【投稿】TPP参加は「平成の売国」 福井 杉本達也
1 突然のTPPへの参加表明
数ヶ月前まで全くなじみの薄かった国際協定をめぐり激論が交わされている。環太平洋戦略的経済連協定(TPP)という太平洋地域の貿易自由化を目指す、新たな多国間協定である。TPPが注目を浴びたのは、菅直人首相が昨年10月1日の所信表明演説で唐突に「国を開き未来を開く」として、アジア太平洋諸国との懸け橋として、「経済連携協定(EPA)・自由貿易協定(FTA)が重要です。その一環として、環太平洋パートナーシップ協定交渉などへの参加を検討し、アジア太平洋自由貿易圏の構築を目指します。」と参加検討を表明したのがきっかけである。しかし、当初マスコミは「評価できるが、農産物関税の引き下げなど困難な国内調整を伴う。『有言実行』の覚悟が試される」(日経社説:2010.10.2)とあまり相手にしなかった。ところが、前原外相が日経新聞と米戦略国際問題研究所(CSIS)との共同シンポジウムでジョン・ハレム所長やジョセフ・ナイ教授、石波茂自民党政務調査会長らを前に「外交の一番の優先課題は経済外交に尽きる。百パーセント関税自由化をするということを考えると、日本のFTAのレベルはかなり低い。環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定(TPP)にも入るべく検討している。第1次産業の割合1.5%を守るために、残り98.5%が犠牲になっている」(日経:10.20)とぶち上げてからがぜんマスコミは騒ぎ出した。米国の“承認”を受けたうえでの発言であると“正式に”確認されたからである。
2 「東アジア共同体」に対抗するための「TPP」
『日米同盟VS.中国・北朝鮮―アーミテージ・ナイ緊急提言』(文春新書:春原剛:2010.12.20)において、リチャード・アーミテージ元米国務副長官は鳩山政権の「東アジア共同体」構想には非常に驚いたとし、中国と日本は「『米国を含まない共同体』について語っていたようだ」とし、「我々にはそれについて何も知らなかった。そうした態度は友人(=『属国』と訳すべき)にはあるまじき行為」であると怒り狂っている。ナイはさらに具体的に「ASEANプラス3(日中韓)」が「ASEANプラス1つの貿易協定(One Free Trade Association)や、「ASEANプラス3つの貿易協定(Three Trade Agreements)となり、「米国への差別的行為を伴う場合は米国による報復を伴うことになる」と恫喝している。既に経済の重心が大きく東アジアに傾きつつある現在、米国抜きの「ASEANプラス3つの貿易協定」は、米国にとっては何としても阻止しなければならない喫緊の課題である。そこで取り出してきたのが、TPPである。構成は、アジアの英米金融資本の出張所・シンガポールとブルネイ、アングロサクソンのオーストラリア・ニュージーランド、南米では米国の息のかかり、「メルコスール」(Mercado Comun del Sur-ブラジル、ベネズエラ、アルゼンチン等の南アメリカ関税同盟)から距離を置くペルー・チリなどである。参加・参加表明は9カ国だが、GDP比率は米国が67%、日本が24%で9割を占め、後は取るに足りない経済規模であり、事実上の「日米FTA」となっている(日経:2010.10.28)。しかも、関連するものは農産物や鉱物資源などの一次産品のみである。これらに「ASEANプラス3」のような、世界の生産拠点である中国、金型など自動車部品産業の集中するタイ、1980年代から機械産業を育ててきたインドネシアなどのような域内での強い経済的結びつきや一体感はない。(マレーシア・ベトナムのTPPへの参加意向は不均衡貿易の中国への牽制の意味がある)。また、東アジアでは1997年のアジア通貨危機への対応として発足したアジア金融協力体制=チェンマイ・イニシアチブも順調に機能している。ASEAN諸国は当時のIMF・米国の仕打ちを忘れてはいない。TPP参加をそれに変わりうる「平成の開国」などというのは詐欺にも等しい。
3 日本を米国に売るための「TPP」
「第1次産業の割合1.5%を守るために、残り98.5%が犠牲になっている」との前原発言は実に作為的な暴論である。あたかも農業以外のすべての産業がTPP参加によるゼロ関税によって利益を得るような論理であるが、実際に利益を得るのは自動車や電機など一部の競争力の強い輸出産業にすぎない。日本の貿易額のGDPに占める割合は13%t程度(2005年現在)で3億の人口を抱える米国と同水準あり、30%を超すドイツや韓国、20%超のイギリスやフランスなどと比較して高い水準にはない。「着うた」や「デコメ」などガラパゴス現象と揶揄される日本の携帯電話はフィンランドのノキアや韓国のサムスン、LGのように海外にはほとんど輸出されていないが、これは逆にいえば日本の国内市場が相対的に大きく、海外市場開拓の必要性が少なかったからである。前原の発言は過剰設備を抱える一部の輸出産業のために他の8割の産業を米国に売る議論である。
4 形を変えた「年次改革要望書」
そもそも、TPPの具体的内容に関する情報がきわめて不透明である。TPPの第3回会合では24部会が立ちあげられ、政府調達や知的財産権、金融、投資、労働などの分野で議論が進んでいると記されている(『東洋経済』2010.11.13)。公共事業の入札や郵政民営化・医療・年金・労働の自由化なども含むのか。とするならば、それは2008年10月15日以降出されていない米国からの「年次改革要望書」(「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative))の復活そのものである。前自民党政権下で過去10数年に亘り「要望書」のお望みどおりに、財政投融資と郵政の解体、年間3000人法曹養成(結果、食えない弁護士の大量出現)、労働者派遣法の改正、新会社法による日本企業買収のための三角合併制度等々を行い、米国に金融・会社・労働者・国の制度から魂まで売ってしまった。今の日本はその“負債処理”で汲々としている。“無条件一本勝負”よりも「米韓FTA」という“条件闘争”を選びTPPに参加しない韓国の方がまだ日本よりは賢い(鄭仁教韓国荷大教授:日経:2011.1.8)。
5 日本農業はTPPでは存立しえない
農業は製造業と違って、自然的条件の違いが重要である。米国の1戸当たりの平均耕作面積は約200ヘクタール、オーストラリアは約3000ヘクタールなのと比べて、日本は1戸当たり2.2ヘクタールにすぎず、それを10ヘクタールにしようが20ヘクタールにしようが誤差の範囲内である(金子勝:県民福井 2010,11,26)。このような自然条件の違いを無視して、ゼロ関税の市場競争に任せれば農業は成り立たない。
朝日新聞は1月1日の社説で「TPPへの参加検討を菅直人首相は打ち出したが、『農業をつぶす』と反対されフラついている。だが手厚い保護のもと農業は衰退した。守るだけでは守れない。農政を転換し、輸出もできる強い農業をめざすべきだ」(朝日社説2011.1.1)と主張するが、どうやって「輸出もできる強い農業」を作るのか。社説はあたかも日本だけが農業を保護しているかに書いているが、真っ赤な嘘である。TPPの主役で世界最大の農産物輸出国の米国でさえ、膨大な補助金によって農業を支えている。バイオ燃料推奨も補助金の一種である。2008年に成立した農業法(Food Conservation and Energy Act of 2008)では5年間で2850億ドルの予算を組むとしている。米国は常に「他人には厳しく、自らには甘い」ダブルスタンダードである。
農業の構造改善を進めるため農地や用水路、農道などの整備を行う土地改良事業はピークの1997年度には1兆2300億円に達したが、民主党政権下の2010年度予算では前年度比63%減の2129億円に大幅削減された。同事業によって、これまで10a以下の零細農地は20a→30a→60aへと規模拡大されてきた。一方、事業は地元負担金(数%~20%程度)の償還が終わるほぼ20年ごとに30aの改良農地をさらに1haへ、2haへと大規模公共事業として繰り返され、土建業に再投資され、自民党の政治基盤となってきた(野中広務氏は全国土地改良事業団体連合会会長)。しかし、いくら規模拡大するといっても地形上の制約からも1haの農地を米国のように100~200haに拡大することは日本では不可能である。土地の制約を無視して、生産性を上げるとか、構造改革をするとかいうのは画にかいた餅である。規制緩和し、農業以外からの参入や野菜工場・工業のような大型機械によって日本農業の再生を夢見る者もいるが、米国においてさえも歴史の最適解は、大型家族農業経営であった。資本主義的経営が根付かなかったのは、自然を相手にする農業の特質ゆえである。ソビエトの集団農業化(コルホーズ・ソホーズ)、中国の人民公社が失敗したのも、同じ理由である。農業以外からの資本の導入は、イデオロギー以外の何ものでもない。零細農家を大量に抱える中国やASEAN諸国も同様であろう(参照:「TPP参加は誤り―日本の米作・畜産は規模拡大策では存立しえない」伊東光晴:『エコノミスト』2010,12,21)。
6 恫喝すれば“従順に従う”日本人
朝日社説はさらに続けて「民主は公約を白紙に 」との小見出をつけ「思えば一体改革も自由貿易も、もとは自民党政権が試みてきた政策だ。選挙で負けるのが怖くて、ずるずる先送りしてきたにすぎない。民主党政権がいま検討している内容も、前政権とさして変わらない。どちらも10年がかりで進めるべき息の長い改革だ」と、“どっちもどっち”の対米従属路線が続くことを支持する。メッセンジャー・ボーイとして米軍産複合体の意向をオウムのごとく繰り返す前原外相や日本のマスコミ、米国の恫喝に右往左往する菅首相や経済人を見るにつけ、かつて、キッシンジャーに「Of all the treacherous sons of bitches,the Japs take the cake.」(「裏切り者どもの中で、よりによって日本人野郎がケーキを横取りした。」-1972年、ニクソン訪中の成果を田中角栄首相が日中国交正常化とういう形で横取りしたことに対して:共同通信2006,5.26-孫崎享『日本人のための戦略的思考』より)と言わしめたような政治家や日本人が『属国』から“駆除”されてしまったのかと思うと嘆かわしい。
【出典】 アサート No.398 2011年1月22日