【書評】『ジェンダーは科学を変える!?』 

【書評】『ジェンダーは科学を変える!?』 
    (L.シービンガー、小川・東川・外山訳、工作舎、2002.1.20.発行、2600円)

 ジェンダーとフェミニズム関係の書籍は、既に第290号(『フェミニズムと科学/技術』)、第291号(『開発と健康──ジェンダーの視点から』)で紹介したが、本書は、とりわけ近代科学の世界におけるジェンダーの問題への学究的アプローチを総括的に分析し、「フェミニズムが科学にもたらした有益な変化は何かという前向きな課題」に取り組もうとする。

 本書ではこの課題を「第一部、科学における女性」(科学における女性小史と社会学を扱う)、「第二部、科学文化におけるジェンダー」(現在の科学スタイルにおけるジェンダー問題に焦点を当てる)、「第三部、科学内容のジェンダー」(科学的知識のジェンダー化を分析する)という順序で考察する。

 そして本書で扱う対象の以前の、前提となっているフェミニズム(20世紀初頭までのリベラルフェミニズムと、1980年代に出現した「差異のフェミニズム」)の変遷については、その混乱をも含めて、次のように指摘する。

 「もともと女性を排除するように作られた事業[科学]の中で、女性が始めから首尾よく成功するはずがない。女性を男性に同化させようとするリベラルフェミニズムのモデルでは不十分である。同時に、女性は男性と社会化のされ方が違うので、実験室へと、変化の種子を携えていくと示唆する[差異のフェミニスト]モデルも、十分とは言えない。(中略)混乱の何がしかは、男性のフェミニストもいるけれどフェミニストは圧倒的に女性であるという事実に由来する。そしてさらなる混乱は、フェミニストではない女性たちが、フェミニストの戦果から利益を得ているという事実による」。

 つまり本書におけるジェンダー分析の目的は、「科学の隠喩(メタファー)や類推(アナロジー)を政治的・社会的に差別的でなく正しい(ポリティカリー・コレクト)方向へと転換させることではなく、言語に組み込まれたトーテムとタブーが、科学者が発する問いと獲得する結果とに、どのように影響しているかを明らかにすることにある」とされる。

 換言すれば、「なるほど正しい答えを得ること(中略)はジェンダーには無関係かもしれない。しかし多くの場合、何を知ろうとし、何を知ろうとしないかの優先性の決定に際してジェンダーは影響を与える」という事実を解明することにある。

 まず科学に携わる女性の統計から、女性の不利益な状況が指摘される。それらは、(1)「階層的分離」(科学が権力と威信の階梯を登っていくにつれ、女性が減っていく現象)。(2)「領域的分離」(行動科学、社会科学といういわゆる『ソフト』サイエンス領域に女性が集中しており、威信と報酬の高い物理科学などの『ハード』サイエンスに携わる女性はきわめて少ない)。(3)「組織上の差別」(一流組織になればなるほど、女性は少ない上に昇進を待たされる)という事実で示される。

 そしてこのような現状をもたらしたのは、近代科学という文化自体が、「価値中立を主張する」にもかかわらず、「女性不在のところ」で成立し、「家庭の私的領域化と科学の専門職業化」を決定的な要素として形成されてきたことによるとされる。すなわち「科学の理念と女らしさの理念」は決定的に対立するものとして育まれてきたのであり、「公的で理性的な男性の引き立て役として登場した私的でまめまめしい女性、これが新しい民主主義によって与えられた女性の役割、子を産み育てる母だった」のである。「研究者は専業主婦たる妻をもち、その無償労働を前提に、科学という職業文化は可能であった」ということになる。

 従って、近代科学が男性性の象徴であり、その過剰な研究競争がスポーツや戦争に喩えられるのも、科学という文化のそもそもの性格から由来するものとなる。

 「軍隊やスポーツと科学のゆゆしき関係は、今も続いている。社会学者ブルーノ・ラトゥールとスティーヴン・ウールガーは、実験室を『交戦中の大隊司令部』にたとえる。(中略)DNAの発見にまつわるジェームズ・ワトソンのベストセラー『二重らせん』も、闘争のメタファーに満ちている」。

 このような性格をもつ近代科学の見直しのためには、それ故フェミニズムの視点から「研究者の世界と家庭を作り直すこと」が不可欠となる。そしてこのことが必然的に、近代文化そのものが何であったのかという疑問につながることは明らかであろう。本書では、この点についての見通しがまだまだ困難なことを認識しつつ、個々の学問分野におけるジェンダー批判の成果を紹介する。次にそのまとめを引用しよう。

 「重要な点は、フェミニズムが多くの面で人間の知識内容を変えてきたということである。霊長類学者は、もはや人間以外の霊長類社会を攻撃的で縄張り行動する雄の観点からのみ見ることはしない。現在、考古学者は、精巧な矢尻、槍先、斧、手斧といった従来の狩猟道具ばかりでなく、採掘棒、かご(採集に使う)や吊り網(赤ん坊を運ぶ)も『最初の道具』と考えている。生物学者は、もはやアンドロゲンが胎児の脳のある部分を『男性化する』とはいわない。アメリカの法律は、医学研究者に対し、男女のバランスがとれた集団で治療することや薬剤のテストを求めている。(中略)物理学や数学においては、その知識内容へのジェンダーの影響を探るために、相応の教育を受け、その機会をもつ人の登場が期待されている」。

 以上のようにフェミニズム、ジェンダー批判が次第に社会に浸透してきていることは、われわれ自身のもつ文化観・社会観についてのさらなる視点の改革を要請するであろう。本書は、現在におけるフェミニズムの実証的かつ総括的な概観を与える。(R)

 【出典】 アサート No.293 2002年4月20日

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