【新春対談】「廃仏毀釈と天皇教」–吉村先生を訪ねて–

【新春対談】「廃仏毀釈と天皇教」–吉村先生を訪ねて–

 新年1月8日生駒さんと佐野は、吉村励先生を訪ねました。昨年は「空襲への総括のために」の執筆など、アサートへのご協力をいただきました。以下は、天皇教の問題をはじめ諸問題についての対談を佐野の責任でまとめたものです。

<廃仏毀釈がめざしたものは>
吉村)朝日新聞の投書に、軍人恩給を姪御さんでももらうようになったというのがありましたね。遺族ということなら親も子供もかなりの歳になっているわけで、戦争が終わってからでも60年ですからね。そういう仕組みで続いているようですよ。軍人恩給だけはね。
佐野)現在の年金では、厚生年金の場合は、夫が死んだら妻に年金が出る、子供も18歳までは加給金がプラスされる。そこまでなんですね。軍人恩給の場合は、拡大・拡大されているわけですね。忠義に報いるという事でしょうかね。
吉村)この遺族団体が「靖国」を支えているわけですね。小泉も遺族会の支持を念頭において、参拝をしているわけです。
吉村)お尻を叩かれたら書くかもしれないんだけれどね、天皇教ということについて考えているんですね。
生駒)宗教という意味ですね。
吉村)国家神道という言い方もしますね。梅原猛がね、明治維新の廃仏毀釈についてね、日本人は神仏を殺したと書いているわけですが、私もそうだと思います。廃仏毀釈でね。それまでは、お寺と神社は同じ存在でね、それを促進したのは弘法大師ですね。彼は大日如来は天照大神の化身であると説きました。大日如来は密教の本尊です。そして弘法大師の系統ではなく、叡山の系統から真宗が出てくるわけですが、仏に頼めば往生できるとね。それで浄土宗が生まれ、浄土真宗が出てくるわけです。ここまで、仏教は貴族階級のものであったものが、民衆のものになっていく。民衆のものになったら、ヨーロッパの農民運動と一緒でね、「アダムが耕し、イブが紡いだ時に、誰が地主であったのか」これが農民戦争のスローガンですがね。真宗は農民一揆をやっているわけです。それが力を得て武器を持ったのが石山本願寺ですね。それで、徳川家康は浄土真宗の力を恐れて、本願寺を西と東に分けて、お寺が過去帳を持って、戸籍管理のような事もしていました。そのために、徳川幕府の管理の中に入ってしまったわけですが。それを破壊するために「廃仏毀釈」ということになったわけです。仏はあかんというわけですね。奈良興福寺の五重の塔が「五円」で売りに出されるという事になったわけです。
 しかし買う人がなかったので助かっているわけです。今の奈良公園というのは興福寺の一部ですね。
吉村・妻)興福寺は皇室と繋がったりして、勢力が強かったようですね。

<宗教と意識していない宗教=天皇教>
吉村)そして、神と仏はごちゃごちゃだったので、興福寺の連中が、春日さんの神職になったりしたわけです。こうして仏を殺した後で、国家神道が強まるわけですね。これは天皇教というべきだと思うわけですね。天皇教の基本的な内容はね、天皇家の様々な儀式なんですね。新嘗祭とか神嘗祭とかね。我々の子供の頃は、その日には神社に行ったわけです。宮中の行事に合わせてね。お饅頭や鉛筆を貰って喜んでいたわけですね。
 だから、あれは宗教なんですね。ところが、日本国民にはそれが宗教であると言う意識がないわけですね。戦争中に占領した所では神社を建てて現地人にお参りを強要しているけれど。
生駒)廃仏毀釈というのは、江戸時代のお寺を破棄して新しく天皇制国家の宗教を強要するために行われたわけですね。
吉村)再編したものが国家神道ですね。ヨーロッパには王権神授説というのがあるでしょう。イギリスだってエリザベスが王位についたときは、カンタベリー大僧正から王冠を授けるわけです。神によって王権を与えられるわけです。ところが、それなら神の意思に逆らった場合には、逆に辞めさせられるという意味をもっているわけです。ところが、日本では神であり同時に支配者であるのが天皇であったわけです。だから辞めさせようがないわけです。そういう意味で国家神道は最悪の君主制なんです。そして、それにも関わらず廃仏毀釈で日本人は仏を殺して、後に残ったのは風俗としての宗教なんです。だから同じ家に神棚があり、仏さんがあっても構わないし、お葬式は仏式でも結婚式は神前結婚、教会でということになるわけです。世界史的な意味での宗教ではなしに、風俗として宗教が残ったわけです。だから、本当の意味の宗教ではない。

<占領地では国家神道を強要>
 天皇の国家神道が宗教であるという観念は日本人にはない。ところが、占領地や植民地では、神社を建てて宮城遥拝を強要するわけです。
生駒)ソウルでもやったそうですね。
吉村)そうでしょう。アメリカの日本占領というのは、戦勝国による敗戦国統治のモデルだと言われているわけですが、あのアメリカが、当時日本人にキリスト教への改宗を強要していたら、大きな反発が出たと思います。自分たちに宗教心がないものだから、天皇教が「最悪の宗教」であるという意識もなく、平気で神社を建設し、皇居遥拝を強要できたのですね。
 インドネシアの人々も言ってますね。我々は幾度も占領されたが、最悪の占領が日本による占領であるとね。人間の心の中の最後の一線(信教の自由)に土足で踏み込まれて反発を感じるのは当然ですよね。

<女帝論と皇室典範改正問題>
 そういう意味で国家神道を見直すこと、それは同時に、今問題になっている皇室典範の改正問題に繋がるわけです。そういう点では共産党も社会党(社民党)も堕落したものでね、男女平等の時代だから女帝もありうるなどとね、馬鹿じゃないかと思いますね。
 だいたい君主制(天皇制も含めて)は、血統による差別・選別によってなりたっています。だからマルクスが君主の最大の機能は生殖であるといっているわけです。有名な言葉です。そこでは当然一夫多妻制、後宮制を必要としたわけです。できるだけ男性を生まないといけないわけです。日本でも徳川斉彬が50人の子供がいたといいますね。
 それをね、日本の天皇の場合、昭和になって一夫一妻制にしたわけです。そこまでは、一種の後宮制を残していて、真偽のほどはわからないけれど、柳原権典侍の子が大正天皇だといううわさがありますね。本来君主制というのは非人間的なものなんです。子供を生むための組織なんです。そこへ人間的なものを持ち込んだわけです。
 さらにもう少し人間的なものを持ち込んだのが、今度の皇太子の奥さんですね。耐えられなくなったわけでしょう。皇太子が人格的なものを云々と言いましたが、本来人格的なものを無視したものが君主制であって、その君主制の中から当事者が人格を無視しているという発言を始めたことは、君主制が自己崩壊していっている明白な証拠と言えましょう。
 大阪の船場などで言いますが、お金持ちになって亭主が運動しなくなると男性が生れなくなって女性が生れると。船場では養子が多かったわけです。
 むしろ、皇室典範を改正するのではなしに、「男系の男子」の規定を固守して天皇制を「自然死」をさせるべきなんです。
 新聞にも皇太子の奥さんが人格的にも痛め付けられたと報道がありましたが、人格ということ言い出せば、本来君主制は人格など無視した制度ですからおかしな話なんですね。そこまで言い出すということは、彼らにとってもこの制度はくびきなんですよ。彼らをその桎梏から解放して、天皇制を自然死させることが、一番いい方法なんです。ところが訳の分からない連中が、女帝ということを言い出し、社会党や共産党まで男女平等だから容認するなどと発言するほど堕落している状況で、どこが革新政党か、と言いたいですね。
 
<天皇制の自然死こそ>
佐野)雅子妃離婚説も言われていますね。
吉村)それよりも、解放してやるべきですね。
生駒)そういうところへ行く事自体、人格否定ですよ。
吉村)今の皇后が結婚する時は、彼女のお兄さんは結婚に反対したと言いますね。
佐野)人格を言い出した事自体が、崩壊の兆しだと思いますが。
吉村)人格を言い出したと言うことが内部崩壊なんですね。それを言い出したわけだから、解放してやるべきです。だから天皇制の自然死が一番の方法だと思うんですね。あまりこれを言っている人はないね。君らが言わんとあかんよ(笑)。
佐野)1億5千万円もらって東京都との職員と結婚した人の方が「幸せ」ですよ。「自由」になったという意味でね。
吉村)新聞の投書にありましたね。1億5千万円はけしからんとね。何故税金で出す必要があるのかとね。女帝を認めるということになれば、今度の黒田さんでも皇族になるということになって費用も膨大な事になるわけです。ロシアの帝政が崩壊する前には、所謂貴族や王族といいますかね、町を歩いている10人に1人は王族だといわれたほどだったといいますね。無駄遣いですね。
 しかし、こういう考え方に立てたのは、梅原猛さんが廃仏毀釈で、日本人は神仏を殺したと指摘されたからで、感謝しています。
 神棚の横に仏壇があることに、何のこだわりもないという現在の日本人の意識にも注意を向けるということが必要なんですね。
佐野)仏教も、ただの葬式仏教でしかありませんしね。

<南方熊楠と神社合祀反対論>
生駒)廃仏毀釈の際は、お寺は潰して神社は残したわけですね。
吉村)潰したところもあるけれど、葬式に必要だからね。我々子供の頃、身内に死者が出た場合、神社の鳥居をくぐってはいけないとか、メンスの女性は駄目とか言ったわけで、神社は死人を扱わない。
生駒)和歌山の南方熊楠は、廃仏毀釈のために神社も合体させられ、境内の昔からの大木が切られて業者に売られていく、裏山が無くなって自然が破壊されると政府に直訴するなど反対運動をしているわけです。吉村さんの話とどう繋がるのかなと今思ったんですが。
吉村)「神」が生きていたら、境内のものなんか切らないですね。しかし、国家神道という形で神社が残ったにせよ、それがわずかに自然を残すものになってしまったわけですね。
生駒)そうですね。南方は、当時の会計検査院の高官だった柳田邦男に手紙を書いて、神社合祀を止めるよう直訴します、それが取り上げられて問題になるわけです。柳田は退官後、所謂多神教の世界ですが、地方の研究を進めるわけです。
吉村)私は、この廃仏毀釈がどのようなものであって、全国的にお寺がいくつ潰されたのか、残ったのか。具体的な実態を知らないわけですね。特に東本願寺、西本願寺がどのように対応したのかということですね。
 不敬罪というものが過去に猛威をふるいました。天皇教があり、不敬罪があれば、いざという時に「お前は、天皇とキリストのどちらを取るのか」と二者選択を強要され、「キリストを取れば不敬罪」になるわけです。信教の自由を一見許しているようであってね、実は許してなかったわけです。日本で今でもキリスト教徒が非常に少ない理由ですね。
生駒)明治の帝国憲法は、国家神道を前提にしながら、宗教の自由を規定していたと思うのですか。
吉村)一度丁寧に見る必要がありますね。

<廃仏毀釈と軍の近代化>
生駒)江戸時代になかった国家神道というものを明治時代に作ったという理由には、軍隊を近代化していくために、上官の命令は天皇の命令であるという戦陣訓的なものを注入していくためのシンボルとして必要だったというわけですね。ヨーロッパを新政府の連中が回った時に、プロシャの軍政を見てですね。むしろ軍隊の統率の必要性から天皇教的なものを確立していったのでは、と理解していたのですが。
吉村)それだけではなくて、全人民の統率のためでもあったわけですね。僕は今でも覚えていますが教育勅語ですが、あれは天皇教の聖書のようなものですね。朕思ふに・・というヤツですね。
生駒)教育勅語は、日露戦争の時はなかったですね。
吉村)いや、「明治23年10月30日御名御璽」といいますから、すでにあったと思います。
(ここで休憩、玉露と玉の茶器のお話で、盛り上がりましたが省略です。先生のお宅ではおいしいお茶がいただけるのです・・・佐野)
吉村)本当に考えておいてくださいよ、天皇教の問題をね。
生駒)先生、せめて問題提起を書いてくださいよ。
佐野)今日のお話は、文章にしますので・・・。
吉村)本当に最悪の宗教なんですからね。自然死させて、皇室の方々をしがらみから解放してあげるべきですね。雅子さんは、一番市民的だったから、いじめられているのではないですか。初めから人格なんて認めない制度なんですから。
佐野)ヨーロッパの王室なんて、もっと自由に出て行きますね。
吉村)イギリスへ行けばバッキンガムの衛兵の交代式を見に行きますね。柵の後は宮殿ですね。日本のように堀を隔てて、というようなものではありませんね。ベルギーなんかでも市民に混じって買い物などに行っているわけです。そもそもあの宮城を開放しないといけないですね。戦後一時期「皇居開放論」があったんですね。公園にして自由に入れるようにね。
佐野)女帝論は、延命のためのものですからね。
吉村)不合理なものは廃止すべきです。強権をもってするのではなく、自ら自然死させるべきです。
生駒)三笠宮が別の意見を持っていて、側室をおいて男系が生れるまですればいいと言っていますが・・
吉村)それが本来の姿なんでしょうね。まさに「君主の最大の機能は生殖」なんですから。それを昭和天皇が切ったわけです。
佐野)最近松本治一郎の伝記が新しくでているんです。戦時中水平社解消という問題についても、新しい考え方が示されたりしています。読んで見ると、天皇制に対しても厳しい姿勢を貫いた気骨のある運動家像を発見できますが、今日のお話と繋がるものを感じますね。
吉村)戦前は、1月1日は休みじゃないんですね。そして新嘗祭とかの日は神社にお参りをし、学校などには奉安殿というのがあって、その前では敬礼しなければならないとかね。教育勅語など今でも暗唱できますよ。だから、明治23年10月30日と出てくるんですね。

—大阪市問題、関市長、中馬市長と市労連その関係など、興味深いお話をお聞かせいただきました。自治体の財政問題の議論の中で、「官から民へ」の小泉改革の話題へと発展しました。—

<マンション強度偽装問題と公共政策>
吉村)民ではできないものがありますね。マンション強度の問題もそうですね。5年前ですか、官がしていた強度検査を民間に移しておかしくなったわけですね。私たちが社会政策を習う時に、放っておいたら労働力の乱費になる、個別資本では乱費するので、大河内さんは社会的総資本=国家という形でね、それにブレーキをかけるのが社会政策だと言ったわけです。
 市場の原理に任せておけば乱費になる、それを「どの範囲まで残すか」ということですね。そういう意味で今回の事件は大きな問題だと思うのです。小泉の改革は規制をはずすことですね。だから残すべき規制があるんだ、そしてその規制をはずすというのは改革ではなくて、資本家のように金を儲けようとするものにとっては「改革」かもしれないが、一般人民にとっては改悪だということを声を大に主張しなければいけない。国民の命に関する事は特にね。規制をはずしてはいけないわけです。
佐野)私も専門外なので、構造計算のチェックが民間委託されていたことも知りませんでしたね。
生駒)しかも、建設会社がいくつかで連合して、あのようなチェック会社を作っているそうですね。腐敗が起こるのは必然ですね。
吉村)これも二人への宿題で、規制をはずしてはいけない分野を明らかにする必要がありますね。命に関わる問題はもちろんですが。
 命といえば、医療の問題も荒廃が進んでいます。小児科がなくなり、産婦人科もそうらしいですね。この問題は国家が金を出して損失を抑え小児科や産婦人科を維持・強化する必要がありますね。

 医療改革・年金問題などにも話は及びましたが、紙面の都合で割愛させていただきました。吉村先生は3月19日で84歳、まだまだお元気で、我々に数々の「宿題」をくださいました。どうもありがとうございました。(文責:佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.338 2006年1月21日

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