【書評】『アーレントとマルクス』

【書評】『アーレントとマルクス』
(吉田傑俊・佐藤和夫・尾関周二編著、2003.9.22発行、大月書店、2,800円+税)

 本書は、今日なお様々な評価を得て、その位置の定まらぬ思想家ハンナ・アーレントを取り上げた論文集である。収録された論文の多くは、マルクスとの関係ではアーレントを、どちらかと言えばマルクス寄りの立場で取り上げている。ところが、「ソ連型」社会主義の崩壊以来、マルクスの思想が未だに確固としたものとして結論付けられていない状況が、微妙な影を落としている印象で、読み終えてなお一定の形を持つアーレント像に至らないというのが正直な感想である。
 さて編者によれば、アーレントが今日まで現代性を持ち得ている理由は、次の2つであるとされる。
 「一つは、彼女が、1941年以降、ナチスによる迫害を避けてアメリカ合衆国に移住し、結果的に、戦争によって破壊されることなく、空前の物質的繁栄を遂げた『豊かな』資本主義社会を目の当たりに経験できたことであり、そこで、現代のヨーロッパや日本の状況と基本的には共通する問題に、すでに、五〇年以上前に直面したということがある」。
 すなわち大量消費社会の出現とそれに伴う文化的な諸問題への考察である。
 「もう一つの原因は、彼女がナチズムとスターリン主義という二〇世紀の最も恐るべき事態に直面し、その問題をカール・マルクスとの対話と対決のなかで思考しぬいたことにある。(中略)その際、彼女の出発点ともいうべき立場は、スターリン主義と系譜的には結び付いているはずのマルクス主義がヨーロッパの政治思想の中核から生まれてきたものであるという認識であった」。
 すなわち、マルクスの思想が全体主義につながる要素を持つとされるならば、それに対する批判は、ヨーロッパ思想そのものが持つ伝統への批判になるという認識で、アーレントは、マルクスの中心思想–労働概念–に焦点を当てる。そしてマルクスによって人間化活動への契機とされた労働に対して、「自由な協同の『政治』的活動」、「人間の『始める力』」を人間が固有の意味で人間的になるための活動であるとした。「解放」という点で言えば、「アーレントにとっては平等な人間関係を前提にした話しあいと活動の『政治』空間こそが、解放の空間そのもの」であり、「他者の存在の絶対的承認を基礎とする」とされる。
 以上のような問題意識に立って本書は、アーレントの思想を「第1部 アーレント思想の射程」「第2章 アーレントとマルクス」「第3部 アーレント思想の影響」という内容で考察する。以下主な論文を紹介しよう。
 「第1部」の「ハンナ・アーレントの革命論–自由と〈胃袋〉(ネセンティ)の問題」(古茂田宏)は、アーレントの『人間の条件』(1958年)を手がかりにして、革命論を取り上げる。著者によれば、アーレントは「フランス革命は貧困(ネセンティ)(『胃袋』の問題)の解決という政治的に不可能な課題を背負わされたために、自由の革命から必然性(ネセンティ)の革命へと変質し、独裁とテロルのなかで自壊した。ロシア革命はその挫折を確信犯的に反映した」として旧来の革命論を批判し、「自由の創設」を遂行し得たアメリカ革命を評価した。しかしこの批判の重要性は認められるものの、この視点ではかえって「社会問題」(ネセスティの領域問題)を排除してしまう「逆向きの倒錯」になってしまうのではないかと指摘する。
 また「世界疎外と精神の生きる場–活動(アクション)とは何か」(佐藤和夫)では、アーレントが人間の営みを三つ–労働、仕事、活動(アクション)–に分けた中での活動(アクション)の意味が探られる。すなわちアーレントは、近代社会で規範化された〈工作人〉としての人間のあり方には、「制作」の論理に従って自然や人間関係を手段化する暴力的な過程が入り込んでいるとして、これを批判する。そしてその克服のために、「『何』という形で表現される社会的機能なり役割とは区別される『誰』というかけがえのない存在」としての「人びとの協同の営みである活動(アクション)が自己目的として追求される社会」を対置することが示される。
 「第2部」の「〈社会的〉解放か、〈政治的〉解放か?–カール・マルクスVSハンナ・アーレント」(石井伸男)は、アーレントが、マルクスの「社会的解放」に対して「公共圏の再建による『政治的解放』」を提示したことについて、「自然的素材とその社会的形態規定の二重性を分析するというマルクスの方法」に対する無理解があることを指摘する。しかしこの両者の間の架橋については、「マルクスにおける政治理論の空白部分にアーレント的着想を生かすという形では積極的な立論の余地がありうる」との展望を示す。
 「エコロジーとコミュニケーション—アーレント-マルクス関係の一考察」(尾関周二)では、アーレントの労働概念の一面性と「労働」・「仕事」の二元的区別の不適切さがエコロジー問題の解決への障害になっていることが指摘される。同時にアーレントの「活動」、「言語」概念の持つ積極的な意義が語られる。
 以上の他に、アーレントの思想は、現代変革思想にとって「助走路のマーク程度に留まる」という評価(竹内章郎「アーレントの発想は現代の変革に資するか?」)や、「第3部」でハーバーマスやサルトルの思想との比較検討等もなされている。
 このようにアーレントをめぐる議論は幅広く深い展開を見せており、マルクス像、社会主義像が模索されている状況では、現実の社会変革運動と絡めても多くの反省点と教訓を含んでいる。本書はアーレントの紹介書として一石を投じたものであるが、その具体的豊富化が今後に期待されている。(R) 

 【出典】 アサート No.330 2005年5月21日

カテゴリー: 思想, 書評, 書評R パーマリンク