【コラム】ひとりごと(2000-10)

【コラム】ひとりごと(2000-10)

○小野先生が亡くなられてまもなく10年。いろんな思い出が蘇る。私の場合は比較的最近のお付き合いだった。1980年代ということになる。江川さんの「小野先生の思い出」にも登場しているが、阿倍野区のお宅にもよく伺った。○私にとって印象深かったのは、奈良への引越しの時のことである。特に書斎や書庫の整理を何人か手伝わせていただいた。特に歴史的な文書や山積みの書庫の整理は、私にとってとても興味深いものだった。山のような文書や書類を分ける作業だった。寄贈する図書、引越しするもの、そして廃棄するものというわけだ。特に文書は、「これはどうしましょう」と先生に訊ね、整理していった。○特に60年以降のガリ版文書も多数あったが、先生は、もう要らないという場合が多かったが、それを私はいただくことにした。戦後40年代赤旗や前衛第1号もあったし、日本共産党の「人民に訴ふ」もその中にあった。65年前後の社革、こえなどの統一論議の諸文書、民学同の結成や分裂にかかわるガリ版文書、学生運動で各大学のビラ、「新しい路線」「統一」「日本のこえ」などの機関紙類など。赤鉛筆で朱入りのものも多かった。○そうしていただいた文書・機関誌類は、ダンボール三箱ほどになる。○最近、気になったので、箱を開けて目を通して見た。特に興味をもつのが60年代の文書類だ。70年代以降は私自身も関わっているが、60年代の文書類は激動を反映している。共産主義運動の統一をめぐる議論経過の文書は特に。○特にガリ版文書はほとんど私の手元にあるが、山と積まれた中に忘れられない文書があった。原稿用紙書きで綴じられたものだった。題は「除名にあたって」。「先生、これは大事なものでしょう」と尋ねたら、「ここにあったのか」ということで、先生が保管されることになった。60年代に共産党を除名されたおりの文書のようだった。○奈良に引越しされてから、突然の逝去。私は、あの文書が気になっていた。ご家族の方にも、書類整理の際の話をして、文書の所在を尋ねたが、その後まだ見つかっていない。私はその表紙だけをみた一人ということになる。○ダンボール3箱の文書類は、いずれ目録にして整理しようと思っている。自分自身の時代のガリビラも私は結構残しているし、70年代の学生運動の記録である。自分自身の今後を考える上でも、ひとつの区切りにしたいと思う、前を向きながら。(K.T) 

 【出典】 アサート No.275 2000年10月21日

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