【書評】「アナログの逆襲 THE REVENGE OF ANALOG 」

【書評】「アナログの逆襲 THE REVENGE OF ANALOG 」
(デビッド・サックス 発行:インターシフト 2018.12.20 2100円+税)
アサート No.497 2019年4月

刺激的な書名である。時代はデジタル全盛であり、近い将来「AI(人工知能)」が発達すると、事務仕事の7割以上がコンピューターによって処理され大量の失業が発生するとの予測もある昨今である。車には「自動運転」技術が搭載され、ハンドルを握ることなく目的地まで運んでくれるとか。買い物もパソコンで、行政手続きもオンラインでなど。果たしてそんな社会が「幸せな社会」なのかどうかは、甚だ疑問ではある。
私の場合、ほとんどの買い物はインターネット。銀行振込も然り。メールでほとんどの情報交換が足りており、スケジュールもグーグルのカレンダー機能で管理している。
しかしである。私は手帳が手放せない。毎年買い求め日程管理も金銭管理も手帳に書いておく。パソコンなるものと付き合い初めて早30年を越えるが、何だか妙でもある。
そんな中で、本書に出会った。刺激的である。以下に「アナログの逆襲」を紹介していきたい。書かれているのは、アメリカ・カナダ・ヨーロッパエリアの有り様だが、日本においても同様の流れがあると考えられる。
「デジタルに囲まれる現代社会で、私たちはもっとモノに触れる経験、人間が主体となる経験を渇望している。商品やサービスに直接触れたいと望み、多くの人々がそのためなら余分な出費もいとわない。たとえ同じ事をデジタルでするよりも、手間がかかっても高額でも。」

 <第1章 レコードの逆襲>
1980年代後半にレコードは徐々に姿を消し、音楽はCD(コンパクトディスク)が主流となった。そしてインターネットの普及とともに、サーバーからダウンロードする手法に移っていった。スマホやデジタル機器で再生する音楽が主流となった現在、レコードの逆襲が始まっていると著者は語る。
2012年カナダのトロント、著者が住む家の近くに「レコード店」が開店する。以来著者は、レコード店に通い詰めることとなる。そして、市内に次々とレコード専門店が生まれていったという。これらは中古レコード店だったが、新たにレコードの新盤も発売されるようになった。アーティストも、アナログ録音に流れていった。
「レコード店の消滅を書き立てる記事は、・・・レコード店の新規出店のニュースに取って代わり、しまいにはレコード店が復活しただけでなく、大繁盛であると高らかに宣言した。」
デジタルで楽曲作りは、パーツの組み合わせで行われる。パソコンを使えば素人でも楽曲が作れる。正確なリズムや音質も確保できる。しかし、臨場感はない。そこにアーティストが居て、その息遣いも伝わる臨場感はデジタル編集された音楽にはない。
CD再生の場合は、生音源から低域と高域の音が削除され、デジタル処理されて(0・1信号化)いる。今から5年ほど前、私もパソコンでのハイレゾ音源化について真剣になった時があった。高品位なデジタル音源化が流行っていたが、どうも最近聞かなくなった。日本でもアナログレコードの方に関心が進んでいる。
本書では、アメリカ・ナッシュビルのレコード製造会社復活について、レポートされている。
第2章紙の逆襲では、デジタル保存でペーパーレス化などと言われていたが、大ヒット商品となった手帳メーカー・イタリアのモレスキン社が取り上げられている。

<第3章 フィルムの逆襲>
私のパソコンに保存されているデジタル写真の一番古いものは、1998年の日付けである。約20年前である。2000年11月に行った「故小野義彦先生の墓参会」の風景もデジタルだった。この頃からフィルムカメラの衰退が始まった。以来、私もデジタルカメラを買い続けてきた。フィルムカメラの衰退は、フィルム製造業を直撃する。「2002年ポラロイド社倒産、2003年イタリアのフェッラーニア、2005年イギリスのインフィールド倒産、2012年コダック破産申請・・・」
本書で取り上げられているイタリアのフィルム工場も、往時は4000人が働いていいたが、2011年工場機械の処分を待つばかりだった。たまたま二人の青年が、フィルムの必要性から機械の一部を譲り受け、フィルム生産を継続。一方、ソ連製の粗雑な造りのフィルムカメラ(LC-A)が、若者たちから支持され、フィルム需要が増えていった。ウイーンの2人の学生が立ち上げたフィルム会社「ロモグラフィー」がその中心で、以降フィルムカメラの逆襲が始まったという。ポラロイド社の倒産後、その技術を受け継いだ富士フィルムは、その場で現像できるインスタントカメラが若者を中心に販売を伸ばしている。映画業界でも、デジタル撮影と共にフィルムによる撮影を好む監督が増えているという。
画質と精度ではデジタルには敵わないが、デジタルではフィルム写真の雰囲気をだすことはできない。筆者も語っているが、デジタル写真はパソコンの中にしかないが、現像されたフィルム写真は、パソコンが替わっても、アルバムに残っている。
第4章は、ボードゲームの逆襲、そして第5章は、プリントの逆襲である。

<プリントの逆襲、リアル店舗の逆襲>
デジタルの影響をもっとも受けているのは、印刷・出版の世界であろう。ニュース報道や報道写真では、朝夕の新聞より素早い情報提供ができる。
筆者は言う。「活字メディアで働くことは、ラストベルトの都市で暮らしているようなものだ。・・・年を経るごとに、寄稿してきた出版物が次々に廃刊になり、紙面を縮小する雑誌や新聞、首を切られる編集者が増えるばかりで、執筆料は減る一方だ。印刷出版物は、情け容赦ないデジタル重力の法則に抗えず、下降の一途をたどっているように見えた。」と。
しかし、出版印刷は、特定の分野でしっかり生き続けていると著者は言う。欧米では、高品質の雑誌出版では、小部数ながら読者を増やしている。そこでは、大手出版社に特化した配送ルートに頼らない配布システムも模索されている。
そして何よりも決定的なのは、デジタル配信では儲けが出ないという現実があるという。アメリカの新聞業界でも大半の利益をだしているのは、印刷物の分野であり、デジタルだけでは経営がなり立たないという。
そして、リアル店舗の逆襲である。アマゾンやネットでの書籍購入は簡単で検索も容易である。しかし、欧米では逆に書店が増えているという。ゆっくりと本を探す楽しさや、特定分野に特化した書店、そして読書家の店員との会話を楽しむというメリット。アマゾンにはない世界がそこにはある。
残念ながら、私の住む大阪では、書店の閉店が相次いでいる。倒産した大型書店もある。この点については、私の現実とは少々違ってはいるのだが。
また、ネットで売れているのに、わざわざ実店舗を出すという戦略をブランド企業が増えている。アップルストアがそうだ。ブランド企業ほどその傾向があるらしい。

<仕事の逆襲、教育の逆襲>
仕事の逆襲で取り上げているのは、デトロイトの時計会社の話。メイド・イン・デトロイトの手造り時計の話である。スイスも、クオーツ時計・デジタル時計の登場で販売は大きく落ち込んだ後、ハンドメイドを明確にして復活している。高級腕時計分野ではあるが、手作り、職人の技術、そして持つ喜びを演出して、生き延びている。
教育の逆襲では、生徒にipadを配るなどのデジタル教育が、学力の向上には繋がらなかったというアメリカの経験が語られる。生徒間のコミュニケーションや実物教育の方が生徒の力を伸ばすのだそうだ。低年齢からパソコンに慣れさせた方がいいという話しは過去の話になりつつあるという。

<デジタルの先端にあるアナログ>
「ビジネスの世界でデジタル重視が強まるに連れて、新しい斬新な方法でアナログを活用できる企業や個人がますます突出し、成功を収めるだろう。手間をかけることがこれまで以上に重んじられアナログなツールと慣習を導入した主要企業が頭角を現すことになる。それは、アナログが生産性の高いツールであり、しばしば最良のツールであるからに他ならない。」
一見してビジネス書のようにも思える本書だが、企業の話だけに留まらないように思える。かなりのデジタル人間であろうと考えている私だが、思いついたテーマは万年筆で、手帳に書いておく。また、読み返して反芻する。そして、企画書はパソコンの出番である。
デジタルとアナログの共存、そしてデジタルの先端、基礎こそアナログに他ならない。
デジタルを駆使できる人間こそ、アナログを愛すべき、これが結論のようである。(2019-04-22佐野)

【出典】 アサート No.497 2019年4月

カテゴリー: 分権, 書評 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA