【投稿】阪神大震災2周年に思うこと
1月18日に日本テレビが、2年前の阪神大震災の報道記録を深夜番組として放映した。解説のない、現場の音声のみ、午前3時50分までの2時間番組だった。地震直後の高速道路の倒壊シーン、そして当日夜にかけての火災、避難所風景など震災後2日間の映像だった。2年前テレビで見て目に焼き付いている映像に時を忘れて見てしまった。
年末には、我が街にある震災被災者の仮設住宅で支援の餅つき大会があり、労働組合も応援して私も参加した。テレビカメラもやってきた。元気を出そうと支援者50名あまり、仮設住宅入居者の皆さんとともに餅をつき、おでん・ぜんざいを持ち込んで交流を深めた。
仮設入居者も、ピーク時からは減り、神戸やその他住居を確保できた人は転居をしていき、残られているのは、高齢者・単身者ということで少し表情がみんな暗いな、というのが印象だった。
阪神大震災からの復興をテーマにしたテレビ報道が、17日を前後して相次いで報道されていた。ケミカルシューズの街神戸長田のこと。震災で製造が低下している間に中国製の低価格靴の輸入が急増、生産再開後新たな問題に直面していること。家が全壊した場所に住宅建設がはじまった話、それでもコミュニティの復活にはまだまだ時間が掛かると言う現実、区画整理事業への不信と困惑などなど。自然災害に対する個人補償についても、アメリカでは実現しているのに対して、日本では「私有財産」である、との建前から個人補償を否定している現状など。
1月17日大阪市内の駅前では、連合組合員・全労災の職員が「自然災害に対して国民的保障を求める署名」活動が行われていた。すでに兵庫県では県民の8割を超える署名が集められており、1月末の集約、政府・国会への要請と国民的運動が広がりつつある。
しかし、保障が実現しても、コミュニティの復活という課題はまだまだ遠いように思える。新しい街ができても、そこに住む人々の暖かい関係の復活には、10年20年の歳月が必要である。
ボランティアといえば、今日本海沿岸でタンカー事故による重油流出、沿岸への漂着という事態に、ボランティアが除去作業に多数参加しているという。阪神大震災で心に焼き付いたボランティア精神、心で繋がり、からだで支える行動が大切だと思う。
(私も来週福井県三国町へボランティア参加する予定。佐野秀夫)
【出典】 アサート No.230 1997年1月25日