【映画評論】「郡上一揆」

【映画評論】「郡上一揆」

あらすじ
江戸時代中期・宝暦4(1754)年、美濃国(現在の岐阜県)郡上藩が舞台。
事実上の”増税”である「けみ検見法」の実施に端を発し、約5年にも及んだ農民たちの闘争を描いた作品。『遠き落日』(’92年)の神山征二郎監督が史実に基づき映画化。緒方直人が熱演する若者を中心に、命をかけた闘いをエキストラ延べ3,500人を動員した迫力のスケールで描く。

キーワード①「検見取り:検見法」
年貢の算出の方法。収穫前の稲の実り具合を検査して年貢額を決定する方法。役人が「坪刈り」(一坪分の田の状況で全体量を算出するサンプリング方式)を行う。ここで重要なのは何処を検査するのか。役人は必ず実りの良さそうな地点を選ぶ。そうすると実際の収穫高以上に計算され重税となる。今風に言えば、税率の変更ではなく累進的な推計課税とでも言うのか。
これに対し従前は、「定免法(定額制)」が行われていた。これは過去の収穫高の平均値に基づき毎年一定額を徴収されるもの。これでは、農民の努力、改良、技術向上で手元に残すことも可能だった。当時は財政収入の多くが自然作物の米、年貢を主としたため、この様な形になっている。現代の法定主義、平等主義、実態主義、確定主義、自主主義等の諸原則は通用しない。

キーワード②「強訴」
一揆の戦術形態としては、箱訴、籠訴、門訴、駆け込み訴、強訴等がある。中でも強訴は徒党を組み権力者に直接訴える行動。
郡上の百姓たちの行動は非常によく組織、統制されており、当時の農民社会の気風が伺える。
さらには、彼らの戦略戦術が非常に巧妙に練り上げられている。
定次郎(緒方直人)等が、老中の登城の際に決死の覚悟の「駕籠訴」に出る。この老中は、金森藩につながる老中とは反対する勢力なのだ。「権力者の中にも常に矛盾を見い出し、その環を衝く」と表現すれば古びた左翼主義だが、言い換えれば兵法・戦略戦術論が彼らには装備されていた。

キーワード③「郡上120村の百姓の総意」
この「総意」という言葉が重い。1村1町の思いではなく、全村の総意が必要であり、映画の中でも何度か使われる。封建時代のしかも農民の社会でこれほどまでに民主主義が尊重されているとは、当時の百姓の風格の高さに敬服。

キーワード④傘連判状(からかさ れんぱんじょう)
「郡中の相談から決して抜けないことを誓う。もし抜けた場合はどんな目にあっても不足はない」という誓文を中心に書き、その周囲に円形に農民が署名血判して決意をあらわした文書。結果として傘を開いた様に見える。

キーワード⑤「費用の調達」
江戸に60名もの訴訟団を送り込む費用および、地元での活動費。締めて約800両の大金。これを各村の石高にあわせて分担。村は世帯ごとに割り当てを行う。
結果、集まった金額は1160両。
これらを集めている最中、前谷村の助左衛門(加藤剛)のところへ、女手一つで5人のこどもを育てている女性が金を持って来る。助左衛門は彼女の申し出を「村の相談で決めたから、出さんでええ」と断る。彼女は「夜なべ仕事で稼いだ金だ。受け取ってくれ」と言い切る。助左衛門は、その僅かだが尊い金を快く受け取る。
余談だが過日新聞に某労働組合の基金を投資に失敗し、勝手に担保に入れたり解約したりしたとの記事を目にした。彼らには江戸時代、この郡上百姓の爪の垢を煎じて飲ませるべきだ。

キーワード⑥「帳元」
一揆の会計責任者で闘争についての陰の指導者的存在の意。
これを林隆三が好演。渋い演技。
映画では帳元の家が裏切り者の手引きで、藩の足軽から襲撃され、帳面と資金を奪われてしまう。
昔々、英国の労働組合ではこの会計責任者のことを書記長と呼んだらしいこと思い出した。

キーワード⑦「立百姓」と「寝百姓」
一揆に翻った者たちを「寝百姓」という。最後まで一揆に加担した者たちは「立百姓」と呼ばれた。
江戸へ直訴に行く者の中から脱落者がいる。合議のなかでも過激な者、愚直で誠実な者、狡猾ですぐに妥協しようとする者、信義の欠片もない者、何時の世も人間の種類には変わりがないようだ。

キーワード⑧「これを仕込んだやつは?」
この映画、総制作費4億円のうち2億円を岐阜県内で集めきったらしい。この主体になったのが「映画『郡上一揆』支援の会」これの音頭取りが岐阜県農協中央会と郡上義民の会。
最終的にはJA全国連グループの協賛となっている。
まさに県民総ぐるみの取り組みとして完成させたようだ。だからこそボランティアのエキストラが延べ3,500人も動員できた。この動員が利かなければ、日当5,000円としても制作費が1750万円増加していただろう。
これを仕込んだやつは、どんなやつか知らないが、なかなか!
さいごに
何せ最後は、藩は改易、それに連なる幕府の重役も老中が罷免、若年寄が改易、大目付が罷免、勘定奉行は知行召上、美濃郡代が罷免等の処分を受け、一揆の首謀者14名は処刑される。藩が改易となるのは江戸時代約3200件以上もの一揆の顛末としては異例であり、そうゆう意味では農民の勝利であった。
私が観た時は正月にも拘らず客の入りは、寂しかった。確かに重い映画だからしようがないのかも。観客の平均年齢も50歳は間違いなく超えている。最近元気のない方、この映画は、観て熱い思いを感じられる作品です。(豊中:宝山) 

 【出典】 アサート No.278 2001年1月20日

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