【書評】三浦明博 『滅びのモノクローム』
(講談社、2002.8.5.発行、1,600円)
本年度の江戸川乱歩賞受賞作である本書は、「一個のリールが歴史の闇に光をあてる」(外帯)というふれ込みの下、「CМ製作者が手作業で再生した古いフィルム。そこには日本がひた隠しにしてきた過去が映っていた」(同)という事実を軸に展開するミステリーである。とはいうものの、「歴史の闇」や「ひた隠しにしてきた過去」は、読後感としてはそれほど強いインパクトを与えなかったというのが、正直な感想である。
ストーリーは、広告代理店の仙台支社の社員である日下が、骨董市でフライフィッシング用リール『パーフェクト』を掘り出したことに始まる。そのいきさつは省略するとして、リールの入った柳行李の中に小さなスチール缶があり、そこに古い16ミリフィルムがあった。実はリールそのものの芯の部分にも16ミリフィルムが巻きつけられていたのであるが、これらを再生しようとしたことが思わぬ波乱を引き起こすことになる。
つまりそのリールとフィルムは、売主であった日光の旅館の娘、月森花が、実家の土蔵から持ち出したものであるが、そこには、持ち主であった祖父、月森進之介の過去の秘密が隠されていたのである。進之助は、戦後は和風旅館の経営者として成功したが、太平洋戦争中は、特高(特別高等警察)の警察官として思想関係専門の仕事をしており、当時「鬼畜米英」と宣伝された在日「敵性外国人」やその二世とかかわっていた。つまり奥日光の中禅寺湖畔には、かつてはヨーロッパ大使館の別荘がいくつもあって、ヨットや釣りを通しての大使どうしの交流も盛んであった。このため戦争中もその名残りで、在日英国人たちが住んでおり、彼らを監視する任務についていたのである。
さて前述の古いフィルムを再生して、これを今制作中の某政党のCМの背景に使えないかと日下は考えるのであるが、その過程で、現在公表されると一大政治スキャンダルとなる恐れのある過去の事実がフィルムに映されていたことが明らかになってくる。というのも現職のその某政党の国会議員──進之助の戦時中の上司であり、敗戦後も抜け道を使って追放の手を逃れ、実業家となって後に政治家に転身した──にかかわる疑惑が推定されるからである。
この結果として起こされる殺人とその究明、政治家の自己保身のための方策=闇の世界とのつながり等々については、本書をひもといていただくとして、本書が戦時中の在日外国人それも一般にはほとんど関心を引くことのなかった欧米系の外国人を素材にしたことは評価されるべきであろう。たとえ少数の人々であり、また二世であったにせよ、まさしく戦争相手の当の敵国において生活していた彼らの存在の解明こそ、忘れられていた歴史の隙間を埋めるものと言えよう。
しかし本書では、ここから一足飛びに、事件が起こった当時の政治的な状況と現在の政治状況とを結びつけようとする傾向が見られる。そしてこのことが、ストーリーの展開に対して唐突な印象を与える。
例えば、この在日外国人の問題に関心を持ち、進之助に頼まれてフィルムを探すことになったフリーライター、苫米地悟郎は、花と次のような会話を交わす。
「戦争を経験した人たちは、最近のこの国の変化を、とても恐れている」/「変化?」/「あの戦争に突入する前の、なんていうか、空気とでも言えばいいのか、それが恐ろしいぐらい似てるそうだ。あいにく僕自身は、経験がないので何とも言えないけど」/「日本が戦争をはじめるかもしれないってこと? そんな馬鹿なことはあり得ないと思うけど」/「個人情報保護法案って、知ってますか」/首を横に振った。/「盗聴法は」/「名前は、聞いたことがありますけど」/(中略)/「まあ、おかしな言い方ですよね。僕自身もはっきり結論が出ているわけじゃないんで、仕方ないですけど。でも国民の側は、すでに国に対して愛想を尽かしかけている、これは危険な徴候です。国は国でますます国民に縛りをかけ、監視する方向へ進んでいる。お互いの思惑が、まったく逆を向きつつある。(後略)」
あるいはまた、花の質問に答えての、進之助の次のような発言も、そうであろう。
「(戦争に──引用者)反対しようにも手足を縛られてしまっていたのだよ。戦争がはじまる前に、身動きができんような法律が、すでにできてしまっていた。国民に戦争を防ぐチャンスがあったとすれば、唯一、あのときだけだったのかもしれん。だがわしら国民のほとんどは、興味もなかった。(略)」
「一九九九年の改正住民基本台帳法、そして翌年国会に出された個人情報保護法案、自衛隊法改正案。すべてが法案として通過しているわけではないが、こういうのが続々と出されてくる。何やらきな臭い感じもする。見過ごしておるうちに、わしらは、国家の奴隷になってしまうかもしれん」
しかしこれらの政治的背景の挿入は、著者の意図とは異なり、むしろ違和感を覚えさせ、成功しているようには思われない。しかし著者が本書で提起している次のモチーフについては、今後の作品の中でもっと深めてもらいたい。それは終末部分で、「歴史の闇」に葬られていた「過去の事実」が、当の政治家の講演会場で暴露された時の状況について、後に日下と大西──フィルム解像再生の専門家──が語る場面である。
もう一本たばこを灰にしてから、日下は言った。/「実はフィルムをホールで流したとき、背筋が寒くなった」/「あたしが見たら失神しちゃうでしょうね、きっと」/「そうじゃない。思ってたよりずっと、観客が騒がなかったってことにさ」/「驚いて、声も出なかったんじゃない?」/「そうかもしれない。でもおれは別のことを考えてた。もっと残酷なものを、おれたちはたくさん見てしまってるんじゃないか。平和だとばかり思っているこの国では、あれぐらいのことじゃさほど驚かなくなっているのかもしれない」/「残酷さに慣れちゃっている?」/「分からない。でもあの時、自分も含めてそう思った」
思えば、ミステリーそのものが、近代戦、特に第一次世界大戦の大量殺戮を経て、人間の死が日常の出来事となった時代に、ある特定の個人の不審な死にスポットを当て、その謎を合理的に解明する物語として登場した。それ故それは、大量の死に埋もれてしまった時代において、人間の死に意味を与える試みであったと言える。この点から見れば、「もっと残酷なものを、おれたちはたくさん見てしまってるんじゃないか」という日下の言葉は、ある面で現代社会の「歴史の闇」を突いている。そしてそれは、現時点において世界各地で生じている悲惨な現実を前にしながらも、なおわれわれが何故ミステリーを読み続けているのかということに対する鋭い問いかけにつながる。
過去と現代の政治情勢とミステリーを結び付けようとする著者の目論見は、本書では十分に達成されたとは言い難く、筋運びや叙述の仕方も荒削りでなお改善の余地はかなりあるようである。しかし本書で取り上げられたさまざまな素材を、今後精密に仕上げていく過程で、社会性を持つ新たなミステリーが構築されることを期待したい。(R)
【出典】 アサート No.300 2002年11月23日