【本の紹介】「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」

【本の紹介】「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」
著者 陳 桂棣, 春桃
訳者 納村 公子, 椙田 雅美
発行 朝日新聞出版 2009/10/20 2,940円

<<空前の注目『中国農民調査』>>
前号で紹介した『貧困の正体』の著者トーマス・ラインズは、「最も貧しい人々の圧倒的多数は農村部で生活している」こと、「中国やインドのような急成長している国や豊かな世界の多くの国々でさえ、農村の危機に直面している」ことを明らかにし、「世界がこれらのグローバルな要因に真剣に対処するまで、経済的格差を大幅に縮小する望みはほとんどないだろう。」と指摘している。グローバル化に伴うデフレ経済進行の淵源に、とりわけ賃金の絶対的相対的低下にこの問題が深く横たわっていることは論を待たないであろう。農村の貧困にあぐらをかき、これを資本と経済のグローバル化で徹底的に利用し、貧困と格差を拡大させることによって成長の原動力、富の源泉とするような資本主義の純化された腐敗した姿こそが、今あらためて問われているといえよう。
その世界最大の農業人口を持つ中国では、中国国内人口の70%、約9億人が農業に従事しているという、実に日本の全人口の7倍に匹敵する。その中国の農村の危機と貧困は歴史的現実であって、今に始まったことではないと反問されるかもしれないが、実は改革・開放政策の深化とともに、より一層厳しい事態に直面していることが問題なのである。
ここで紹介する著者(陳 桂棣・春桃夫妻)の前著『中国農民調査』は、2004年1月に発売されるや一ヵ月で十万部を売り上げ、中国では空前のベストセラーとなり、中国国内の主要メディアはもちろん、百以上ものメディアが積極的肯定的に取り上げ、著者宅を訪れてインタビューが報道され、著者の参加するさまざまなレベルの討論会やシンポジウムが開かれ、中国中央テレビの番組にも出演して放映され、大きな注目を浴びたのであったが、2004年3月に何の前触れもなく突如発禁処分を受けたのである。たちまち海賊版が出回り、その数は当初の推定で700万部といわれ、その後1000万部を超えたという。(日本では2005/11、同じ訳者で、文藝春秋より発行されている。)

<<九億農民を切り捨てての「富強」>>
それは、「二〇〇三年、隔月刊の小説雑誌『当代』第六号に初めて掲載された『中国農民調査』は、翌年一月に刊行された 単行本とともに中国で空前の注目を集め、爆発的な反響を呼んだ。それは、誰もが気づいていながら見ようとしていなかった農民の実態、農民が置かれている不当な立場をはつきりと具体的にルポした作品だったからだ。中国の多数の人々は、『中国農民調査』によって、初めて農村、そして農民の実態を認識した。」(訳者まえがき)ものであった。
その前著の中で著者は、「1990年から2000年のたった10年で、わが国が農民から徴収した税金の総額は、87億9000万元から一気に5.3倍の465億3000万元に急増した。(中略)都市の住民の収入が農民の6倍という状況で、農民が納めた税額は都市の住民の4倍なのである。」 と改革・開放政策、中国経済の急成長の背後にある本質的な矛盾と問題点を指摘している。
発禁になる前の2/7、著者達はCCTV(中国中央テレビ)の人気番組「面対面」に出演、番組の有名なキャスター・王志に「あなたたちがこの本を通じて訴えたいことは何ですか」と尋ねられ、著者は「九億農民のことは、中国人みんなのことだと訴えたい。農民が豊かにならなければ、いかに楽観的な経済データも意味がありません。われわれの豊かさには必ず九億農民のことが考慮に入っていなければならないのです。いま、中国の国力は昔とは比較にならないほど大きくなっていますが、問題は一人あたりのデータです。一人あたりで考えると、まったくお話になりません。一人の中国人として、私たちはもちろん、国家がはやく強く豊かになることを願っていますが、強く豊かとはどういうことでしょうか。九億農民を切り捨てての富強などありえません!」と答えている。著者達は「この反響が最も大きかった。放送終了後、まだ『中国農民調査』を読んでいなかった人たちが各地で本を求め、これが後に海賊版騒動を引き起こした。」と「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」の中で述べている。

<<中国の司法制度が抱える問題>>
この『中国農民調査』が発禁処分を受ける直前に、著者夫妻は被告として、著書の中で実名をあげて取り上げた県の党幹部を原告とする名誉毀損の裁判を起こされる。「訳者まえがき」の「発禁、そして裁判へ」によれば、「著者夫妻が、農民の悲惨な実態を告発する前作を著したとき、「ありのまま」に描きだすために、登場する人物はすべて実名で記述した。そうすることによって、よりリアリティを感じさせようとしたのだ。こうした表現方法は中国では大きな力を持っている。前作が多数の共感を呼んだのは、ルポルタージュのこの手法が奏功した結果と言えるだろう。だが、中国の重要な社会問題の存在を明らかにしたこの作品は、まず著者の居住地であり取材現場であった安徽省で、「作品に関する一切の報道・宣伝を禁ずる」という報道規制を受け、続いて実名をあげられた張西徳元臨泉県党書記から名誉毀損で訴えを起こされる。著者夫妻が裁判のために奔走している最中、中央から発売禁止の措置を受け、さらに中国国内メディアに全面的な報道規制が敷かれた。」のが事の経過である。
従って今回の本書「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」は、「これほどの注目を集めた作品に関連する裁判について、報道を通した「世論の監視」のないまま、著者夫妻は闘わなければならなかった。本書は発禁がいかに行われ、いかに報道が規制されたか、そして著者がいかに裁判で闘ったかを記録したものである」。(「訳者まえがき」)
その意味では裁判闘争の記録であるが、前作では触れられなかったすさまじい中国農村の実態、共産党幹部、官僚、警察、司法、暴力組織の支配の実態が証言の数々によって前作以上に浮き彫りにされている。訳者が「訴えを起こしたこの党書記は、前作で記述された経緯によれば、中央機関に窮状を訴えに行った農民たちに対して、武装警察を動員し武力による弾圧を行った。それが、本書で再びクローズアップされた「自廟鎮事件」である。読者は本書を通して、いささかの権力も発言権も持たない農民に加えられた武力弾圧の赤裸々な実態をも、改めて知ることになるだろう。」と述べている通りである。
本紙前々号で紹介した『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』の著者である阿古智子氏(早稲田大学国際教養学部准教授)が今回の本書の解説「険しい法治への道のり」の中で「前著『中国農民調査』は過剰な税や費用の負担に耐えかねて抗議する農民たちと、彼らを弾圧する地方官僚や警察の現実を克明に描き出し、衝撃的な事実を世に知らしめた。本書は名誉毀損で訴えられた『中国農民調査』の作者、陳桂棟と春桃が、被告として裁判を経験し、記録した裁判の内容をもとに執筆されたのだが、『中国農民調査』とはまた異なる点において、大きな意義があると言える。」と述べ、「『中国農民調査』が明らかにしたように、行政、司法、公安機関が癒着するなか、腐敗や汚職がはびこっている」中では、「本書は、係争中の裁判の被告である作家が書いたものであり、本来ならば、中立な立場から裁判の内容を描いているとは見なせない。しかし、独立が保障されていない司法制度や言論を封じ込める政治体制の下では、このような方法も致しかたのないことである。作家たちが言論の自由を守り、農民たちの真実を認めるうえで、『中国農民調査』訴訟は重要な意義を有しているが、それだけでなく、中国の司法制度が抱える問題を浮かび上がらせ、議論を巻き起こすという意味でも貴重である。」と指摘している。

<<「読む者を感化し、感動を与える」>>
前著が発行禁止処分にされ、報道統制がしかれる前の2004年2月10日に、中国作家協会の主宰する「文芸報」が、北京で『中国農民調査』に関するシンポジウムを開いた。本書の本文、「第三章 現場ふたたび」の中でそのときの模様が以下のように触れられている。

文学、社会科学、出版、マスコミなど各界から専門家、作家、編集者、記者など六〇人あまりが一堂に会した。中国の現代文学評論を代表する最高レベルのシンポジウムであったと言えよう。
中国作家協会書記処の書記で、中国作家出版集団管理委員会主任を兼任する著名なルポルタージュ文学作家である張勝友は、私たちの作品をきわめて高く評価した。張氏は、一三億の人口のうち八〇パーセントが農村人口であるわが国は農業大国だと言えるとした。そのうえで、もし農民が豊かになれないなら、全面的な小康社会〔(まずまずの暮らし)が達成された社会〕という目標は、絵に描いた餅にすぎず、実現するはずがない。その意味でこのテーマは非常に重要であるとした。二人の作家が三年という歳月を費やして、中国の農民に関心を寄せ、迫力に満ちた優秀なルポルタージュ文学を書き上げたことに敬意を表すると、人民文学出版社に対しても、すばらしいルポルタージュ文学を出版したことに敬意を表し、祝いたいと述べた。さらに、『中国農民調査』は中国の報告文学の気骨を示したと言い、このような力を発揮した作品が久しく現れていないと述べ、一大変革期を迎えている中国ではこのような作品を必要としていたと、いまはまさに大きな作品、立派な作家の出現する時代になったと言った。
中国共産党機関紙「人民日報」文芸部主任、郭運徳の発言も印象深いものだった。
「いま、じっくりと系統的に、冷静に読むことのできる本は少ないが、私は『中国農民調査』を手に入れると一気に読んだ。この本は気軽に斜め読みはしなかった。真剣に、一字一字なめるようにじっくりと読んだ。正月休みの間、当番で出勤したとき以外はずっとこの本を読んでいた。読んでいるうちに涙がにじみ、ずっと目に涙をためて読んでいた。教えられることが多かった。われわれ一人一人の生活は、すべて農民の血脈とつながっていること、しかしわれわれ都市市民は、農村に関心を持たず、遠くへ追いやってしまっていることがよくわかった。感覚的には農民を忘れているわけではないが、現実には忘れている。農民が豊かになり、農村が発展しなければ、中国の将来に希望はない。五千年の歴史を持つ中国に生まれた作家が、社会的責任を持たないのなら芸術を喪失したのに等しい。考えてみてほしい。百代を超えて伝わっている名作はどれも社会全体、人民の生活と密接につながっている。作者の強い社会的責任感が作品を真の文学として完成させ、名作となる基礎を作る。この強い責任感は〈人民の代弁者となる〉という精神だ。『中国農民調査』は歴史を探究し、現代に啓示を与え、われわれの未来に多くの認識と理解をもたらした。一読の価値がある作品であり、味わい深く、読む者を感化し、感動を与える作品である。まことにすばらしい作品だ。」

明らかに中国共産党内部にも、この問題の重要性を積極的に受け止め、理解している人々が多数存在している。そして「著者夫妻側には、浦志強弁護士、雷延平弁護士ら、不正に対して正面から取り組む有力な支援者がいた。体制内・外にかかわらず、人権や民主を主張する人物が、貧困問題、エイズ問題、労働問題などさまざまな分野で活動している。本書からも見られるこうした人々の存在は、現在の中国を特徴づけるものとして注視したい。」(訳者あとがき)というその事実の重さが伝わってくる。
にもかかわらず現実は、、2004年8月24日の公判以後、現在まで判決公判は開かれておらず、この裁判を担当する当の阜陽市裁判所が歴代三代所長を初め何人もの司法官が腐敗と汚職で逮捕され、しかもその最中に裁判所側からの原告側への慰謝料支払い「調停」が工作され、拒否されるや、今度は2006年夏、最高裁判所が前著を出版した人民文学出版社社長に対し、張西徳原告に5万元の慰謝料を払うよう強制、「あなた方は党の企業だろう、党の企業なら言うとおりにしろ!」「やめさせるぞ!」と脅し、判決も出ておらず、裁判案件はいまだ存在しているにもかかわらず、著者にも全く知らせずに慰謝料を支払わせ、原告は「金銭の問題ではない、それによって裁判に勝ったことが重要だ」と公言している事態である。
本書「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」は2005年から執筆が始められ、2008年2月に完成したものの、中国本土での出版は実現しなかったものである。現代中国を理解するうえで欠かせない一書と言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.387 2010年2月20日

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