内部被曝」の影響の軽視
では、なぜ野口氏は熱心にチェルノブイリ原発事故の影響を軽視しようとするのか。事故から9年後、東京反核医師の会で野口氏は「低線量放射線の影響=核兵器・核実験被害」(1996.10)という講演を行っているが、「原発事故の被害と原爆被害は別物である」と述べている。「チェルノブイリ事故の被害住民は、爆風による被害には遭遇しなかった…チェルノブイリ事故の方が広島・長崎の原爆より放射能がずっと多かったということを書いていた記事がいくつかありましたけれども…熱線による被害はまったくありませんでした。…初期放射線による被害は…まったくありませんでした。」と。確かに原爆被害の直接的影響は爆弾の原理としての熱線と爆風であり、臨界によるγ線と中性子線の放射である。はじめから被害を最大限にすることを目的として開発された「爆弾」と「発電施設」として開発された原発の被害が同一であるはずはない。では、なぜ、野口氏は原爆と原発の間に深淵を設けるのか、残留放射能の影響を低く見積もろとするのか。その根底に流れる思想は「低線量放射線」=「内部被曝」の影響の軽視または無視である。核兵器を持つものは通常兵器と同様に使おうとする。原爆は局所的な破壊しかもたらさない効率的な大量破壊兵器であり、影響は使用した国に及ばないとなれば核保有国は使用する誘惑にかられる。野口氏はこの核の『恐怖』と『恫喝』の前に、核エネルギーのあまりの『巨大さ』の前にひれ伏している。兵器は与える被害の空間と時間が限定されるからこそ兵器となる。「爆風」や「熱線」・「初期放射線」はそれである。ところが、「残留放射能は」被害の空間と時間を使う側の都合のよいように勝手に区切ることができるものではない。大気中にまき散らされた「残留放射能」は使われた側だけでなく、使った国民の頭上にも『限定されずに』降り注ぐまことにやっかいなものである。悲劇はヒロシマ・ナガサキといった地域的に限定されるものではない。大気中に放出された放射能は全人類の生存を脅かすものである。チェルノブイリは10日(『石棺』完成までには6ヶ月)で「埋葬」されたかに見えたが、25年たった今も1万平方キロメートルもの土地に人が立ち入ることができず、40万人の住民が家を失った。今だに多くの人が内部被曝によるがんで亡くなっている。
4 低レベル放射能の危険性
「ただちに健康への影響はない」という呪文で、現実から目をそらしてはならない。1945~63年の米ソ冷戦時代には盛んに大気圏内の核実験が行われ、大量の放射能が空中に舞い上がり全世界にばらまかれた。セシウム137は食物連鎖の中に侵入し、日本人の尿中のセシウム137の濃度は1961年から増加し続け、最大の年平均体内量は1964年に531Bqに達した。(「フォールアウトからの人体内セシウム」ATOMICA)。スターングラスは1968年までの米国での40万人の新生児が死の灰の影響で生後1年以内に死亡したと結論を出した。低レベル放射能は明らかに危険なのである。恐怖の均衡の中、大気圏内核実験だけでも、十分に人類を死滅させることができることが分かってきた。そこで、1963年に大気圏内核実験禁止条約が締結され、以降、乳児の死亡率は正常な下降を示している(『人間と環境への低レベル放射能の脅威』ラルフ・グロイブ/アーネスト・スターングラス著 2011,6.25)。
しかし、それでは核兵器を使えなくなってしまう。そのため、低レベルの放射能は危険ではないとするプロパガンダがはられた。1957年の段階で武谷三男は米原子力委員会のウィラード・リビー博士が日常の放射線と死の灰を比較して無害を証明しようとする「理論」を批判している(『原水爆実験』岩波新書・1957.8.22)が、福島原発事故でもホウレンソウや牛乳から基準値以上の放射能が検出された時から、消費生活コンサルタントを自称する市川まりこ氏の「直ちに健康に影響が出るわけではない。もともと、食品には自然界の放射性物質も含まれており、私たちは微量ながらも日々口にしてきていることも理解すべきだ。」(日経:2011.3.20)との同一理論のコメントを載せ、住民の目をごまかそうとしている。
戦略爆撃の『効果確認』を目的とした原爆の医学調査のため、1947年にアメリカによってABCC(原爆傷害調査委員会Atomic Bomb Casualty Commission)が広島・長崎に設立された。16万の被爆者を選び、どこでどんな状況で被爆したかを数年かけて一人ひとりにインタビユーし、亡くなった7500人を解剖した。疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない。しかし、調査をしても被爆者の治療は行わなかった。しかも調査の全ては軍事機密となり米国に持ち去られ、その結果「広島・長崎における原爆の影響は局所的であり、放射能汚染は問題にならない、放射線そのもので死んだ人間の数は少なく、…放射能の長期にわたる影響を完全にそして公式に否定した。」「内部被曝はアメリカ国家の最重要機密になり意図的で巧妙な隠蔽工作が続いてきた」「米国政府による放射能汚染に関する情報操作はほとんど完璧だった。」(『内部被曝の脅威』肥田舜太郎/鎌仲ひとみ・ちくま新書)。今も日本の放射線研究はABCCの影響を大きく受けている。ABCCの仕事を受け継いだのが現在の財団法人放射線影響研究所であり、米国財政の悪化から「日米交換公文」によって、財政も含め「日米折半」で運営管理すると定めているが、米国が何の影響力も行使せずに金だけを払っているとは思えない。
7月に入り稲わらを餌とする肉牛から放射性セシウムが検出された。当初、福島県産だけの稲わらが放射能汚染されていると思われていたが、宮城県北部の登米市や鳴子温泉で有名な大崎市産の稲わらから検出されるに及んで、非常事態となった。稲わらに放射性セシウムが検出されるということは、人もコメも野菜も水も汚染されている恐れが強い。しかも宮城県は年産40万トンという全国7位のコメの一大産地である。既に、今年始まったコメの先物取引では東北地方以外からコメを手配しようとする動きが広がっている。牛肉は副食だがコメは主食である。コメなしに日本の食卓は考えられない。9~10月に向け、危機は確実に深まっている。日本は完全に放射能汚染国家となってしまった。国・自治体は早急に食品や水・土壌等の検査体制を整え、汚染情報を全面公開し、今後数十年~百年にわたる監視を行っていかねばならない。
【出典】 アサート No.404 2011年7月30日