【投稿】安保闘争の裏?話

【投稿】安保闘争の裏?話 

この4月から新しい職場になり、早7ヶ月を迎えた。
自分の所属する部署だけではなく、多くの人とも顔見知りになり、帰りに飲みに行く機会が増えてきた。私自身も飲むのが好きなので、誘われれば、よほどのことがない限り必ず誘いに応じている。そんなお誘いで、年配のお二人からお声がかかった。もうお二人とも定年退職をして、その後の仕事として現在働いておられる。数日後に行く約束して近所の飲み屋で飲むことにした。
以前から、お二人はちょくちょく飲みに行かれていたらしい。お互いに良く知らないまま同席しているのであるが、お二人のことを知るために今までの仕事を尋ねると、お一人は警察官、それも幹部であったらしい。そして、もうお一人は自衛官であった。なんという組み合わせであろうか。思わずほほ笑むでしまった。学生時代に運動をして、警察のブラックリストに載り、公安の刑事がわざわざ家にまで来て調査された私が、こともあろうに警察官、それも元幹部、そして元自衛官と一緒にお酒を酌み交わしているのである。こんなことがあろうとは思いもよらなかった。
しかし、年端のなせる技であろう。そのような過去を全くとまではいかないが、ほとんど気にすることもなく、いろいろと話することができた。そんな中、もっぱら私が聞き役に回っていたのであるが、酒も進んできたとき、突然であったが、話題が安保闘争の話になった。それも第1次安保闘争の話である。その話によると、その方が就職したその年に、安保闘争の警備のために動員され東京に派遣されたそうである。国会の正門で警備についており、樺美智子さんが亡くなったその日も警備についていた。次の日、樺さんの死に怒るデモ隊が、正門から遠くではあるが対峙しているとき、門の中にいたにも関わらず、そのうねりの迫力に恐怖を感じたそうである。そして、ほとんど眠れない日が続き、2週間の動員の間で10キロも痩せてしまったそうである。
同じ時、自衛官の方は、レンジャー部隊に配属されていたそうである。レンジャー部隊は特殊訓練と言えば聞こえがいいが、要するにいかに人を殺るかという訓練ばかりしていたそうである。そして、国会にデモ隊が押し寄せた山場の日、自衛隊には待機命令がかかり、いつでも出撃できる体制で待機していたそうである。結局は出動命令は出なかったが、心の中では武器でもってデモ隊を排除する決意を持っていたそうである。このように、その時、政府側も緊迫した状況に陥ってたらしいことが伝わってきて、私には大変興味深い話であった。聞きながら、「これはアサートに投稿できるな」とも考えていた。
そして余談になるが、そのとき動員された警官は、特別手当への期待がその苦しみに耐える糧であったらしく、休憩する車の中での話題はいくら特別手当が支給されるかという話ばかりであったらしい。(実際支給された金額は予想の半分程度であったそうである)

この話を懐かしそうに語っておられるお二人の顔に、歴史にページを残す出来事に自らが直接かかわってきた満足感、充実感みたいのものが表情として現れているのが印象的であった。多分、デモ隊として安保闘争に参加してこられた方も同じ表情でデモの様子を語るのであろう。
最近の私は、右や左にあまりこだわらなくなってしまっている。「人は人がら」という思いが年々強くなっている。安保闘争も、今や昔になってしまったのだろうか。
(大江 和)

【出典】 アサート No.276 2000年11月25日

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