【書評】買売春と日本社会の構造

【書評】買売春と日本社会の構造
      いのうえせつこ『買春する男たち』(新評論、1996.10.31.発行、1854円)

セクハラ、従軍慰安婦問題等々、女性の人権にかかわる重大問題が次から次へと提起されている。そしてその中で問題は、女性の側にではなく、むしろ男性の側にこそ存在するということが少しづつ明らかになってきた。
本書は、このような視点を前面に押し出し、未だ明確に自覚されたとは言い難い性の問題(性風俗、買売春等)における男性の役割とこれを支える社会の構造を追及する。
「『売春』の歴史は、人類はじまって以来、いや、私有財産制が誕生した以降だ、等々と言われてきた。(中略)『売春』のウラ側には、買う側の『買春』が存在していると思うのだが、なぜか『性』を売る側については語られても、買う側についての『買春』はほとんど話されてこなかった。なぜだろう」。
もともと著者は、70年代のウーマンリブ以来さまざまな女性運動にかかわってきて、その中で次のような感想を抱くようになったとする。
「女性への差別反対! 女性の人権侵害は許さない! 家父長制打倒! 性別役割反対!等々と叫ぶことの裏側に、なぜか、むなしい風が吹くのを、ここ十数年あまり感じてきた。そして、それはどうやら、女性の問題は女と男の問題であり、社会の問題はまた個人と社会との関係性の問題でもあることに気づきはじめたからかもしれない」。
本書では、それ故、「売春」はそれを買う側からの「買春」として位置づけられる。そのことは何よりも「買春」を文化、社会構造の視点からとらえることであり、この視点を抜きにしては「買春」の根絶はあり得ないからである。
本書で取り上げられている「買春」の歴史──奈良時代から近世の遊廓、「からゆきさん」、売春宿(娼楼)、従軍慰安婦から売春防止法の制定にいたる歴史──において、「女性とセックスを通して人間的な交流を持つというより、金銭を払って女性とのセックスを買うということの方が、男性の性を確かめることができた」という精神構造が指摘される。このことは、「男性の意識の中に、・結納金・で妻を買う意識と、女性の中にもある『食べさせてもらっているのだから』という意識が、現在にいたるまで買売春を存続させている」ということにつながるとされる。
これに続いて著者は、「だからこそ、・性を売る・ことへの無批判な思考が、若い女性や中高生の『小遣いをもらって、どこが悪いの』という居直りを生み、『金を払っているのだから』という性を買う側の買春意識をもつくり出しているのだろう」と現代社会の大人の意識のあり方を厳しく批判する。
このような状況は、風俗買春──テレクラ買春の実態を見ればより鮮明になる。「『自分の体だってお金になるのだ』とする少女たちの行動と、それを需要する『買春する男たち』との関係」こそ、現代の性のあり方を象徴するものであろう。
そしてこの意識の延長上に、「買春ツアー」が存在し、「子ども買春」が存在する。 本書の最後の方での、ある超有名企業の管理職へのインタビューが、赤裸々に「買春ツァー」の衝撃的な内容を語る。
「罪悪感はナイ! ナイ。買春するのも仕事、オシゴトの内と思っているのだから、そんなこと・アタリマエ・のこと。それにオンナを買いに行くのも、企業の連帯意識のうちでするわけだから、行かないヤツは連帯意識がないということになる」。
「とくに、企業同士の接待買春旅行は仕事の延長上で行くわけだから、オ世話にナリマス! といった関係で、外国へ観光買春旅行に招待する。(略)・買春・って、日本株式会社そのものだと僕は思うよ。社会構造がそうさせている。とくに、男にとっての性衝動は、時に外国での・つまみぐい・として買春するというわけ」 ここには、歴史的社会的文化的に形成されてきた日本の男性の性意識と、それを支える社会の構造が端的に示されている。
同時に著者は、絶対に許すべからざるものとして「子ども買春」を取り上げる。「子ども買春」は、80年代初めにフィリピンやタイなどにヨーロッパやアメリカから「安い性」を求める買春ツァーの客が押し寄せてきたことから大きな社会問題になったが、80年代後半から日本人客が目立ちはじめている。日本国内で87年に風俗界にエイズパニックが起って、ソープランド等の「プロ買春」からテレクラなどの「素人買春」に移行して行ったのと時を同じくして、日本人客による「子ども買春」が増加したといわれている。
(またこれと関連するものとして、子どもを使ったポルノや美少女路線がある。) このようなペドファイル(小児性愛者、むしろ小児性虐待者と呼んだ方がふさわしい)がいかに子どもを傷つけ虐待しているかということについては、背筋の寒くなるような実態が存在するが、これの客に日本人男性が、また子どもポルノの制作に日本の出版社が関わっていることに怒りを覚えないわけにはいかない。
以上のように本書は、「買春」の構造が日本の社会構造との深い関係の中で支えられている事実を指摘する。それはまさしくわれわれの意識を規定する社会の構造であろう。ただ本書はそのアウトラインしか描いていない点でやや物足りない印象も残すが、「買春」を正面切って紹介した先駆的なものとしての価値はある。
そしてこれ以外にもこれから議論されるべき問題提起も多い。例えば、買売春・性欲とモラル・法律の関係の問題、「年商十兆円」と言われているセックス産業とセックス・ワークをどう見るかという問題、また障害者の人権と性欲のケアの問題等、解決を要する問題は余りにも重いと言わねばならない。そのような問題へのきっかけとなる書であろう。(R)

【出典】 アサート No.230 1997年1月25日

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