【投稿】 あえて、民主党代表選―路線の今後
私が民主党の代表選挙について、なにかを語る特別な情報もなく、特別な意見を持っているわけではないが、あえて、この数カ月世間をにぎわせた代表選挙について、の雑な感想を書いてみたい。
まず、「なぜ代表選なのか」と問う一般紙誌の論調が多かったように思う。それは、この円高による不況のさなか、政府が取り組まねばならない仕事は山積しているではないか、およそ1か月近くの「政治空白」を生じさせることは国民にとって百害あって一利なしとするものである。民主党を支持しないおよそ半数の国民にとっては「そのとおり」であろう。しかし、民主党を支持する、しないにかかわらず、国民の税金が政党交付金として支出されている政党の、しかも国政の第一党である民主党の代表がだれになり、その「路線」が今後どうなるかは国民的なテーマであっていい。
この代表と路線について絞って考えてみると、今回の代表選挙はいまの民主党と日本の政治状況について、いろいろと考えさせられることがある。ほとんどすべてのマスコミを「敵」にした小沢前幹事長と、前委員長の鳩山氏、そして『棚ぼた』で総理になった菅首相の三者三様の対応の、そしてその政治的体質やなスタンスの違いがかなり鮮明になったのではないだろうか。つまり、小沢氏は対検察・世論にたいし、これまではおよそその風貌を連想させるような、「冷たい」対応を続けてきたが、今回に限って「逃げません」と言明し、国会での証人喚問すら応じる気配すら感じられる。その一連の検察との経緯からすれば、「推定無罪」が成立している今、そこまでの必要はないとおもえるのだが、こと代表選挙出馬となると、言わざるをえないのか、言わされてしまったのであった。ここ数カ月の間の検察ファッショとかマスコミの横暴、さらにはアメリカの陰謀とまでいう根拠も自信もないので、「世論」に配慮せざるをえなかったのであろう。が、政策については民主党の「マニフェスト」をオウムのように繰り返すだけであった。また、同時に辞職した鳩山氏だが、「人のうわさも75日」ではないが辞任後ちょうど3カ月たち、小沢氏と「政治とカネ」でやめたことを一切わすれ、「トロイカ体制」なるものをもちだし、菅首相に挙党態勢をせまり、あげく、派閥ボス的な行動として人事の譲歩を要求したと報じられている。ご自身が自らの引退まで語ったことはそう遠い出来事ではないのだが。やはり政治家としての資質を疑わざるを得ない。
一方、首相の菅氏もおそまつであった。先の参院選での民主党の敗北は突然の消費税増税発言にあったとされ、今回の代表選ではその打ち消しにやっきとなり、さらに、突然のように「雇用・雇用・雇用」と言い出した。民主党の有力な、最大の支持団体である連合を配慮したのか、労働問題と福祉をことさら重要視した戦術に変え、政治と官僚の問題についてはかつての舌鋒の鋭さはみられない。小沢氏なみの派閥ボス的な行動で国会議員票の積み上げにやっきとなったとみえる。
こうしたちょっとした茶番的なそれぞれの行動には、それなりの事情や理由があるのだろうが、冒頭で述べた、国民政党としての気概やプライド、公党としての生真面目さがおよそ見えないのである。そして今後の民主党の路線にしても、政府が国民に語り続けなければならない課題にしても、もうひとつ理解しがたいのである。これこそが今の日本の政治状況なのであろう。政党や政治家自身がいまの政治状況を理解できていないのかもしれない。あるいは知っていても、語る必要を感じていないのだろう。選挙というフィルターを掛けるときの政治家の言動はあまり信用ならないことは旧来の自民党支配の時代から、それが当然のことであるとおもわされてきたのだが、新たに出現した、短くとも3~4年は続く支配をもつ、保守政党である民主党(沖縄の基地移転問題でそれがはっきりした)の路線は今後も迷彩をほどこしながら続けられるのか、はたまた、かすかに残存した『いろ』であるリベラル的な、あるいはより民主的な色彩に身を染めて、勤労国民の支持を集め続けられるのか。
代表選挙結果は、小沢氏の主張がこれまでの民主党の政策をより強く打ち出しているかに私にはみえたが、「政治とカネ」「自民党的体質」を否定しきれなかった小沢氏は負けた。しかし、なぜ、菅氏が代表なのか、党員やサポーターの判断は、投票権をもたない一般国民と同様「政治とカネ」「自民党的体質」を嫌ったのであっただろうし、1年に何度も総理を換えるのは(国際的にも)まずいとした考えはそれなりに当然かもしれないが、そんなきわめて消極的な支持でいいのかと思えてしかたがない。 (東京・立花 豊)
【出典】 アサート No.394 2010年9月25日