【投稿】迷走する麻生政権と金融サミット
<<「期待小さく、失望感なし」>>
米国・ワシントンでこの11月14、15の両日に開かれた金融サミット(G20)は、もはやアメリカを主導国とした先進国クラブのG7やG8では、現下の世界的な経済恐慌の進展という深刻な事態には対処できない、なおかつマネーゲーム・金融バブルの肥大化と破綻・崩壊をもたらした市場原理主義、ドルを基軸通貨とする一極体制の継続は不可能であり、これを徹底して押さえ込み、規制をかけ、新たな国際的協力体制を作らない限りは現在の深刻な事態から脱出できないであろうという現実の反映であった。
サミットは、先進国と新興国など20か国・地域(G20)の首脳会議として開かれ、世界経済の成長回復や世界の金融システム改革に向けて協調することで合意するとともに、「必要なあらゆる追加的措置の実施」を盛り込んだ首脳宣言を採択して閉幕した。
宣言は、今回の金融危機の原因について、「いくつかの先進国の規制当局が金融の技術革新についていけなかった」と指摘しているが、危機がアメリカ発であることからして、何よりもアメリカに対する指摘であり、要求である。そしてそのその最大の要求項目は、「金融危機の克服と再発防止に向けた監督や規制の枠組みの強化」であった。アメリカも合意せざるを得なかった、金融市場改革についての合意は、1)市場の透明性と金融機関の説明責任を強化、2)市場の適正な規制と監視の強化、3)金融市場における公正性の促進、4)各国規制当局の連携の強化、5)新興国の発言権の拡大などを含む国際金融機関の改革—-の5つの共通原則を確認し、これらの原則を「完全かつ精力的」に実行するため、各国財務相の責任に基づいて追加的な提言の策定を要請し、優先度の高い項目を「行動計画」として規定。実施状況を協議するため、2009年4月30日までに再度会合を開くことを決めたのであった。
問題は、ブッシュ政権があと二ヶ月しか存在し得ない政権であり、ブッシュ共和党政権の政策の継続を正面から否定し、それの「チェンジ」を掲げて圧勝したオバマ政権への移行期間であるにもかかわらず、ブッシュ大統領はあくまでも市場原理主義にこだわり、欧州が主張する金融規制強化では市場の自由度が失われるとして、「自由市場の資本主義の重要性」を訴えて規制強化に反論し、アメリカ自身が即刻行動に移すべき追加の景気刺激策にすら言及することができず、合意が総花的かつ具体性に欠け、今進行中の危機に対して具体的な一致した行動が何もなきに等しい合意でしかなかったことにある。「市場の事前期待が小さかったため、特段の失望感はない」という市場関係者の指摘どおりともいえよう。
<<「ポストドル」とか勇ましいこと>>
それにしても、この期に及んでもなお、ブッシュ大統領に媚を売り、追随する麻生首相、その自公連立政権は、もはやその存在自体がますます有害であり、醜悪なものとなってきている。
首相はサミット後の記者会見で、1997–98年に金融危機に直面し、克服した日本への期待の大きさと役割の大きさを感じたと指摘。「日本の経験を示し、新しい枠組みを主導し、具体的な提言も行った。宣言にも反映された」と述べ、今回のサミットが「歴史的なものと後世、評価される」と大見得を切っている。
しかし今回のサミットの重要な争点となり、その弊害こそが指摘されているドル基軸通貨体制について、麻生首相はあくまでも「ドル基軸体制の堅持と自由主義市場の範囲内での金融規制強化が必要だ」とわざわざブッシュ弁護を買って出て顰蹙を買い、最も改革されるべき国際通貨体制について、中国やインド、中東・南米諸国など新興国の改革要求と対立する姿勢をとったのである。「ドルは、もはや基軸通貨とはいえない」現実に対して、欧州連合(EU)議長国フランスのサルコジ大統領が「ブレトンウッズ体制」の改革にまで言及し、ブラウン英首相が、合意された「新興国の発言権の拡大などを含む国際金融機関の改革」について、これを「新たなブレトンウッズ体制への道」と表現し、「首脳宣言を見れば、われわれが将来に向けた新たな体制を構築しようとしていることは明確だ」とする姿勢とは雲泥の開きがある。「最も先鋭化しているフランスから英国を切り離し、日米側に引き込んだポイントは大きい」(首相同行筋)などとブッシュへの貢献を自慢し、「『ポストブレトンウッズ』とか『ポストドル』とか勇ましいことを言ってるのが世界中にいるが、現実にできるかと考えてみた時、なかなかできない」などと放言する麻生首相の行動原理が、ただただ「日米同盟堅持」の一本槍で、現在の経済恐慌の現実と原因を真剣に考えようともしない、またその能力も持ち合わせない首相の姿勢と現実を如実に暴露している。
またそもそも、97–98年の日本の金融危機対応策は、事実上アメリカのハゲタカファンドに食い物を提供し、公的資金注入(98年3月)後も景気の悪化が進行、長期にわたって継続し、デフレの深刻化とともに、ついに現在に至るまで景気回復の実感すらつかめない実態は、日本国内のみならず、国際的にも周知の事実といえよう。危機を克服し景気回復につながるような国際舞台で胸を張れるような実績は皆無であり、むしろ日本のようにならないことが国際的教訓なのである。それを「日本の経験を伝え、指導的役割を果たした」などとは、笑止千万であろう。
<<「年内と言ったか?」>>
さらに麻生首相にとって決定的なのは、金融サミットの合意を受けて日本が直ちに着手すべき景気対策について、麻生政権自体が茫然自失の迷走状態に入っていることである。10/30に首相がブチ上げた追加経済対策の目玉は、2兆円の給付金バラマキであったが、当初、「年度内(来年3月まで)」といわれた給付金支給について、突然、「(実施が)年内と年を越すのではだいぶ意味が違う」と語り、年内支給を示唆、その舌の根も乾かぬうちに、「市町村の事務手続きに要する時間を考えれば、年内は困難」との指摘を受けると、「年内といったか?」と簡単に年度内に軌道修正。
さらに支給対象について、最初は「全世帯が対象。4人家族で約6万円になるはず」と表明していたものが、1週間もたたないうちに「生活に困っているところに出すんであって、豊かなところに出す必要はない」と、前言を翻し、「困っているところ」と「豊かなところ」をどう区別するのかと問われると、「その基準はない」。そこへ閣僚内、自民党内からの異論噴出、首相自身の発言も二転三転、閣内の意思統一さえできない前代未聞の事態を出来。挙句の果てに首相は支給の根拠となる「法律を設けると面倒なことになる」と国会審議まで放棄したのである。しかも政府・与党は、11月30日に会期末を迎える臨時国会を延長せず、定額給付金などを盛り込む第2次補正予算案の今国会成立を見送る方向まで明らかにしている。
これでは、金融危機を「100年に1度の暴風雨」と呼び、「政局よりもまずは景気対策だ」と公言し、「国民の生活の安全保障のための経済対策」などと説明してきたのは真っ赤な嘘で、選挙対策としての2兆円の給付金バラマキ、選挙民買収政策であったことを歴然とさせるものである。解散・総選挙をずるずる先延ばしにしてきたために、給付金のバラマキもそれに合わせて延ばしているにすぎないのである。問題はこんな姑息なことをすればするほど、その本質、愚策ぶりがあまねく暴露され、経済効果どころか選挙効果さえ怪しくなってきており、いまや各種世論調査においてもほとんど評価されない事態を生じさせている。政権の求心力は地に堕ち、解散・総選挙どころか、それ以前に総辞職せざるをえないという事態さえありえよう。
<<「単なる読み間違い」>>
そうした事態を加速させかねないのが、麻生氏自身の庶民とかけ離れた生活感覚、無責任で品性下劣な行動と発言が隠しようもなくなってきていることである。
「政界一の経済通」を気取りながら、株式市場の前場を「まえば」と言うお粗末さ。高級ホテルやクラブのバーの桁外れの値段を知ってはいても、スーパーに視察に行って常識的な物価水準さえろくに知らない、そのことを質問した新聞記者に居丈高に食ってかかる。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公、“両さん”の銅像の除幕式に出席し、「毎週月曜日に『少年ジャンプ』を買って、『こち亀』を読んで笑えないと、今週は疲れているなぁと、健康のバロメーターにしています」と言い、アキバ(秋葉原)に出かけてわざわざ「オタクのみなさん!」と呼びかけることを庶民的と勘違いし、マンガは週10冊以上も読んでいるのに、「新聞は読まない」と自ら公言・吹聴する。日中青少年友好交流年の閉幕式でのあいさつで、「四川省で発生した大震災、みぞうゆうの自然災害と」と「未曽有(みぞう)」を「みぞうゆう」としか読めず、さらに「1年のうちにこれだけ煩雑に両首脳が往来した」と「頻繁(ひんぱん)」を「煩雑(はんざつ)」と間違える程度の漢字知識しか持ち合わせていない。極めつけは、11/7の参院本会議で、侵略戦争と植民地支配を謝罪した村山富市首相談話を「踏襲」ではなく「ふしゅう」と答弁し、記者団に「んーそうですか。単なる読み間違い。もしくは勘違い、はい」とかわしたが、その前の10/15の参院予算委員会でも、従軍慰安婦問題に関する河野洋平官房長官談話を踏襲するかとの質問に「ふしゅう」と答えていたことが分かり、あまりにも一国の首相としてはお恥ずかしい実態、その無責任さと能天気ぶりを自らさらけ出してしまっている。
当初は、少々のことは許容範囲と大目に見てくれていた庶民も、ここまで来ると見放さざるを得ない段階にまで来てしまっているといえよう。こういう政権には一日も早くご退場してもらう以外にないが、対する野党の追及はあまりにも迫力に欠けており、延命に手を貸しているのではないかと疑いたくなるほどである。その典型が、「日本が侵略国家だったとは濡れ衣だ」などと主張する田母神俊雄空将に対する追及である。4/17の名古屋高裁判決が、航空自衛隊がイラク首都バグダッドに多国籍軍を空輸していることについて、憲法9条に違反する活動であるとの画期的判断を下した際にも、この人物は、お笑い芸人のギャクを引用し「そんなの関係ねえ」と発言した、公務員としての憲法遵守義務もまったく意に介さない、札付きの「確信犯」である。今回またもや国会の参考人招致の場で、政府見解として麻生内閣の下でも、それこそ「踏襲」されている村山談話について「村山談話は言論弾圧の道具」と言い放っている。文民統制はもとより、日本国憲法の精神を真っ向から否定し、侵略戦争を正当化するこの人物に対する追及に与野党共にまるで「怒り」がないのである。麻生内閣の「腐臭」が、野党にも伝播しているのであろうか、徹底した監視が必要ではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.372 2008年11月22日