【書評】『ランド 世界を支配した研究所』アレックス・アベラ著
(牧野洋訳 文芸春秋刊 2,095円)
福井 杉本達也
昨年9月のリーマンショック以降、書店には世界恐慌・金融危機関連のコーナーができている。本書は、戦後アメリカを代表するシンクタンクの歴史を描いたものであり、直接金融危機を扱ったものではないが、その世界を支配した思考回路=社会哲学は今回の金融危機をもたらした経済学の考え方そのものである。「ランド」という研究所の名前はResearch ANd Development(研究と開発)の頭文字からとったものある。ランドは第二次世界大戦後、ソ連の脅威に対抗する軍事戦略研究のため、原爆を開発したマンハッタン計画のような軍部と科学者の連携を戦後にも継続しようと民間の研究所として誕生した。委託者は空軍であり、最高の頭脳を集めるべく、毎年、莫大な研究費が投入された。
原著のタイトルは「Solders of Reason」(合理性の兵士たち)であり、ランドの研究者・出身者の考え方は「数値至上主義」と呼べるものであり、人間は物質的利益という意味での合理性に基づいて行動する合理的存在だとし、人間の行うことはすべて分類できて、計測できて、配分できるとする信念である。ランドの研究者は17世紀のイエズス会のように「数値至上の世界観」「客観的合理性」という教義を信じる兵士として、自らのイメージするところに従って、神のように世界を作りかえることを目的とし、国全体の主導者、計画者、延臣の役割を担うことであった。
本書の軸となっているのは、大恐慌時代にトロッキスト系の革命労働者党同盟に所属し、その後ネオコンの教祖的存在となった核戦略研究家ウォルステッターであるが、最も興味をそそられる部分は、ランドの創設期に関与したケネス・アローである。アローは、後に史上最年少でノーベル経済学賞を受賞することとなるが、1948年に研修生としてランド入りした。アローに与えられた仕事は、核戦争に際してソ連の支配者(特にヨシフ・スターリン)がどのような行動を取るかについてシミュレーションすることであった。人間行動を数値化し、一連の方程式、公式、定理で表そうと試みた。その過程で、人間は集団として合理的決定をすることは不可能であるという『アローのパラドックス』という定理を導いた。アローは、人間というものは合理的であると仮定し、自己の利益の最大化を求めて行動するという一貫した選考を持っているとした。その行動の背後にある論理は文化的なものではなく、あらゆる人間に共通するものであると仮定した。科学的法則は普遍的であり、資本主義の科学者と共産主義の科学者にそれぞれ違った選択肢の体系があるわけではないとした。社会を集団=階級を基本として編成させようとするマルクス主義は間違っている、人間は集団によって規定されるのではなく、個人的利益の追求が人間活動のあらゆる側面を定義しているとする『合理的選択論』の基礎を確立した。この『合理的選択理論』はその後のアメリカの打ち出す政策の土台を構築することとなる。この理論が企業に適用されると、企業は社会的な存在であるにもかかわらず、株主に対する責任以外の社会的責任からはいっさい解放されることとなり、政府に適用されると、「政府は問題を解決してくれない。政府こそが問題なのだ」(ロナルド・レーガン)という「小さな政府論」に繋がっていった。この理論は、政府の適切な介入によって人々の感情が刺激され消費を促すというケインジアンを駆逐し、市場原理主義者・サプライサイドの経済学者を政権中枢に押し上げた。
アローについて、第1次ブントの創設メンバー(ペンネーム:姫岡玲治)の1人であり「比較制度分析」の権威・スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦氏が日経新聞に連載した「私の履歴書」(単行本:『私の履歴書 人生越境ゲーム』日本経済新聞出版社 2008.4.24)で紹介している。数理経済学の聖地・スタンフォード大「セラ・ハウス」の項で、「どれをとっても当代超一級の学者で、世界中から優秀な若手研究者を集めていた。日本人に限っても宇沢弘文、森嶋通夫、稲田献一、根岸隆、村上泰亮ら錚々たる諸教授がかつてのセラ・ハウス組だ。」とし、氏の隣部屋にはコルナイ・ヤーノシュ(ハンガリーの経済学者・ハーバード大学名誉教授)がいたと書いている。
原子爆弾の開発や「ノイマン型コンピュータ」とも言われ現在のほとんどのコンピュータの動作原理を発明したフォン・ノイマン(ハンガリー名:ナイマン・ヤーノシュ)も1950年にランドの職員となっている。ノイマンは有名な『ゲーム理論』の生みの親である。ゲーム理論の中で好まれる「囚人のジレンマ」でソ連とアメリカが軍縮をするかどうか、相手が裏切って先制攻撃をするかどうかを研究した。しかし、ランドの結論は「囚人のジレンマに対する解答には真の解答はない」というものであった。
また、1960年春、若い技術者ポール・バランは、ソ連の爆撃機がわずかな数でもアメリカ領土内に入れば、アメリカに深刻な打撃を加え、電離層の中で核爆発の影響が広がり、無線通信が全て不能になるかもしれないと考えた。アメリカのミサイルを発射するために必要な指令・制御・通信システムは何も残らないことになると。バランは神経細胞の相互結合で構成される『ニュートラルネット』に関心を持っていた。人間の肉体は、あるシステムに負荷がかかり過ぎると、別のシステムが救いの手をさしのべてくれるという柔軟な対応ができる。バランは低周波のAMラジオ局に注目し、全国に散らばるAMラジオ用アンテナを代替手段としてICBMを打ち上げるという独創的案を考え出した。ただ、非効率的なアナログ回路を使っていては雑音が多すぎるので『デジタル』化しなければならないと考えた。さらにバランの発想が画期的だったのはメッセージをデジタル化しただけでなく、『パケット』へ小分けしたことである。残念ながらバランの場合、時代の先を進みすぎていて、世界が二進法に進む用意が整う前であった。1966年、今日のインターネットの原型である国防総省の「ARPANETは」 イギリス人科学者のドナルド・デイビスの考えを採用した。
ウォルステッターの重要な歴史上の功績は『フェイルセーフ』(多重安全装置)の概念である。今日の原発の安全管理を始め、様々な分野にこの概念が使われている。「もし核爆弾搭載の爆撃機が誤ってモスクワに向けて出撃したら、どのように呼び戻せばよいか」という課題である。ウォルステッターは攻撃命令が確かに出ていることを確認するため一連の「チェックポイント」を設け、爆撃機がそれぞれのチェックポイントでチェックを受けなければ、攻撃を続行できないようにすべきだと考えた。任務続行を求める具体的な指示がない限り、爆撃機は基地に帰還する。無線通信の一部に障害が発生していたのだとしても帰還する。安全側に倒すということである。フェイルセーフの概念は空軍に採用され、1979年には電話交換手のミスで誤報が流れ、実際にこのシステムが機能することとなった。
1947年、ランドのエンジニアであったエド・パクソンは『システム分析』という概念を思いついた。パクソンは1945~46年に戦略爆撃調査団のコンサルタントを務めていた。パクソンの考えた「システム分析」は第二次世界大戦中の「オペレーショナル・リサーチ」(OR)から派生したものである。ORはイギリスで開発された。狙った標的を最大の衝撃をもって破壊するためには、爆撃機への搭載機器などの荷重は全体でどのくらいにしたらいいのか?敵の攻撃を防ぐために対空砲をどこに配置すべきか?護送船団の規模は?目的を述べ、利用可能なデータを分析し、改善策を提案し、実験し、結果を分析する。ランド設立前のコルボムはORを使って、日本に出撃するB29の効果を高めるにはどうしたらよいかを分析した。結論は「機上に搭載する装甲機器のほとんどを捨て去れば、B29は基地からより遠くまで、より上手に、より安全に飛べる」というものであった。B29に搭載された焼夷弾は日本の民間人を標的に最大限の被害をもたらすことを目的としたものであった。1945年3月の東京大空襲は人倫を無視したORの “大成果”であった。
しかし、ORには統計に依存するというアキレス腱があった。既知のデータがなければ機能しない。既にあるものから最前の結果を導き出す手法であり、以前から存在している環境に自分を適応させるという非常に“ヨーロッパ的”手法である。しかし、パクソンらのシステム分析は全く“アメリカ的”であった。既に存在する現実に制約されることを拒んだ。システム分析の質問は、我々はここから何を望んでいるのか?我々の目的は何か?もし目的を達成する手段が存在しないのなら、それらを作るのはどれだけ難しいのか?コストは?期間は?現実の世界には一定の選択肢しかないという考え方を捨て去り、自ら望む方向へ世界を変えてしまおうと努力する方法・精神である。その場合、仮説を立てることとなるが、その問題のあらゆる側面を数量化して仮説を検証する。しかし、検証不可能な友情や誇り、士気といった人間的な要素は実証不可能として切り捨てられてしまう。
ランダイトは人間の存在で重要なものはすべて数字で表すことが可能であり、数字で表すことによって人類はその原動力、つまり自己利益を把握できるという。アローによれば、自己利益とは商品の物質的な消費であり、自由民主主義にとって最高の政府は、消費を無限大に刺激する政策を取る政府であるとする。しかし、ランドの『合理的選択理論』はいつも「何が最適か」と問うが、「人々が何を望んでいるか」とは問わない。“自由な国”のトップレベルの科学者・エンジニア=自称専門家達が密室で決めるのに都合のよい理論である。ランドは一種類の合理性だけが存在するような架空の数学的世界を仮定したが、その思い通りに行動してくれるほど従順な人々だけで世界が構成されているであろうか。しかし、現実は違う。「私欲(self-interest)が競争を通じて社会全体の幸福(well-being)を増大させるというのが、アダム・スミスを始祖と仰ぐ経済学の基本的視点であったが、この25年間で生じたことは、情報の不完全性からスミス的世界は妥当しないということである。それは市場全体にいえる。とくに、金融市場は不完全情報の典型である。エンロン(Enron)やワールドコム(WorldCom)は確かに私欲を追求した。しかし、その私欲は社会全体の幸福を増大させなかった。金融という産業が私欲を追求した結果、経済は底なし沼に沈みつつある。」(スティングリッツ NYT:2008.10.16)。この間、得をしたのは上流階級であり、損をしたのは中流階級であった。人口の上位5%が富の60%を握り、企業経営者の平均報酬は平均的な労働者の400倍になった。ランドの『合理的選択理論』は歴史性を持たない“共和国”・人造国家アメリカにおける国際金融資本の独裁・支配に相応しい理論であるが、人々がランドに背を向け、国際金融資本に牙をむき出しにしてかみつく日が来るかもしれない。
【出典】 アサート No.377 2009年4月25日