【投稿】リストラ攻撃と「解雇」ルールの法制化
民守 正義
1.「解雇」の現実
今日の常態化したとも言える企業のリストラ-人員削減は、正当に希望退職募集などから始まるケースもあるが、現実には個々の労働者を、陰湿かつ冷酷に退職に追い込んでいるケースも数多い。実際の例として、十数年も雇用してきたパートを週末の仕事帰り途中に、携帯電話で「来週から来なくてもよい」と一方的に通告したり、急に「勤務態度が悪い」「成績が悪い」「社風に合わない」等と言って、退職を強要するケースは頻繁にある。また、その退職の強要にしても、労働者一人に個室で三人も四人も取り囲むようにして、大声で怒鳴る罵るで退職を迫り、やむなく退職を承諾すれば、「自主退職だ」と退職金も減額されたり、雇用保険離職票も「自己都合」扱い(失業手当給付まで3ヶ月の待機制限)とされてしまう。多くの労働者は、納得できずに憤懣やるかたない思いでも渋々、会社を離れていくのだが、中にはキッパリと「やめません」と頑張る者もいる。しかし、そうすると今度は、とんでもない遠隔地に配転命令を出したり、過去の些細な出来事を取り出して(「電話の応対が悪い」「顧客に迷惑をかけた」「会社のメールを私用に使った」等々)、「懲戒解雇だ」と強硬手段に出てくることも多い。企業が、こうしたなりふりかまわず、強引に自主退職に持ち込もうとする理由の一つは、不十分ながらも、それなりに解雇制限の法理があるからであろう。
2.「解雇」制限の法理
解雇に関わる規定は、労働基準法にあることは言うまでもない。すなわち解雇通告を30日以上前に通告するか、または30日未満の場合は、30日に満たない日数分の解雇予告手当を支給しなければならないことになっている。しかし、これは解雇の手続きを定めたものであって、解雇自体を規制したものではない。解雇規制を明文化した法は、残念ながら日本にはなく、判例上の積み重ねによって、一定の基準が示されているに止まっている。その一つが、「合理的理由のない、社会通念上~是認できない解雇は解雇権の乱用として無効(高知放送事件)」として、解雇の合理性を求められることである。もう一つが、整理解雇の場合の四要件(①解雇の経営上の必要性②解雇回避の努力③整理解雇基準等の合理性・公平性④労働者への十分な説明・合意の努力)が全て備わっていることである。しかし、これらの基準は、実際に訴訟などにおいて争われた場合に作動する法理であって、現実には様々な意味で訴訟能力を持たない労働者にとっては、泣き寝入りせざるを得ない状況にあることは、前述のとおりである。
ただ一昨年から、この整理解雇四要件も東京地裁において、確定判決ではないものの、後退または緩和する判決も一部、出されてきており、リストラ解雇が横行する中で、こうした解雇制限の法理もまた、揺らぐことが危惧されてきている。
3.諸外国における「解雇」制限
それでは諸外国では、「解雇」制限に関わる法規範は、どうなっているのであろうか。ドイツの「解雇制限法」をはじめ、フランス・イタリア・イギリスなどでは、法律で具体的に解雇制限が定められている。特にドイツの解雇制限法は、事業所規模ごとに一定の人数または比率以上で解雇する場合は、「集団的解雇」として、監督官庁に対し、解雇回避策の届け出と解雇する際の同意が義務付けられている。これは、大量解雇することは、公害の垂れ流しと同様に、社会的に悪影響を及ぼすとの考え方が前提にあるわけで、大いに評価されるものである。またドイツ・フランスでは、雇用契約書締結が義務付けられており、雇用契約そのものが安易な解雇を誘引されないものになっている。(日本においては、昨年4月労基法改正で労働条件明示書の提示のみ義務付けられているが、ほとんど普及していない)さらに解雇予告期間においても、ドイツ・フランス・イギリスでは、勤続年数によって延長されるようになっている。加えて会社合併・分割などにおける労働者保護措置は、EUの指令に基づき、加盟各国が、そのための法整備が行われている。
このように見てみると、欧米諸外国と比して日本は、経済・技術は益々、先進化されているものの、こと雇用関係を見る限りにおいては、相も変わらず、「雇ってやる⇔雇っていただく」という徒弟的・封建的なものと言わざるを得ないだろう。
4.最近の「解雇」に関わる法制化の動き
最近、坂口厚生労働相が、解雇ルールの法制化について論及した。このことは、今日の大量失業・リストラ時代において、また労働法制の様々な規制見直しの中で、効となるか罪となるかは別として、大きなインパクトをもつ議論となろう。
これに関する現時点での労使の意見は、双方とも各々の立場に立った思惑の意見が出されている。経営側は、現状より緩和されるルールを法制化することを求める反面、現状であれば訴訟的な争いにならない限り、法的には縛られないものを、法制化されることにより、新たに拘束されることへの危惧である。ある使用者サイドの学者は、「法制化されることにより、企業は逆に新規採用に慎重となり、より現在の失業者は長期化する」と述べていることは、こうした使用者側の思いを代弁していると言える。また労働側も、その逆に明確なルールに基づく解雇制限を求める意見もあるが、その一方で、この間の様々な労働法制が改悪されている状況の中で、「結果として解雇緩和法になるのでは」との反発の意見も出されている。
いずれにしても労働側の立場からすれば、リストラ合理化に抗し切れていない現状からすれば、その力関係の中で法制化の内容も規定されると考えるのが妥当であり、現実にある経営側の様々なリストラ攻撃に対し、具体的に闘いを展開せずして、安易に法制化を求めることは、過去の労働運動の歴史と成果を見ても、明らかに誤りと言わざるを得ないであろう。
5.最後に
今日、これほどの企業のリストラ攻撃-大量失業を許してきた労働組合の責任もまた大きい。その大きな要因は、これまでの企業依存型の「労使協調主義」と日本的雇用慣行の崩壊、雇用の流動化の中で、未組織労働者の組織化も含め、その対応がされてこなかったことにもあろう。とりわけ大企業における対抗軸としての役割を示さなかったこともあるが、中小企業・未組織労働者の劣悪かつ経営者の横暴に何ら、手つかずの状態であったことも、今日的状況を招いたと言っても過言ではない。
その中で、一人でも加入できる労働組合-合同労組は、既存労働組合に頼ることのできない、また訴訟的能力を持たない労働者の受け皿となって、個々の闘いを取り組んできたことの役割は一定、評価されなければならない。確かに合同労組の闘いの評価は、極めて個別的であり、また物取り主義的であるとの批判もあるが、少なくとも企業に依存することなく、また加速的に進む雇用の流動化に対し、それなりに柔軟な組織形態であり、新たなる労働運動発展の可能性を、全てとは言わないまでも、その一つとして秘めていると言えないであろうか。問題は、合同労組運動なるものが今後、更に健全かつどれだけ連携的に拡がるかにある。最近の動向として、連合中央は、全国コミュニティユニオンに対し連合参加を呼びかけるとともに、未組織労働者の組織化に向け、連携して取り組む方針を打ち出した。また全労連は、傘下の合同労組に対し重点的な財政措置を行い、その運動強化を図ることとしている。こうした動きは、前述の合同労組の可能性においても注目すべき事ではあるが、ただ既存ナショナルセンターにとって大事なことは、こうした合同労組運動との連携・取り組みを進めるだけではなく、自らも企業・本工・ユニオンショップの枠に止まらず、周辺・関連労働者の組織化も含め、大胆にその意識改革・組織改革に取り組むことが何よりも求められる。そして、こうした日本労働運動の再構築と闘いの積み重ねの中で、実効ある解雇規制の法制化の展望も切り開かれるのではないだろうか。
【出典】 アサート No.288 2001年11月24日