【投稿】「無言館」を訪ねて
以前から行きたいと思っていた所―戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)を、06年12月28日、訪ねた。
数年前、日本教職員組合主催のある講演会で、講師の方が「いろいろなことがあって気持ちが落ちこんだときには、無言館に行って一時間ほど館内で佇むんです。すると、志半ばにして戦争のために死んでいった画学生の、声なき声が聞こえてくるんです。そして、落ちこんでる場合ではない、画学生の分もしっかり生きなくてはとリセットして東京に戻るんです。」と話しておられたことが印象深く、心に刻まれていた。
昨年12月、国会会期末ぎりぎりに「教育基本法」改正政府法案が強行可決され、国民の半数以上が望んだ「改正には慎重審議を!」という願いは踏みにじられた。「教育再生会議」での議論も合わせて考えると、これまで各学校現場で地道に実践されてきた「平和・人権・共生」などをキーワードにした教育への攻撃が予想される。こうした情勢下、私は教育労働者としてなお一層の「決意」を固めたいとの思いもあって、「無言館」へ旅立った。
大阪から上田への最短経路は東京経由の新幹線利用と初めて知ったが、予算の都合で特急「しなの」に乗車した。同行者とふたり、車窓の風景を楽しみながら稚拙な俳句づくりに興じつつ笑い合っているうちに、長野駅に着いた。時間短縮のため長野新幹線「あさま」に一駅分だけ乗り、上田駅に到着。上田電鉄別所線に乗り換え、塩田町駅にて下車後タクシーにて目的地へ。4月から11月末までは塩田町駅から無言館までシャトルバスが運行しているようだが、この時季の訪問客は限られているのか「12月1日~3月31日バス運休」と張り紙がしてあった。
館内で買い求めた「無言館 戦没画学生『祈りの絵』」(窪島誠一郎著)に記されている説明によると、「無言館は、1997年に開館した『信濃デッサン館』の分館として、本館東隣にある丘陵地の頂に開館した慰霊美術館。先の太平洋戦争で志半ばで戦死した画学生百余名、六百余点の遺作・遺品を展示し、館主自身の設計による建物は十字架形をしたヨーロッパの僧院を思わせる。」
前掲書の著者が、無言館の館主である。この書の巻頭に、澤地久枝さん(ノンフィクション作家)が「無言の語りかけ」と題する賛同文を寄せておられ、「絵の巧拙など問題ではない。修業途中の”わかがき”のういういしさ、どこまでも伸び得たか未知数の才能が、戦争によって無残にねじきられた実相を、展示の作品はあなたに語りかけてこよう。絵は無言のまま、見る人の心に多くの思いをかきたてずにはいない。」と結んでおられる。
安倍首相は、年頭会見で「憲法『改正』を参議院選挙の争点にする。」と言明し、「戦争のできる国」づくりを加速化させようとしている。教育労働者として、日教組不滅のスローガン「教え子を再び戦場に送るな」をこれまで以上に大きく掲げ、闘っていかなければならないとの思いが強い今日この頃である。
「館内で佇むと画学生の声が聞こえてくる」と語られた講師の方同様、私にも聞こえたような気がした。「生きたい!」「もっと絵が描きたかった・・。」「家族ともっと話がしたかった。」「若い命を無残に散らす戦争は止めて!」などなど・・・。入館料(随意制 5百円~千円)を払い関連書3冊を買って、無言館を後にした。
その晩宿泊したあずまや高原ホテルの露天風呂に浸かりながら、しんしんと降り積もる雪の白さに画学生の精神の「高潔さ」を重ね、自らの人生を想った。
皆さんにもお薦めします、「無言館」への旅を。
(教育労働者 Kawachi)
【出典】 アサート No.350 2007年1月20日