【投稿】「平頂山事件」を知っていますか? 

【投稿】「平頂山事件」を知っていますか? 

 筆者はこの9/12に、「憲法九条を誇りにする会」のフィールドワーク「中国東北部(旧・満州)を訪ねる旅」に参加して、世界屈指の露天掘り炭鉱で有名な撫順を訪れ、平頂山事件の犠牲となった「平頂山殉難同胞遺骨館」を訪れることができた。
 ところでこの平頂山事件(へいちょうざんじけん、平頂山惨案ピンディンシャンサンアン)とは、日本ではほとんど知らされていないが、1932年9月16日、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊が、楊柏堡村付近の平頂山集落のまったく無防備の3000人に及ぶほとんどの一般住民を虐殺した事件である。事件は、1932年9月15日深夜、反満抗日ゲリラ「遼寧民衆自衛軍」が、三方から撫順炭鉱を占領していた日本軍を襲撃し、日本側に炭鉱所所長を含め死者5名、負傷者6名、その他の被害を与えたことに対する報復として計画され、実行されたものである。
 撫順守備隊は、襲撃事件の報復として、平頂山集落がゲリラが通過したのに知らせなかった、それはゲリラと通じていたものであるとの判断の下に、村ごと燃やし尽くし、殺しつくし、抹殺するという残忍な手段で報復することを決定し、9月16日早朝より、日本軍守備隊、憲兵隊、警察署、炭鉱防衛隊の数百人が出動、平頂山村を包囲し、一軒一軒家を回り、その時集落にいたほぼ全住民(女性・子供・赤ん坊を含む)を村の西にある平頂山のふもとに集合させ、一斉に機関銃を掃射し、それでも死ななかったものを銃剣で刺し、殺害した死体には重油をかけて焼却するというものであった。同時に一軒一軒の家に火を放ち、家屋を燃やし尽くした。この虐殺行為は約三時間に及び、さらにその後、崖をダイナマイトで爆破して死体を土石の下に埋めて事件の隠蔽をまではかったものである。

<焼け焦がされた遺体と身につけていたもの>

 中国では、この平頂山事件は平頂山惨案として広く知られていて、事件現場は「平頂山殉難同胞遺骨館」として保存されている。これらの遺骨は、1970年夏に発掘が開始され、掘り出されたものである。わたしたちは、そこで累々と折り重なっている人骨、発掘されたありのままの状態を目の当たりにし、そのさまはまともに正視できるものではない、衝撃的なものであった。
 この平頂山事件で奇跡的に生き残った人々が五人生存していたが、現在は三名となり、この生き残った3人の方々が1996年、日本政府に6千万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴、最高裁まで争ったが06年に敗訴している。このため生存者と弁護団は日本政府に対し、賠償を求めない形で(1)公式な謝罪(2)犠牲者を供養する記念碑などの設置(3)事実を究明し後世に伝える――を求めることを決め、民主党議員24人の協力を取り付けたという。そして今年、2009年5月5日、民主党議員有志を代表して相原久美子参院議員が、遼寧省撫順市で事件の生存者3人と面会し、公式の謝罪などを日本政府に求めていくことを約束したという。民主党を中心とする連立政権が誕生した現在、この生存者の方々の切なる願いが一日も早く実現することを願うばかりである。
(生駒 敬)
 
 【出典】 アサート No.382 2009年9月25日

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