【投稿】小野さんの講演録を読んで

【投稿】小野さんの講演録を読んで
                      宝山 豊
1、久しぶり
久しぶりに、懐かしい単語とフレーズにふれて、まるで昔の付き合っていた彼女の写真を見る思いでした。ところがある日、街でばったり。話をしてみると、いきなり世界観、人間観、歴史観をまくし立てられた思いでした。
かつて同じ本を読んでいた人は、歳月を経て私の感覚とは微妙な違いが出てくるのかなと感じました。
はたして、その違いとは何なのかを自問自答しつつ一筆啓上申し上げます。

2、 根本問題にブレがある!?
まずは「疎外の三形態」の話ですが、その前に森信成先生は「唯物論か観念論か」という根本問題に対して多くの労力を傾注してきたのではないですか。
私の昔の微かな記憶では、意識と存在のどちらを一義的なものとするのかが根本問題。
さらに、人間の本質は「愛」であり、「利己愛」と「利他愛」から成立している。
「利己愛」は、人間の肉体の存在、その内にその源泉があり、「利他愛」は、「類」として存在する人類そのものの内にその源泉がある。
だから、「人間」「歴史」「世界」の順番のではないだろうか。
このことにより、少なくとも私は、「疎外の三形態」についてもそれなりの理解をしてきましたし、意識と存在の関係を解き明かす近年の多くの思考も私なりにおもしろく思えてきました。
  あまりにも難解な科学の話は、私にはわかりませんが、「従来の科学が宗教と平和共存してきた姿勢を改め『神仏』とは真正面から取り上げ本格的な検討を加えていくべき」とは具体的に誰がどこで、どの様にするのでしょうか。科学の分野の領域とか課題が不案内ですのであの講演録だけではわかりかねます。
学術的な分野での業績はわたしには祈るしかありませんが、私のようなものでも司祭や僧侶も風邪をひけば抗生物質をのみワクチン注射をし、様々な化学療法と理学的療法を受けさらには、数種類のサプリメントと栄養ドリンクを服用している複数の人を知っています。
高度に進化した物理学をはじめとする自然科学の話の羅列で、根本問題を曖昧にするのは、決して思考のパラダイム転換ではない。

3、 今の私の実感に合わない
新しい社会の基本理念を創り出そうというお気持ちは、わかりますが、誰でもが大学の講師、ミュージシャン、発明・発見者となるわけではありません。
反面、今の日本では誰でもがその能力さえあれば実現可能な社会になっているように思います。その意味では、今の日本はユートピアなのかも知れません。
例えば、モーニング娘を見てください。先日発表された納税番付によると、14・15歳のつい最近メディア受けした小娘が納税額で1500万円もあるのですよ!
推計所得は約5000万円です。(うちの娘もモウ娘に入れてくれ!)
その意味では、いまの日本社会は万人起企業家社会論がすでに実現していませんか。
しかし、ほんの一握りの人間をもって社会全体を規定し、概ね多数の人間をもって少数を規定、規制する社会を問題としているのではないでしようか。
付け加えるならば、発明、発見についても権利とそれから生じる利益についての分配と保護についての法的整備がととのいつつあります。さらに、現代の発明・発見は単に個人の能力だけで生れるものでないし、そこには、莫大な資本の投下がなされなければ実現しないことのほうが多いでしょう。
問題は、過日アフリカの諸国がエイズ治療薬に対する特許料が払えなくてアフリカのいくつかの国が自前で違法な製造をおこなって問題になりました。一個人、および一企業の利益、一国家の利益よりも「人類的価値」が優先される基本理念とシステムをいかに作るのかが問題なのでは。

4、自衛隊を国連常備軍にとの問題提起ですが、まったく空想的ですね!例えば
誰が指揮権を持つのか 国連事務総長ですか。
どこに常駐させるのか 沖縄ですか、
どういう事態で出動するのか
作戦行動の範囲は 地球規模なのか 
いかなる作戦行動まで行うのか 国家の消滅、領土占領、国民の統治
装備は  核武装を行うのか
兵士は日本人のみなのか
軍の規模は 00軍00師団000万人なのか
費用はどれぐらいで、
誰が負担するのか
報復を受けたときの戦略、戦術、規範は
国際的な承認はどのような形で成立するの
国連人となって自・他国のために自・他国で血を流す若者がいるのか(ソマリア経験でのアメリカと同じ)
奇を衒うような話とあい通じてしまいかねません。
今の政治状況、中国での日本領事館の対応能力、不審船事件等のなかで、こんな話は嘲笑の対象か、別の政治的意図を持った者の好都合の材料になるだけ。
昔の社会党の非武装中立、安保タダノリ論のほうが現実的と言うしかない。
問題提起の根本に、現実認識の欠如と、課題と展望への諦めがあるのではないでしょうか。

5、法人組織
疎外の3形態についても、「資本が法人格を保持するにいたったことが、資本主義の矛盾の根源」として話しておられますが、いったいなんの事なのかサッパリわかりません。
それでは、みどり十字・雪印、外務省、厚生省、自治労の各種の犯罪事象の社会的な意味での理解ができない。
特に、自治労問題。今後、民主的と言われてきた諸団体が社会的批判の対象になることもありえるわけで、それを単に右からの攻撃あるいは弾圧とする姿勢と論調にしか過ぎない。自治労問題でもこのことが一部ではあるが反省がなされたのではないか。そういった深い反省がないと、いくら防止策とか「社会貢献のための基金を」といっても説得力がない。泥棒しといて社会福祉に寄付するみたいな事。ねずみ小僧は義賊であるが、所詮は盗賊。自治労は組織として罪を犯し、看過し、かつ隠蔽しようとした。このことに目をそむけては、多くの善良な組合員、社会にたいしてスジが通らない。
それにひきかえ、某目薬の会社は、いやがらせで「商品に薬物を混入させた」という一報だけで翌日から自社の全国にある全商品の自主回収を「実行」したのです。
莫大な損害を受けることをわかった上で実行したのです。こういう法人をどう理解したらいいのか。ゆえに下のような式が成立します。
(某目薬会社≠みどり十字=雪印=外務省=厚生省=自治労)
これらの共通項は、役所も含めて確かに法人ですが、それでは問題の解とはなりません。その根本的な違いを明らかにしなければならないのが今日的な問題ではないのですか。
「株式会社主義」の方がこの点についてはまじめに検討をしています。最近ビジネス書でもマネージメント関係の本でも、企業の責任を①企業の統治②情報公開③説明責任④遵法主義の徹底⑤社会への義務から貢献へと、うたっています。
なぜこのようなことを言うようになったのか。それまでの実態がひどすぎたこと。二つ目は事実を隠しきれないこと。三つ目にはバレタときのリスクがあまりにも甚大なこと。企業がその責任と取組をしなければ、自己の存在が許されず、市場(いちば?)から放逐されるのです。(例えば雪印)

6、市場の問題
「市場の失敗、政府の失敗、そして『組織の失敗』」の中で望ましい協議システム・秩序維持システムが必要と述べられていますが、その中身が語られていません。ハイエクの個人的自由主義をすべての人の拡大とはどういう事なのですか?
所詮、持てる者の自由であり、独占の自由ではないですか。
協議・秩序維持システムと「組織の失敗」とはどう違うのか。誰しもソ連が崩壊して資本主義が勝利したとは思っていません。新たなる問題と課題が次々に生じています。古典的な言い方をすれば矛盾は更に深化している。
最近話題になつた絵本で、「もしも世界が100人の村だったら」がありましたが、あそこに書かれた、富(スットク)の偏在、飢餓の状況、教育、市民的権利迫害の実態に対して何らの答えも見出せないのではないか。
もう少し失敗の有り様と、原因を明らかにして建設的な対案を語らなければ、議論が進まないのでは。
更に、守秘義務の問題の関連ですが、個人より組織を上位に位置ける思想は、違う意味で変化していませんか。モラルハザードの問題です。官とはいわず、民も学も政はもちろんあちらこちらで壊れています。組織を否定するどころか自己の存在すらも否定してしまうようなことを平気でする。まるでパニックに陥ったねずみの集団自殺のように。
故小野先生が言っておられた「公共的性格と権力的・・・性格」の意味をもう一度考えています。公共性の「公」について、最近多くの本がでています。
これらも含めて「組織の失敗」といえば何の説明にもなりませんが。
わたしは、出きるだけ公が優先される方がいいと思っています。ただし一部、一定の人たちを利する為ではなく「類」としての価値をいかに実現するのか。その為のシステム、組織論、でなければ国家はなかなか眠り込んだりはしません。油断するとその強暴な牙で寝首をかかれるのでは。
その意味で「市場」を「しじょう」ではなく「いちば」と読みかえることの意味がよくわかりません。確かに交易の場であるとすれば、現物取引を前提にしているのかとも考えます。そうでもなさそうですし、現代の経済学者の考えは、不案内ですが、お父上の「戦後日本資本主義論」の中でも国家独占資本主義では深い分析と検証があったと記憶しています。その辺をヒントに今一度、読み返そうと思っています。

7、 実態と合わない「万人起業家社会論」
近年の給与実態を見てもわかるようにその減少に歯止めはかからず、官民格差も依然大きい。官高民低。
大学生の一回生にアンケートすると、8割以上が公務員志望。回生を重ねるごとにその比率が下がり4回生では何とか就職できればという回答が増えるとの話を聞きましたが小野さんの大学ではどうですか。
経済産業省の資料では開業率が廃業率を依然下回っている。開業するのは、さして難しくはないですが、それを維持発展とはいはづ、採算ベース(何とか食べるだけ)にするのも厳しい実体が現れています。
SOHOの労働実態調査では、時間給ベースで全業種の最低賃金を遥かに切れこんでいます。更には、SOHOではありませんが委託業務社員が過労で倒れた事案があり、結果的には、労働の実態が労働者として認定され、労災の給付対象となったとのケースがTVで報道されていました。現実は小野さんがいわれるほど薔薇色とは思われません。

「万人起業家社会論」とは、「一人ひとりが『カミ』であり、私もあなたも心底思えること」として表現しておられますが、その表現はどうでしょうか。オリンポスの神々は個性的でときにわがまま。カミの王ゼウスがおり、日本でも八百万の神々がおられ毎年10月には出雲の国で全国交流集会を行い、そのときにはすべてに君臨する天照大神を中心に盛り上がるらしい。
私の家には「ヤマノカミ」という唯一絶対の「カミ」がおられます。私は、この「カミ」に日々信仰の誠をささげています。これ以上のカミの存在も欲しくありませんし、自分も「カミ」なんかになりたくはありません。そして、ヘーゲルの「・・・教の本質」のようなことはわかりません。
それよりも普通のまま、ありのままの「にんげん」でいいです。
だからこそ、戦闘的でもなく革命的、前衛的、共産主義的、社会主義的でもない民主主義学生同盟が好きだったんです。

8、 クリーンなタカ派と同一線上!?
以上のような意味で、私が無理解と誤解をしているのかもしれませんが、実感と実態に合わないように思えてなりません。
ただ感じるのは、地方の商工会で町おこしとかでがんばっている人とか、地方公務員の中のまじめに、なにかしなくてはと考えている民間を含めて年収600万円以上の層には小野さんの雰囲気がマッチするのかなと思います。
しかし、これらの雰囲気と論理展開は、今の小泉政権と似ている感があります。「クリーンなタカ派」と「リベラルなエリート主義」はある種通じるものがあるのでは、座標軸が違う部分、気がつけば相似形ということもありえます。
「自己責任」、「決断症候群」、「痛みを伴う」、「無用な神学論争は・・・」いずれも歯切れの言い言葉だがその中身を語っていない。ただし、彼らの層は比較的教育水準が高くて、物知りで結構理屈好き。反面、物事の見方がすべてにおいて陰謀論的な組み立てをしており、人を小ばかにしたしたところさえある。これが私のプロファイリング分析です。その最前線にいるのが小林よしのりに代表されるグループではないですか。
このようなフラストレーションに固まったような思想は大嫌いであると同時に、これらが受け入れられる不満の鬱積状態についても危機感を持っています。
これらと同じニオイを感じてしまうのです。
わたしは、もう一度、民主主義を人間性豊かに表現でき、どうしたら、そういう生き方が出きるのか、そして隣人他者の中で生きられるのかを考えたいと思っています。
久し振りに、日頃口にしたことのない文言を書いてしまいました。混乱をしているかもしれません、皆さんのご批判あれば今後の身の糧にし、慎みたいと思います。
敬具
(宝山 豊) 

 【出典】 アサート No.295 2002年6月22日

カテゴリー: 思想, 政治 パーマリンク