【投稿】誰のための裁判員制度か
福井 杉本達也
1.国民の過半数が反対
裁判員制度が今年5月21日より施行され、7月下旬からは実際に裁判員が加わる裁判が開始される。制度が適用される事件は地方裁判所で行われる「刑事裁判」のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪などの重大犯罪についてであり、有権者から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行い、「国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ること」が目的とされている。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うことになる。
裁判員制度については、当初国会でほぼ全会一致に近い状態で成立した(2004年5月)こともあり、具体的反対論が見られなかったが、施行間近の今になって根強い拒否論が目立つようになっている。毎日新聞の世論調査では裁判員制度を「評価する」が35%に対し、「評価しない」が56%を占めている。また、「一般市民が死刑判決にかかわること」について、68%が反対している(毎日:2009.1.28)。
2.法曹人口の拡大と裁判員制度は表裏一体
2001年6月に出された『司法制度改革審議会意見書』は、改革の柱として特に①「司法制度を支える法曹の在り方」②「『国民的基盤の確立』のために、国民が訴訟手続に参加する制度の導入」を柱として掲げている。つまり、法曹人口の拡大と裁判員制度は「司法制度改革」の根幹であり裏表のセットなのである。
このうちの①法曹の在り方について、意見書では「〇弁護士が、国際化時代の法的需要に十分対応するため、専門性の向上、執務態勢の強化、国際交流の推進、法曹養成段階における国際化の要請への配慮等により、国際化への対応を抜本的に強化すべきである。〇日本弁護士と外国法事務弁護士等との提携・協働を積極的に推進する見地から、例えば特定共同事業の要件緩和等を行うべきである。」(『意見書』「司法制度を支える法曹の在り方」2001.6.12)という表現で書き込まれ、2004年4月から法科大学院が開講し、法曹3000人化計画として走り出している。
3.司法改革は1994年の米国の要求から始まった――代理人は宮内義彦氏
そもそも、司法改革を最初に打ち出したのはオリックスの宮内義彦氏である(関岡英之『奪われる日本』講談社新書・田中克人『殺人犯を裁けますか?』駒草出版)。宮内氏の見解は経済同友会の「現代日本社会の病理と処方」(1994.6)の中に反映され、日本社会の病理を行政の肥大化にもとめ、その処方箋は行政に代わって司法の役割を増大させるべきであるとする。グローバル化・規制緩和の進行の中で、司法は行政追随と批判されても仕方がないような消極的態度から、時代に合った法判断を適切に行い、個人も社会的ムードや体勢に流されない確固とした態度を身につけるべきであるとし、①法曹人口の大幅増員 と②抜本的司法改革への着手の2点が提言されている。さらに、宮内氏は、「司法改革委員会のような強力な組織を作り、司法はどうあるべきか基本論を戦わせなければならない。法曹関係者を排除して、利用者である国民中心の議論の場とすべきです」(「日本の司法をどう変える②」日経:1998.2.15)と、「利用者である国民」の名を騙り、専門家を出来るだけ排除し、誰が選んだかわからないような委員により、国民の目から真実を隠し、密室審議を進めようとしたのである。
なぜ、密室でなければならないのか。宮内氏が主導してきた「規制改革委員会」「総合規制改革会議」同様、その種本は『米年次改革要望書』にある。年次要望書は1993年4月の宮澤・クリントン会談により決定されたものだが、第1回の1994年から早速、米国は日本の法制度の規制緩和を要求し、「Eliminate all restrictions on the ability of foreign lawyers to represent parties in international arbitrations conducted in Japan」(1994.11.15 「米年次改革要望書」米国駐日大使館HP:英文のみ)と述べ、国際的な裁判における外国人弁護士の日本参入への規制緩和を要求している。さらに1996年には「司法研修所の司法修習生受入人数を年間1500人以上増やすこと」(1997.11.7「米年次改革要望書」)を要求している。イラクのマリキ政権は我々日本人から見れば米軍の傀儡政権である。その傀儡政権と見られるマリキ政権でさえ、米軍の撤退次期を明確にするとともに、基地外で米兵が犯した重大犯の裁判権がイラク側にあることを明記している(日経:「イラク議会・地位協定承認」2008.11.28)。国際社会でどこに法曹の数まで一々“宗主国”の指示に従う国があろうか。宗主国の意向に従った結果はすぐに表れた。日弁連は2008年7月18日に法曹人口の拡大の「ペースダウン」についての緊急提言を行ったが、当時の町村官房長官から「見識を疑う」と一蹴されてしまった。
4.将来の紛争予防措置として出された『中間報告』
では、もう1本の柱である裁判員制度については、これだけ国民に反対の多い中で、なぜ今持ち込もうとしているのであろうか。疑問を解く鍵は審議会の『中間報告』(2000.11.20)にある。報告は、司法改革の目的について、我が国は「世紀を終わろうとする今、膨大な財政赤字と経済的諸困難を抱え、ある種の社会的閉塞感にさいなまれている」と国際金融資本によるグローバル化への閉塞感・危機意識から説き起こしている。その中で我が国の現状は「様々な国家規制や因習が社会を覆い、社会が著しく画一化、固定化し…内外の時代環境の変容に対応する柔軟かつ力強い国政の運用が阻害されてきた」として、国民の所得格差を是正し福祉社会を目指す社会的規制を一括りにして切捨て、「この国の基層にあった集団への強い帰属意識とそこから醸成される使命感、連帯感が…加速的にグローバル化の進展する国際社会にあって十分な存在感を発揮していく上で、決して第一級のものとは言い難い。」と社会の連帯意識をグローバル化への桎梏とみなす。そして、「我が国は、このような危機感と問題意識に立って…政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等を構想・具体化し既に実施に移しつつある。」と規制緩和・構造改革の新自由主義イデオロギーの一連の流れを諸手を挙げて評価し、「国民一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画していく」として、「客体」から「主体」へ、「依存」から「自律」へという掛け声の下、国民の意識を国家に、しかも国民の生命・財産を国際金融資本に売り払うとんでもない国家に絡めとり、「今般の司法制度改革はその最後の、かなめとも言うべきものである」とし、「司法改革は、従前の静脈が過小でなかったかに根本的反省を加え、世紀のあるべき『この国のかたち』として、その規模及び機能の拡大・強化を図ろうとするものである」と結んでいる。
ようするに、国際金融資本への売国政策によって国民の不満が高まることを恐れて、あらかじめ国民の意識を国家に絡めとり、国家の暴力装置である「司法権力」を強化し、属国の『この国のかたち』を死守しようとすることがその目的である。
5.日弁連はどう対応したのか?
日弁連の司法改革への対応について、宮本康昭弁護士(判事補再任拒否事件当事者)の『司法制度改革の史的検討序説』(『現代法学』第10号)が詳しい。1998年7月の日弁連司法改革推進センターの見解は「規制緩和政策に基づく国家改造計画のひとつとしての司法再編」「外国からの規制緩和要求に応じ、司法の国際基準へ適合させるための司法再編」の恐れがあるとしながらも、司法改革の要求について客観的に一致する部分があるとし、「このチャンスは千載一遇のものとして、利用に値する」と評価したのである。宮本氏の言葉では総論不一致・各論一致という「同床異夢の意識を持ちながらも尚かつ司法制度改革の流れに乗っていくのが正しいと決断した」というのが日弁連の答えである。
しかし、日弁連のこの目論見は「中間報告」で「改革」の方向性を事実上付けられてしまった。残る課題は「国民の司法参加」という“曖昧な”言葉を何によって担保するかであった。日弁連の主張する陪審制とそれに反対する最高裁・法務省側の「総論不一致」の妥協の産物として突如出されたのが「裁判員制度」である(2001.1.30「第45回審議会」)。この“日本的造語”「裁判員」は有罪か無罪かだけを決める陪審制よりも、有罪の場合量刑まで決めるという限りなく参審制に近いものであった。しかも、参審制は裁判官は、良心に従い日本国の「憲法及び法律にのみ」拘束されるとする憲法76条で保障されている裁判官の独立を侵すものとして、限りなく憲法違反に近いとするのが通説であった(上記・田中克人)。
日弁連は「同床異夢」のまま2階に上がったものの会議の途中ではしごをはずされてしまったのである。それは、国際金融資本に主導された一連の「改革」の流れを、「司法改革」だけなら自らの力だけで分離できると誤認したからに他ならない。
6.裁判員制度から民事訴訟をはずした理由
では、裁判員制度は「市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映する」といいながら、なぜ、「刑事裁判」に、しかも殺人罪などの重大犯罪に絞ったのであろうか。審議会の当事者であった井上正仁東大教授(刑事訴訟法)は、「私も個人的には、刑事で、しかも特に重大な事件とうのが本当に適切だったのかどうか、再考の余地があると思いますが、審議会の圧倒的多くの方の意見は、そういうことでした。」(『ジュリスト』2004.6.1)と述べている。当事者さえ嘆く裁判員制度とは何なのか。市民の目線で裁判をするならば「民事訴訟」や「行政事件訴訟」の方がより市民の目線で裁判ができるのではなかろうか。
民事訴訟について関岡氏は「自国企業が外国企業と争う裁判では、陪審員は自国の企業に有利な判決を下すケースが多い。アメリカで裁判に訴えられ、アメリカ人陪審員に不利な判決を下され散々泣かされてきた…日本の司法改革案では、陪審員(裁判員)制度は重大な刑事犯罪の裁判に限ってのみ導入され、これならアメリカはまず関係ない。(『拒否できない日本』文藝春秋社2004.4.20)とし、「民事訴訟」を裁判員制度から抜かした理由を上げている。
一方「行政事件訴訟」の場合はどうであろうか。「国相手の訴訟では、被告側は親方日の丸、税金で訴訟を行う。担当者は、十分給料を貰っている。負けても、『まだ最高裁がある』と上告する。上級審は結構行政側に理解がある。…1審で勝っても、最終的に勝つのはさらに長い道のり。兵糧攻めで、弾も食糧も尽きて降りざるを得ない」(阿部泰隆神戸大学名誉教授HP)のが現状であり、国家の牙城に楯突くストーリーは「改革」の最初から排除され、ろくろく検討もされた形跡はない。
7.たった3日の審理で何がわかるのか
狭山事件の石川一雄氏とお会いする機会があった。誘拐の脅迫状を書いた万年筆を発見したとされる焼失した鴨居を復元したとのお話をされた。氏の家屋が焼失したことを知らなかったが、1971年に氏宅を訪問した折、氏のご両親から丁寧に鴨居の説明をしていただいた。鴨居からの万年筆の発見は事件後3ヶ月も経過した3度目の捜索によるものである。鴨居は175cmと少し背伸びすれば私の身長でも十分見通せる位置にあった。警察による物的証拠の捏造が疑われる。裁判員制度では、一般の裁判員を集めて集中的に審理を行うことになる。結論を出す期間はせいぜい3・4日間である。とすれば、公判前に整理手続きで、何を裁判員に見せるかを限定せざるを得ない。事前にこうした物的証拠のスクリーニングがかけられてしまう。
8.やわらかなファシズムへの動き
オリックスへの「かんぽの宿」の売却を巡る疑惑がテレビや新聞を賑わしている。しかし、不思議なことに「かんぽの宿」売却と「郵政民営化見直し」麻生発言を意図的に結び付けない報道がなされている。新聞で最もひどいのが「かんぽの宿―筋通らぬ総務相の横やり」「西川社長が説明した内容は、しごくもっともに思える。」と書いた朝日新聞であり(社説:2009.1.18)、「総務相の『待った』に異議あり」と書いた日経新聞である(社説:2009.1.9)。 2月13日のテレビ朝日「報道ステーション」では、「かんぽの宿」疑惑が拡大するなかで、司会の古舘伊知朗氏は懸命に、「国民の多数が支持した郵政民営化」と「個別問題である「かんぽの宿疑惑」」とを完全に切り離して考えなければならないと絶叫し続けたが、古舘氏の意図と裏腹に、コメンテーターの寺島実郎氏は「「かんぽの宿」疑惑は郵政民営化が一体なんだったのかという根本的な問題を投げかけるテーマだ」とコメントし、両問題が一体的であり、国民の財産の叩き売りであり、郵政民営化の「影」(鳩山郁夫総務相:2.17会見)であることを明らかにした(植草一秀Blog「知られざる真実」2009.2.13)。宮澤内閣不信任案可決後の選挙戦まっただ中の1993年7月にクリントン大統領が訪日し羽田孜氏など当時の野党指導者と会談し露骨な政治介入を行った。“奇しくも”(?)2月16~18日にはクリントン国務長官が訪日し小沢氏と会談した。国家破綻の危機に臨み、クリントン氏は小泉氏・竹中氏の約束した大量の請求書を持って日本を外遊先の1番最初の訪問国に選んだことは間違いない。我々は、マスコミや日本国家全体が国際金融資本と一体となって情報操作を行っていることに目を凝らさなければならない。ほぼ全会一致で成立した裁判員制度もその例外ではない。
【出典】 アサート No.375 2009年2月28日