【投稿】吉野川をたずねて–徳島知事選挙と第十堰–

【投稿】吉野川をたずねて–徳島知事選挙と第十堰–

 5月の連休に吉野川を訪ねる旅に出た。動機は簡単だ。徳島吉野川の流域が私の父母のふるさとであり、前々から一度ゆっくり訪ねたかっただけのこと。
 偶然にも、丁度徳島知事選挙の投票日を挟む日程で旅をすることになった。淡路島から鳴門を経て高速道路で徳島市内に入り、迷わず「吉野川第十堰」をめざした。
 その日は投票日で、街は意外と静かだった。徳島市内の家々に「投票に行こう!」というだけのポスターが多く貼られ、以後内陸部へ行くと「阿波女を知事に」というポスターも時々見かけることになる。前者が「勝手連」が押す大田候補であり、後者が自民党系無所属の女性候補陣営ということになるが、圧倒的に前者のポスターが目立って多かったのである。
 
 <川が生活とともにある>
 徳島市内から吉野川沿いの道路を行き、流域の様子を見ながら進む。南に眉山を見ながら、吉野川沿いを走ると、河川敷の砂地でたくさんの人がバケツを持ってシジミ取りをしている。漁師というわけではなく、周辺の住民の方がその日のおかずにと取っているという様子。海水と淡水が交じり合う汽水域でシジミは育つ。長良川でも中海宍道湖でも同じことである。釣りをする人、散歩をする人、川は住民の生活と共にあった。
 ようやく「第十堰」にたどり着く。写真やホームページで見たことはあるが、川幅200mに渡された第十堰を歩いて初めて吉野川を渡る。鮎のための魚道もたくさん設けられており、若干渇水ぎみであったが、十分な水量が魚道を流れていた。堰周辺でも釣りをする人、仕掛けで狙う人とたくさんの人で堰周辺は賑わっていた。
 四国三郎と言われる吉野川、これまで数々の洪水も起こしてきたが、江戸時代以来、石積みの堰で治水が行われてきた。ここに長良川と同様の可動堰を造る計画に対して住民はNOの答えを出してきたわけだ。川が生活と共にあるからこそ、「吉野川可動堰」計画は住民から批判を浴びたわけだ。
 
 <公共事業の制御が選挙の争点に>
 今回の知事選挙は可動堰推進派の現知事の収賄容疑での逮捕を受け行われたもの。元社民党県会議員の大田氏が野党の推薦で立候補し、一方の自民党は汚職事件の影響で公認候補を出すことができず、無所属女性候補で闘うという構造になったのである。もちろん自民党首脳・野党党首も徳島入りし、新潟・和歌山両補選と並んで政治決戦の様相となった。大田陣営の主流は可動堰反対運動を作ってきた市民Gだった。
 徳島はもともと日本の中でも「開発」の遅れた地域であり、おそらく県民総生産も島根県と並んで最下位に甘んじているだろう。それは利権政治の温床ということになる。昔は「徳島戦争」と言われ、後藤田と三木が保守同士の争いをした。しかし、時代は変わったのだ。
 
<市民派知事の誕生>
 投票日の夜、宿泊地のテレビで大田候補当選を知る。しかし、前途は多難である。ともかく、独自財源が乏しく、勢い公共事業・補助事業に頼る県政がベースである。後に初登庁した新知事を迎えた県議会は、公共事業への選挙公約をめぐって厳しい態度で追求している。確実に市民の意識は変化しているにも関わらず。
 その日の宿は、池田町周辺の民宿としたが、このあたりは懐かしい場所。あの蔦監督の池田高校のある町。そして幼いころ、父に連れられ、旅をした場所だ。小学生のころだったか、吉野川の鮎の塩焼きを何度もお代わりをしたことを思い出す。長良川への関わりはまだ十数年だが、吉野川への関わりは40年を越えている。次の行動提起があれば、四国三郎にカヌーを浮かべてみようと思っている。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.295 2002年6月22日

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