【投稿】政局転換の挫折と森「死に体内閣」
<<政界の暴力団抗争>>
またもや多くの人々の期待は裏切られたといえよう。「優柔不断」、「貴公子」と言われ続け、次期総理へのにんじんをぶら下げられては「禅譲」を期待しつづけてきた加藤・自民党元幹事長、その行動はこれまでそれ程注目を浴びるものではなかった。しかしその加藤氏が、森・自公保連立政権に対して明確な不信任を表明し、野党が提案する森内閣不信任決議案に対して賛成投票をするという、これまでにない展開は、政局を大きく揺り動かし、一挙に日本の政治の劇的変化を期待させるものであったし、事実これまでにない多数の人々が期待を表明し、加藤氏のホームページには一日に5万件ものアクセス、数多くの激励メールが寄せられるという新しい事態を引き起こした。このこと自体は大きく評価されてしかるべきであろう。
ところが、土壇場になって自民党内の内向きの論理によって、「幕引き」、「手打ち」が行われた。まるで政界の暴力団抗争である。元締め役の野中幹事長は不信任決議案の上程、採決の前から、これに賛成するものには離党勧告・除名、選挙区では対立候補を広言し、主流派の橋本派では加藤氏に対して「熱い鉄板の上で猫踊りをやらせてやる」と息巻く始末である。戦前の治安維持法、予防検束の思想そのままである。思わず、共産党が核実験停止条約に賛成投票する意向を表明した当時の鈴木市蔵参議院議員に対して党から除名し、悪質極まりない個人攻撃、罵詈雑言をあびせた過去を思い出させるものであった。いまだに反省、自己批判すら出来ない、追及されると多数決原理でしか答えられない。数の暴力が問われているときに、情報公開と公開論議を否定し、上意下達の決定服従のみを求める。いずれも民主主義というものの基本的ルールをわきまえない、お恥ずかしい限りの知的レベル、政治的未熟さを示すものである。
<<「大人の解決」>>
加藤派は、野中幹事長らの恐喝と恫喝の前にその半数前後が切り崩され、「多くの犠牲を伴う」事態を避け、「名誉ある撤退」を選択したという。主流派は「いい落としどころ」に持ちこみ、「大人の解決」をしたと自賛する。密室協議で全く不明朗な形で誕生した森政権は、ここで再びその崩壊の危機を密室協議で葬り去り、次の政権たらい回しに向けた密室取引が始まるのであろう。
ここで加藤氏の最大の危機は、数的に切り崩されたことが問題なのではなく、党内はもちろん、党外においても新聞、テレビ、インターネットなどを通じて広くオープンに訴えかけ、そのことによって広範な論議を巻き起こし、支持を獲得してきた、民主主義的政治の本来あるべき姿をみずから断ち切ったことにあるといえよう。情報公開とオープンな議論という、民主主義にとって本質的な基本的政治姿勢と相反する密室決着・裏取引は、よりいっそう大きな失望感、政治への不信感を増大させたともいえよう。
すでに森政権は、自民党内の多数がどうであろうと、もはや見離されているのである。森首相は言うにコト欠いて「加藤がこういうことをするから支持率が下がるんだ」と最低限の政治的自覚さえ示し得ない無責任さである。その結果、森内閣の支持率はついに12%(11/19テレビ朝日調査)などという急落ぶりである。もはや森内閣は「死に体内閣」、存続の余地など限られており、今や世論の圧倒的多数は森政権よりもむしろそれを支えている自民党に愛想を尽かし、主流派でさえ支えきれない、彼らと手を組んでいる公明・保守にまで存亡の危機が迫っているのである。今回期待されたことは、加藤派が多数を握るかどうかよりも、加藤派が山崎派とともに自民党の多数派の現状維持の姿勢と手を切り、野党と連携してでも森政権打倒の姿勢を明確に示し、政局を大きく転換させることが出来るかどうか、それが貫徹されるかどうかにかかっていたのである。不明朗な「手打ち」は、彼らの政治的無責任さを浮き彫りにし、もはや期待されざる存在へと追い込むものである。
<<既得権益と“お出迎え”>>
自民主流派は今回の事態の幕引きによってほくそえんでいるのであろうが、事態は彼らにとってより深刻となったというべきであろう。彼らの強権的で反民主主義的な政治姿勢は、どのように弁解しようとも、崩れ落ちようとする政治的特権、既得権益確保にしがみつく時代遅れの亡霊でしかない。
自民党主流派にとって、今回の事態乗り切りの報償金は、来月の内閣改造である。省庁再編に伴って新たに生まれる利権の争奪戦、新大臣、副大臣、政務官など70人の入閣、さらに党の役員や部会のポスト、これらをめぐっての分捕り合戦、派閥割り当て、要するに既得権益分配合戦である。加藤派を切り崩したえさでもあり、報復でもある。
しかしこんな薄汚い政治は、今や神通力をなくし、ますます愛想をつかされている。つい先日行われた長野知事選がそのことを端的に示している。共産党を除く県議会のすべての会派から支持・推薦を確保し、県下120市町村の首長も押さえ、出陣式には、国会議員や県議、市町村長1000人がはせ参じ、候補者の池田氏は行く先々で首長や県議からうやうやしく“お出迎え”を受け、思いつく限りの公共事業を次から次へと列挙、関係企業をひざまずかせ、悪代官よろしく横柄に命令しても人が群がるほど集まる。誰も敗北など予想していなかった。それが11万6千票以上の大差で敗北したのである。
森内閣不信任決議案が上程される前日、11/19の栃木県知事選挙でも、同じく共産党を除くオール与党が推薦する現職の知事が落選し、無所属新人が当選。保守王国の神通力はここでも作用しなかったのである。
明らかに事態は大きく変化してきているといえよう。加藤氏が言うようにまさに「自民党は存亡の危機」に直面しているのである。中途半端で、あいまいで、既得権益に未練を残し、住民参加と情報公開を拒否し、オープンな民主主義的政治手法を取らないような政党は、さらにいえば労働組合でさえも、すべて拒否される時代が到来しつつあるとも言えよう。民主党や野党がこれらの選挙で自民党に加担し、国会でいくら対決を叫んでも、迫力は乏しく、共産党も含めて、森内閣退陣を要求する広範な大衆運動さえ組織し得ていない、しようともしていない現状が、今回のような不明朗な結末、失望感をもたらしたのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.276 2000年11月25日