【投稿】NPOは社会を変えるか–阪神・淡路大震災10周年–

【投稿】NPOは社会を変えるか–阪神・淡路大震災10周年–

 今月は阪神・淡路大震災から10周年である。大震災は我々に様々な教訓をもたらした。便利ではあるが自然災害に無防備な大都市、危機にすばやく対応できない行政、高齢者・障害者・外国人等の災害弱者へ大きなしわ寄せ…。超近代的大都市が崩れ去り、赤々と燃え続ける街の姿を前に、私たちは人間の無力さと喪失感を感じざるを得なかった。しかし、そのような悲惨な状況の中で、唯一明るい光を放っていたのがボランティアの活躍である。被災直後から、のべ100万人を越えるというボランティアが現場に駆けつけ、医療、炊き出し、後片付け等様々な分野で被災者の援助と復興を支援した。ボランティアたちは見事に組織され、機能不全に陥った行政の隙間を埋め、被災者に希望と人のつながりの暖かさを伝えた。それまで、日本はボランティアは不毛の地だと言われてきた。誰もこのようにたくさんの人たちが自発的に援助に駆けつけ、効果的な活動をするとは思っていなかった。

NPOとは

これをきっかけに、ボランティアは見直され、非営利の民間組織に法人格を与え、活動を支援するための特定非営利活動促進法(いわゆるNPO法)が1998年成立した。以後毎年、NPO法人は増え続け、2004年末ではすでに2万件を越えていると言われている。NPOというのはnonprofit organizationの略で、日本では非営利組織と言われる。NPOの定義は国によって様々であるが、アメリカでは病院や学校、労働組合までその範疇に入れている。日本ではNPOというと、NPO法により認証されたNPO法人と誤解する人が多いが、「営利を目的とせず、広い意味での社会的課題への対応を目的に、自発的に組織された自立した団体」というところが一般的な理解ではなかろうか。そのような団体はさらに何十万件と存在し、どんどん増え続けている。

今やNPOばやり―その背景は

ここ数年、国をはじめとして、行政がNPOに益々注目している。自治体の首長候補の公約には必ずと言っていいほど「市民との協働」「NPOの支援」といった言葉が並んでいる。各自治体は次々と市民参加による「NPO促進懇談会」のようなものをつくり、そこからの提言を背景に、NPOを巻き込んだ様々な施策を展開し始めている。この状況にはいくつかの背景がある。一つは行政側の事情。①財政危機。行政の仕事の一部をNPOに任せスリム化をはかりたい。②行政ニーズの多様化・複雑化。縦割りの行政の対応では融通が利かず、NPOに頼らざるを得ない。そして、市民側の事情。①高齢化社会への移行。団塊の世代が退職しつつあり、退職後の生きがい・社会的活動の場を求めてNPOを作ったり、参加している。②女性の社会進出。多くのNPOは女性が中心的な役割を果たしている。主婦や子育てで退職せざるを得なかった女性たちが社会活動の場としてNPOに参加している。③市民の力量の強化。これまですべて行政任せだった市民が、自ら組織し、活動資金を集め、目標を定めて問題解決のために具体的に行動している。また、社会貢献がブランドになりつつある企業もNPOに注目しており、NPOに対する積極的支援や共同事業などにも取り組み始めている。

変わる自治体と市民

このような中で、これまで「行政=やる人、市民=要求する人」というような関係が、知恵と力を出し合って、具体的な課題の解決のために一緒に行動するという形も生まれてきている。また、そのような「協働」を実現するために、市民による予算編成(埼玉県志木市)、住民税の1%を納税者が選んだNPOに寄付する(千葉県市川市)といった、これまででは考えもつかなかったユニークな制度をつくる動きもある。地域はNPO活動を通じて確実に変わってきているように思う。

問題点と課題

しかし、問題点と課題も多く存在する。一つはNPOの活動基盤の弱さ。特に財政基盤は弱く、それがNPO活動の不安定性、信頼性の欠如にもつながっている。かといって、行政からの援助に頼れば自立性を失うし、実際は現在の行政にそのような体力は望めない。それならば民間寄付に頼れば良いが、税制上の壁もあり、日本ではほとんど集まらないのが現状である。そのような中でCB(コミュニティー・ビジネス)として、自ら採算の取れる収益事業を行うNPOも増えている。
また、NPOが注目される中で、儲けのために安易にNPOを立ち上げたり、暴力団が役所からの委託のダミーとしてNPOを作ったりという例も聞くようになった。自立したNPOとして「役所公認」なんていうのはなじまないならば、やはり、徹底した情報公開で市民自身が評価を下し、淘汰されていく仕組みも作る必要があるだろう。

アサート的評価は?

NPOの伸張と行政・企業活動への参入は、権力に対する市民参加であり、明らかに民主主義の進展とも言える。一方、危機にあえぐ日本政府が巧みに民間を取り込み、行政課題をNPOに任せて、戦争国家への道を突き進んでいるのかもしれない。NPOの活動を我々はどう評価すべきなのだろうか。これまで、我々はあまりNPOのような活動をきちんと評価してこなかったと思う。今回の文章を書くにあたって過去のアサートを遡って見たが、労働組合に関する文章は多いがNPOやボランティアに言及したものはほとんどなかった。私自身は、NPOの勢いやその影響力、実際に活動している人たちの意気込みに接して、NPOは社会を変える力を持っている、それも革命的に変えていく方向に向かうのではないかと感じている。もしかしたら、労働組合よりNPOの方が社会を変える力を持っている、あるいは持つようになるのではないか。
基本的にクローズドで不況の時には守りにならざるを得ない日本の労働組合と、常にオープンで攻めの姿勢のNPOは場合によっては対立する場合もありえる。例えば公の施設の民間参入に道を開いた指定管理者制度に対して、組合員の雇用確保のためにこれに反対する自治労と、指定管理者となって新たな事業を展開しようとするNPOとの間には、けっこう大きな溝が横たわっている。しかし、これからは労働組合もNPOと連帯することによって、社会的な公正性を担保できるだろうし、NPOも不安定な活動基盤を強化できるのではないか。私は労働組合の一員として今後NPOの活動にも大いに注目していきたい。
(若松一郎)) 

 【出典】 アサート No.326 2005年1月22日

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