【投稿】小泉内閣と憲法九条をめぐる攻防
<<「本当に憲法を守らなければならないのか」>>
ついに小泉首相は、1/31の参院予算委員会で、自民党の若林議員の質問に答えるかたちで、憲法九条について「厳密に解釈すれば、自衛隊は廃止しなければならないという議論がいまだにある」としたうえ、「もっとはっきりとわかりやすい条文に改めた方がいいのではないか」と、軍隊保持を憲法に盛りこむ明文改憲をすべきだとの考えを明言した。国会開会冒頭の施政方針演説では、改憲については「大いに議論を深める時期」としていたものを、さらに踏み越えたものである。これは明らかに憲法九九条(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)で政府に義務づけられた憲法尊重・擁護義務を踏みにじるものである。
さらに首相は挑戦的に、「現在の憲法のままでいいか、問題点はたくさんある」として、公の支配に属しない事業への支出を禁じていることと私学助成が矛盾するかのような軽薄な詭弁を弄して、「憲法九条ばかりでなく、本当に憲法を守らなければならないのか」と憲法そのものに露骨に敵対する姿勢を表明したのである。このような発言は、首相職どころか国会議員を辞職した上でなされるべきものであって、歴代首相もなしえなかった異常な突出ぶりである。ところが多くのマスメディアは、この異常さを批判も、指摘さえも出来ないでいる。
図に乗った首相は、2/2の衆院予算委員会でも、憲法への「自衛軍」の明記を求めた民主党の鳩山由紀夫議員の質問に、「私も賛成だ」と答弁し、さらに「集団的自衛権」の行使も可能にすべきだとの考えを示し、鳩山氏の「国連決議の基づく自衛隊の海外派兵」に対しては、「今後、国連決議が必要かということについては、よく議論していただきたい」と答弁し、国連決議のない派兵にまで踏み出し始めたのである。
<<憲法9条は「常識に合わない」>>
鳩山氏はこの質問の中で「ぜひ、主導的立場を、総理として自民党総裁としてとってほしい」と、首相に改憲の「リーダーシップ」をとることを、こともあろうに政府と自民党に要請する事態である。
国会審議の場で、民主党が首相の金銭疑惑や政治姿勢、郵政民営化等について何を聞いてもニタニタ、ヘラヘラと、人を食ったような答弁で済ましてしきた首相、そんな答弁を許してきた民主党が、改憲論議となると俄然張り切りだし、擁護・尊重義務のある憲法について、しかもその根幹を改悪する危険なすりあわせ問答を、政府・与党・自民党と民主党を代表する両者が行っているのである。これは危険な大政翼賛問答ともいえよう。
野党の元党首から激励されて意を強くしたのであろう、首相は同日夜の記者会見で、「自衛隊にしても自衛軍にしても日本を防衛する組織は違憲論が出ないようにしっかりと憲法に位置付けたほうがいい」との見解をあらためて強調し、だいたい今の憲法9条は「常識に合わない。だから違憲論が出る」とまで言い放ち、「憲法違反ではないようにだれにでも分かりやすく明記した方が良い」と言い切ったのである。
だからこそであろう、憲法第九条が「常識に合わない」という認識が、昨年10月末、現職の陸上自衛隊幕僚監部の幹部自衛官に改憲案を作成させ、「自衛軍」の創設や集団的自衛権行使の明文化、特別裁判所(軍法会議)の設置、国民の国防義務など非常に危険きわまりない内容が盛り込まれ、それがそのまま自民党改憲草案大綱に反映されたのである。憲法順守義務のある自衛隊員が許されるはずのない改憲に公然と手を貸し、しかもそれが発覚しても、防衛庁は、シビリアンコントロール(文民統制)原則から逸脱したこの重大な憲法順守義務違反行為に対して、さらに付け加えていえば自衛隊法第61条で禁じられている自衛隊員の政治的行為に該当する厳禁行為に対して、防衛庁内の身内の調査だけで済まし、「組織的関与はなかった」と断定、「口頭注意」という極めて軽微な措置で事態の収束を図り、処罰されないという(昨年12/24)、本来あってしかるべき「常識」に合わない危険な事態が進行しているといえよう。
<<「攻撃的なたたかい」>>
1/24、自民党の新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)の初会合が開かれ、九条を焦点として、個別の条文を検討するため、同委員会の下に設けた十の小委員会で三月末をめどに報告書を取りまとめることを決定、これらをもとに、四月に委員長試案を策定し、十一月の結党50年大会に併せて草案を発表するとしており、森氏はあいさつで、「党を挙げて新憲法草案の取りまとめを行う態勢が整った」と述べている。
森氏はこのあいさつの中で「わが国は平和憲法前文に書かれているように攻撃的なたたかいはできないんだということで、これからも洞が峠を決め込んでいて国際社会で信頼をされるのかどうか。このことが今度の憲法の一番のテーマだ」と語り、ついに「攻撃的なたたかい」への参画と憲法前文までをも否定する改憲論の本音を吐露している。
1/27、衆院憲法調査会の幹事懇談会が開かれ、自民党の中山太郎会長と民主党の枝野幸男会長代理は、今国会での「最終報告書作成へ向けての調査(案)」と題する日程と調査項目を提案し、自民、民主、公明はこれを了承している。
そして本年五月には、憲法改定の手続きを定める国民投票法案を通常国会に提出し、審議入りを狙っている。これについて自民党の武部勤幹事長は、「与党として提出は決めている。通常国会で必ず出す」と明言し、公明党の神崎代表も、国民投票法案を通常国会へ提出し、成立をはかることに「異論はない」とし、「今年五月ぐらいに衆参両院の憲法調査会で、憲法改正についての一定の方向性が出される。タイミングとしては、その報告を受けて手続き法を国会に提出するのがいい」との見方を示している。
かくして小泉内閣の下で、憲法九条改悪が着々と進行しつつあるかに見える危険な事態である。
<<「”守旧”勢力」>>
そして以前から改憲論を声高く主張し、改憲案まで発表してきた『読売新聞』は1/1日付で、憲法と教育基本法を脱却すべき「『戦後民主主義』の残滓」と規定し、「いまだに『戦後』思考を脱却できない”守旧”勢力」を断罪し、1/4付では、「憲法改正の核心は九条改正だ」として、「自衛軍」「集団的自衛権の行使」の明記を主張した。同じく『産経新聞』も1/1付で、「『戦後の終焉』を告げる象徴的ゴールとしての、あるいは究極の構造改革としての憲法改正(および教育基本法改正)がある」と主張、『日本経済新聞』も1/9付け社説「新憲法制定で真の民主国家に」で、自衛権を明記すべきだと主張している。
全国紙の改憲派三紙が旗職を鮮明にしたのに対し、『朝日』『毎日』は沈黙したままである。これに対して地方紙には、「違った状況」があるという。
週刊金曜日(1/21号)、山口正紀氏の「新年社説に見る憲法」によると、『琉球新報』は一日付で《われわれには戦争の悲惨さと、軍隊・基地の存在する愚かさを伝える義務がある》と述べ、一〇日付《憲法改正の是非》で改憲スケジュールの進行を《危険な気配》と警告。『沖縄タイムス』も一〇日付で、《戦後の原点に立ち、国民が憲法に求めた国づくりの方向を確認する年としたい》《現在の改憲論議は、主役を国民から国家へと移しかえる方向にある》と書いた。『中国新聞』は、一日付《戦後60年 かみしめたい平和の重み》で、《戦後を形作ったのが「平和主義」を掲げる新憲法であり、理念を具現する「九条」である》とし、小泉首相などの《憲法越える軽い言葉》を批判した。そして『東京新聞』一日付は《この国にふさわしい道》として、《憲法九条の理念を最大限に生かし、平和と安定の新しい国際的な秩序づくりに大きな役割を》と提唱した。『北海道新聞』は一日付《平和の構想力を高めよう》で、自衛隊のイラク派兵を批判しつつ、《恒久平和の実現という人類共通の願いを掲げた憲法の精神を具体化する勢力を、政府は真剣にしてきただろうか》と疑問を投げかけた。
<<「日本人の誇り」>>
さらに1/23放送のNHKスペシャル「徹底討論 どうする憲法9条」では、評論家・加藤周一氏が「第一次大戦、第二次大戦以降、世界の主な潮流は戦争を非合法化、禁止する傾向なんです。日本の憲法は、一歩先へ踏み出したのであって、古くなったのではなく、いやがるのに無理におしつけられたというのでもない。日本人が平和を望んだあの機会に、天下の潮流にのって、世界の一歩先に進んだ。ですから日本人の誇りになりうるわけです。」と主張、前号本誌の「憲法九条はわたくし達のほこり」という吉村さんの思いがここでも生き生きと主張されている。加藤氏はさらに「日本の安全は東北アジアの平和と密接に関係する。東北アジアの安全を築くのに、日本外交は失敗した。独仏関係と日中関係は違う。それでも、東北アジアと日本との関係を平和的に発展させるために、九条はたいへん役に立つ。それを除けばマイナスに働く。」と発言している。当然、社民党の土井たか子氏も「いよいよ九条を生かす時代になってきた」と主張し、「九条を世界の規範に」とのべている。
国会内の力関係では、いかにも改憲を主張する勢力が多数であるかに見えるが、このようにことはそう単純ではないことは論を待たない。確かに、改憲反対の社民、共産の議席は圧倒的に少数である。しかし野党第一党の民主党内には改憲賛成派が多数派を形成してきたが、民主党の衆院当選3回以下、参院当選2回以下の若手らでつくった「リベラルの会」(代表世話人は生方幸夫衆院議員ら)は、憲法を改正し集団的自衛権行使を認めることに反対している。そのメンバーが約80人になったという。さらに与党連合を組む公明党やその支持母体である創価学会の中には九条護憲の意見は根強く、幹部は躊躇し動揺している。そして自民党の中にさえ憲法九条問題でも亀裂は存在している。
吉村さんが言われるように「彼らがたとえ議会で改憲を決議しても国民投票では必ず敗北するという予想を与える」、そのような事態に向けて改憲策動を封じていく努力と力の結集が要請されている。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.327 2005年2月19日