【コラム】ひとりごと—不信任案否決に思うこと—-
久しぶりに、何とも古くさくて、つまらないのだけれど、見ようによれば実に面白いドラマを堪能した。くだんの「加藤政変」である。マスメディア(本号での生駒論文もだが)は、加藤氏の倒閣行動の挫折を、国民に対する裏切りだの、政治不信を増幅させるだの、やけに厳しく批判しているが、私はそんな風には感じていない。
そもそも国民は、加藤氏に対してそんな大きな期待をしていたのだろうか。何か面白くなるかもしれないなと関心を強めてはいても、案外、こうした結末は予測の範囲内で、「ああ、やっぱりな」というのが実際のところではなかろうか。
むしろ、今回の騒動は、日本の国会や政治がどんな状況にあるのか、実に正確に映し出したところに価値がある。矢野前公明党書記長がニュースステーションで、「加藤さんも、喜劇のピエロになるくらいなら、負けても何人かを引き連れて不信任案に賛成し、自民党を除名されて悲劇の殉教者になったほうがよかったのに」と評していたが、とんでもないことだ。殉教者なんかが生まれていたら、ドラマとしてはカタルシスを提供できたかもしれないが、日本社会にとっては中途半端で、決して好ましいことではなかったと思う。ここは、あくまでもブレヒト劇のような結末がふさわしかった。
不信任案が否決されて、実にうれしそうな森首相の笑顔。自分のためにこんな状況になっているのに、悲壮感や苦渋のかけらも見あたらない。ああ、この人は、自分が首相の座にいることにだけに満足している人なんだということが、本当によくわかる。
大見得を切ってきたのに、すごすごと敗北を認めて、泣き顔の加藤さん。何とも頼りない彼を、「あんたが、大将なんだからと」これまた泣き顔でいさめている加藤派の各議員。ああ、この人たちは、自分の選挙も自分の力ではできなくて、議席を失うことが何しろこわい人たちなんだということがよくわかる。
締め付けと、切り崩しに威勢良く走り回る主流派幹部。ああ、この人たちは、政権与党でいることが何よりも大事なんだということが、ひしひしと伝わってくるのである。
そして、ついでに言えば、自民党に舞台だけを用意して「たなボタ」を狙ったものの肩すかしをくらい、最後に松波議員に水をかけられて抗議の声を張り上げていた野党議員たちは、まさにエキストラそのものであった。
日本の国会に「パワーゲーム」はあっても、「統治」のための政治は存在しないという現実を国民はまざまざと見せつけられた。けれども、その日も、明くる日も、社会が正常に機能していることに間違いはない。
だとすれば、国民の中で、国会や国会議員が有力なリストラ候補に上げられたとしても、何の不思議もないのである。(大阪:依辺 瞬)
【出典】 アサート No.276 2000年11月25日