【投稿】学校での「国際理解教育」を考える
今やいわゆる「国際理解教育」が一種のはやりのようになっている。不況でその伸びは減ったものの、大阪府下ではどこの市の小中学校にもブラジル人や中国帰国者、いわゆるニューカマーの子弟が在籍している。それに伴って、あらためて在日韓国・朝鮮人の存在にも焦点が当てられているように思う。「国際化」が叫ばれる中で、共生のための「国際理解教育」が注目を浴びるのも当然といえる。マスコミでもよく取り上げられて華やかなイメージだが、実際の中身や成果はどうなっているのだろうか。
アサートでも以前紹介したことのある「地域の国際交流をすすめる南河内の会」主催で、先日、「学校での国際理解教育を考え語り合おう」という公開講座があった。けっこう面白かったので少し紹介したい。
南河内では、富田林、大阪狭山、松原等、公民館を中心に在日外国人の日本語教室が開催され、そこでは日本語を学ぶだけでなく、在日外国人同士の交流、地域の人々との交流の拠点となっている。それに注目をした問題意識のある教師は、ここに集う在日外国人を学校に招いて、異文化の紹介や生徒との交流を盛んに行うようになってきた。そのことは意義のあることだし、それなりに成功しているのだが、招かれた在日外国人たちは、その「国際理解教育」が「楽しかった」「違う文化に触れた」で終わっているのではないか、子どもたちにどう受け止められ、日常的な教育にどう生かされているのかを教師たちと語ってみたいと感じてきた。それが、この公開講座開催のきっかけである。
当日は、教師や学校に招かれたことのある在日外国人を中心に30名ほどが集まった。最初に松原第三中学校と富田林金剛中学校の教師から実践報告があった。そこでは、「国際理解教育」をきっかけに、新しいものの見方を発見し、ボランティアや学習意欲向上に結びついた子どもたちの生き生きとした姿が語られた。
在日外国人の方々は、それらの成果に喜び、日本にいろいろな外国人が住んでいることがあたりまえ感じるように、小学校からぜひこのような教育を進めてほしいという意見とともに、いくつかの疑問点も出された。
在日3世の韓国人の方は、「韓国人」として招かれ、教室で韓国の歴史や文化について語りながら、実際は「外国人」でない自分を感じてとまどってしまうものがあると語っていた。子どもたちに韓国についてもっと知ってもらいたいと思いながら、韓国についてあまり知らない自分を意識するもどかしさ。「在日」としての自分をどう語っていくのかという難しさ。いわゆる、オールドカマーの2世3世の持つ悩みかもしれないが、いわゆるニューカマーも日本に定住する以上、いずれ抱える問題だろう。「国際理解教育」で、「外国人」ではなく「在日」を理解できる内容がもっと研究されるべきだと感じた。
また、教室の中だけでなく、学校運営にももっと工夫が必要ではないのかという意見もあった。PTAの役員に積極的に在日外国人になってもらうといったことである。結局、教室の中だけでの教育だけでは子どもたちの「国際理解」は進まない。親がどう変わるか、地域がどう変わるかが本当に「共生」を保証していくものだろう。学校もそれを意識した取り組みが必要だと思った。
しかし、まだいろいろ課題があるとはいえ、学校での取り組みをやっているかやっていないかでは、子どもへの対応に大きな違いのあることもわかった。「国際理解教育」を積極的にやっている小学校では、3年生の「昔しらべ」で在日韓国人の子どもから積極的に韓国の話を引き出そうとするのに、取り組んでいない小学校では同じ授業で在日中国人の子どもの「昔しらべ」が「パス」されたそうだ。
これから、いわゆるニューカマーたちも地域に定着していく中で、さらに学校での「国際理解教育」の深まりが期待されている。(大阪N)
【出典】 アサート No.244 1998年3月20日