【本の紹介】『失墜するアメリカ経済 ネオリベラル政策とその代替策』

【本の紹介】『失墜するアメリカ経済 ネオリベラル政策とその代替策』
       著 者 ロバート・ポーリン  訳 者 佐藤良一 芳賀健一
       日本経済評論社 2008年11月20日 第1刷発行 3400円+税

<<中谷巌氏の「懺悔」>>
 ネオリベラリズム、すなわち、新自由主義は、かつてない規模と速さと深刻さで世界を巻き込んでいる経済恐慌を前にして、もはやその威光も色褪せてきたのは間違いないといえよう。その強引な規制緩和や自由競争原理主義の押し付けが不可能となり、社会の分断・格差拡大をもたらしてきた新自由主義の破綻が誰の目にも明らかになってきた証左でもあろう。戦争経済と弱肉強食路線を主導してきたブッシュ政権が圧倒的多数の有権者から唾棄され、そうした路線を「チェンジ」することを呼びかけたオバマ政権が登場したことは、新自由主義に代わる新しい時代への移行の象徴ともいえよう。オバマ政権が果たしてこの新自由主義に代わる政策をいかなる内容でどのように提起してこの難局を克服できるのか、オバマ政権の布陣はそれを疑問視させるものであるが、全世界が注視する最大の焦点ともなっている。
 しかしいまだに日本の政権与党や民主党内には、この新自由主義の呪縛から脱することができずに、小泉・竹中路線以来の規制緩和や「小さな政府」論を振り回し、それを「構造改革」と称し、離合集散や政界再編、路線選択の要としている人々が少なくない。
 こうした人々にとっては、昨年12月15日に「自戒の念を込めて書かれた『懺悔の書』」として刊行された『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』(集英社インターナショナル 1700円+税)は、衝撃の著作であろう。なにしろ著者・中谷巌氏は、「構造改革」を謳い文句に登場した新自由主義の思想と、そのマーケット第一主義の結果として現出したグローバル資本主義、米国型金融資本主義を鋭く批判し、所得格差の拡大、地球規模で進む環境破壊、グローバルに進む食品汚染、崩壊する社会の絆――これらはグローバル資本主義という「悪魔のひき臼」がもたらした副産物であると説いているのである。よく知られているようにこの中谷氏は、細川内閣の「経済改革研究会」、小渕内閣の「経済戦略会議」などで委員や議長代理を歴任し、規制緩和の旗振り役を務め、竹中平蔵氏と共に新自由主義・市場原理主義を礼賛する急先鋒の論客であった。その中谷氏が、新自由主義の破産が誰の目にも明らかになってきた今頃になって、「アメリカかぶれ」になっていたことを反省し、懺悔している。『週刊現代』(08/12/27、09/1/3合併号)に寄稿した『小泉改革の大罪と日本の不幸』、さらには『週刊金曜日』(08/12/19、09/1/2合併号・佐高信インタビュー)にまで登場し、「かつてアメリカに留学して経済学を勉強したとき、あまりにも見事な理論体系に魅了されました。」「しかし最近、日本がアメリカみたいな社会になったらえらいことになるとの思いが強くなりました。経済学で社会をすべて語ることがおこがましいとようやく気がつきました。」と述べている。
 中谷氏の反省は、たとえ遅きに失したとしても、学者としての良心も感じられ、貴重であり、大きく評価できよう。しかしながら、氏が「アメリカの経済学」に対置するものは「歴史的伝統や文化、社会など」であり、「我々自らが欲望を抑制すること」といった精神論である。これらは無視し得ないものではあるが、よって立つ社会と経済を離れては空疎なものとなる。しかも懺悔してやまないはずの新自由主義「経済学」を、「あまりにも見事な理論体系」と捉え、「構造改革」に果たした役割を評価している。しかも、いまだに反省も懺悔もなく新自由主義の旗を振り回している竹中氏を、たとえ皮肉な言い方であれ、「竹中平蔵さんはどんな問題にもきちっと答えられるでしょう。経済学の知識が体系立てて頭に入っている人は、どんな問題でも必ず答えられる」と評価している。竹中氏の頭に入っている「経済学」とは、粗雑かつ単純な自由競争原理主義でしかない。中谷氏に本来要請されているのは、社会を分断し、破壊し、犯罪的な役割を果たし自らもそのお先棒を担いできたそうした新自由主義「経済学」の根底的な批判でなければならない。この「経済学」こそが、実体経済と遊離した金融資本の肥大化とマネーゲーム化、サブプライムローンなどの詐欺的金融を「金融工学」を駆使し、蔓延化させ、グローバル化させた元凶なのである。その意味では中谷氏には、新自由主義「経済学」に対置すべき経済学が欠落しているともいえよう。

<<「巨匠」の反省>>
 ここに紹介するロバート・ポーリン氏の『失墜するアメリカ経済 ネオリベラル政策とその代替策』は、そうしたアメリカの新自由主義「経済学」を、1980年代に興隆した淵源から明らかにし、レーガン政権以来の共和党政権のネオリベラル政策、二期にわたるクリントン政権期の「ニューエコノミー」政策、同じく二期にわたるブッシュ政権期の富裕層への減税とアフガン・イラク侵攻・戦争経済を強引に推し進めた剥き出しの自由競争原理主義について、歴史的、具体的、実証的に分析し、それぞれの特徴を明らかにし、鋭いメスを入れている。著者はなおかつ、「失墜するアメリカ経済」をもたらし、この期間一貫して採用されてきたネオリベラル政策に代わる、現実的で実行可能で必要不可欠な代替策を提起している。その論旨はきわめて明快である。
 オバマ政権との関連で言えば、二期にわたるビル・クリントン大統領期(1993年1月~2001年1月)の民主党政権は、先行する共和党政権のネオリベラル政策に対抗して、「国民第一」と「第三の道」のスローガンを掲げて登場したのであるが、その「ニューエコノミー」の実際の姿は、「根拠無き熱狂」(グリーンスパン)といわれた株式投資ブーム、それに引き続くITバブルの亢進であり、結果として所得不平等と格差は拡大し、投機的マネーゲームによって金融不安定性はよりいっそう増大するという、ネオリベラル政策そのものの姿であったことを明らかにしている。
 著者によれば、こうした「虚ろな経済」を、金融面から支えてきたのがグリーンスパン連邦準備制度理事会議長であった。彼はレーガン大統領期の1987年8月からブッシュ政権第二期の2006年1月まで実に18年余にわたって君臨してきたのであるが、まさにこの間のネオリベラル政策の体現者そのものであった。著者が指摘するように「連邦準備制度理事会議長としての十八年にわたる任期において、アラン・グリーンスパンは金融市場投機とバブルの規制に一貫して反対してきた」のである。
 そのグリーンスパンも、昨年10月23日、米下院公聴会で迫り来る金融大恐慌の責任を問われて、「金融市場の規制緩和や自由競争主義に欠陥があった。非常に悩んでいる。」と反省の弁を述べざるをえなくなったが、在任中はマエストロ「巨匠」の名をほしいままにしていたのである。

<<「国民のための経済は可能だ」>>
 さらに本書がネオリベラル政策の帰結として追究している重要なところは、ネオリベラル政策のグローバル化の問題である。アメリカ政府の主導によって、IMF(国際通貨基金)および世界銀行を通して、発展途上国にまでこのネオリベラル政策が強制され、その経済開発を促進するどころか、投機的取引の増大によって逆により一層深刻な経済危機を引き起こし、途上国の経済の不安定化を常態化させてしまった経緯とその帰結を分析している。著者は述べる。
 「たしかに、国際通貨基金と世界銀行が主導するネオリベラル政策は、赤字とインフレの抑制という狭い意味で成功を収め、また新興金融市場での投機的取引の増大にも成功した。しかし開発途上国のネオリベラリズムは、経済成長の促進、とりわけ適正な雇用機会の拡大という見地からすれば、失敗であった。開発途上国におけるインフォーマルな働き口 - 例えば、日雇農業労働者、都市部の露店商、衣料品の家内労働者 - が占める割合は、全就業者の約三五~五〇%を占め、しかも上昇しつつある。この現実こそが、開発途上国の多くの貧しい人びとがアメリカ合衆国や他の豊かな国での生活を何とかして手に入れようとさせているのだ。豊かな国の労働市場の最底辺で働いても、平均賃金は自国と比べて十倍以上になる。」
 そして本書の最も重要なテーマは、こうしたネオリベラリズムにとってかわる代替策である。著者は述べる。「要点は、アメリカ合衆国と他の国ぐにの双方において、適正な働き口と社会的投資 -保健医療、教育、環境保護を目指す- の拡大が、経済政策の礎石になる必要があるということだ。難題が立ちはだかってくるのは、そうしたプログラムを実行可能なものにするときだ。だが、すでにみてきたように、克服できない純然たる経済的難題は存在しない。十分な資金を見つけることができる。ブッシュがイラク侵攻を望んだ際に私たちがはっきり目にしたとおりだ。財政赤字を激増させる必要はないし、破壊的インフレも生じない。もっとも厄介な障害は政治である。だがおそらく、ここで検討している政策を実行可能にすること自体が政治的抵抗を弱め、その結果として雇用・保健医療・教育・環境に配慮した成長をめざす実現可能な経済プログラムの障害物を除去するのに役立ちうるのである。」
 著者は、本書の附論「国民のための経済は可能だ」の中で「二〇〇八年の時点で実効性をもつ平等主義的な経済プログラムの主要目標ははっきりしている。そこには以下のものが含まれる。」として
 ・適正な働き口での完全雇用に近い状態
 ・国民皆保険
 ・あらゆるレベルにおける適正な教育機会の劇的な拡大
 ・自然保護と再生可能エネルギーを基礎にしたクリーンな環境の創造
 ・実効性をもつ事業規制体系(とくに金融市場と独占禁止の分野における)の再構築
を提起し、「いまや左派は、適正な働き口・国民皆保険・質の高い教育・クリーンな環境について、道徳的命題の見地から考える必要がある。実際、これらの目標の実現に向けた最初の大きな一歩は、左派が政治的力を結集して、イラク戦争と富裕層への減税についてブッシュをまさに反転させることだ。これらの問題に関する反ブッシュ的課題を真っ向から押し進めれば、進歩的な経済課題の基礎を構築できる。」と断言する。
 オバマ政権に問われているのは、こうしたプログラムに向けての政治的力の結集だと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.375 2009年2月28日

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