【投稿】風前の灯・橋本政権とCO3京都会議・原発増設問題
<<失望どころか、失笑>>
12月に京都で開かれる地球温暖化防止会議=CO3(第3回気候変動枠組み条約締国会議)に向けて、議長国である日本が発表した温室効果ガス排出量削減に向けた日本政府提案は、今や失望どころか、失笑を買うにまで至っていると言えよう。
2010年で90年比15%の削減目標を決めた欧州連合(EU)に対して、日本政府提案は5%、このあまりにも大きな開きには驚かされるが、さらに問題なのは各国の事情に応じた削減率の縮小を可能にする「実質目標率」を導入、さらにそれでも困難な事情がある場合は、最低限の義務としての「法的拘束目標」を定めるという、二重、三重の抜け穴、小細工を用意していることである。これを日本に適用すると、最大限5%、実質目標2.5%、最低限の法的拘束目標0.5%となってしまう。産業界がすばやく歓迎の談話を発表したのもうなずけよう。1国だけでアフリカ大陸とアジア大陸の半分以上に匹敵するCO2を排出しているアメリカでさえ、日本と同じ2.5%程度の削減ですますことができる。
9月中旬、世界自然保護基金WWF日本委員会は「日本でも2010年にCO2排出量を14.8%削減することは可能」であるとして、経団連の自主行動計画によってさえ、鉄鋼、紙パルプ、化学などのエネルギー多消費産業で2010年に10%削減の改善計画が掲げられていることを指摘している。さらに9月末に、世界60カ国、1501人の科学者(日本からは利根川進氏、江崎玲於奈氏ら)が「貴重な時間が浪費されてきたのは、この問題に対処する指導者があまりに少なかったからだ」と警告し、CO3京都会議で「強力で意味のある条約を締結する」よう求める呼びかけを発表しているが、議長国日本のこのあまりにも低い削減目標、その「5%削減」さえ表向き、後は、各国入り乱れての削減目標縮小要求で、果てしなき妥協と手打ちが行われ、会議開催の意味そのものが問われる事態となっている。
<<「橋本辞任→円買い」の流れ>>
橋本首相は「リーダーシップを発揮して、立場を異にしている国々をいかに収斂させながら国際合意の形成が進むようにできるか」などと述べていたが、もはや議長国としてのリーダーシップはすでに放棄されたも同然である。登山を趣味とし、環境派と自任さえしていた橋本首相は、この問題でもと言うべきか、何ら指導性を発揮できなかったのである。環境庁は、当初、7%削減目標を掲げ、それは実行可能だと主張していたのに対して、通産省は横ばい=0%を主張、外務省は拝米主義でアメリカの御機嫌を伺い、数値目標設定そのものに疑問を呈し、閣内はもはや意思統一はなきに等しく、京都会議でのリーダーシップどころか、混乱回避のことなかれ主義に右往左往しているのが実態である。
京都会議の開催場所である京都市は、すでに今年7月に10%削減目標を設定しており、10/15の記者会見で桝本市長は「政府は少々しんどくてもやらなくてはいけない」として政府の5%削減案の再考を要請し、京都市議会も削減率見直しを求める意見書を全会一致で採択している。しかし、橋本政権はこれに応えれるような状況にはない。
こうした最中の10/9、東京外国為替・金融市場で橋本首相の辞任説が広く流れ、「橋本首相は進退窮まり、辞任せざるを得ない状況に陥る」という解説付きで相場を動かす材料にまでなったのである。ところが問題は、たとえうわさに過ぎないとしても通常なら「政局混乱で円売り」となるところが、逆に「橋本首相の辞任→改革路線の見直し→景気対策を重視する新政権の発足→所得税減税を柱とする大型の景気刺激の発動」との連想を生み、「景気対策を歓迎した円買い」となって、円相場を押し上げ、債券市場でも「首相辞任で景気が上向き、空前の超低金利が是正される」と受け止められて、先物売りの一因になったという(10/10日経)。橋本辞任、好材料なのである。市場は敏感に、あらゆる問題で指導力も牽引力も発揮できなくなってきた橋本政権の末路を現実的なものとして予測し始めたことをあらわしているとも言えよう。
すでに、梶山前官房長官は「12月激動説」を口にしだし、これに呼応して小渕政権に向けた旧経世会を軸にした保守再結集の動きがにわかに動き出している。ここには、佐藤孝行総務庁長官の入閣・辞任問題をきっかけに急速に指導力を低下させ、支持率も急落してきている橋本内閣のいつ崩れてもおかしくはない脆い実態が浮上してきているとも言えよう。
<<「温暖化か放射能汚染か」>>
ここでCO3京都会議と関連して見逃し得ない問題が提起されている。それは、10/6、第二次橋本内閣の村岡官房長官が、温室効果ガス排出量削減に向けた日本政府提案を紹介した後、この程度の提案であっても、5%削減はおろか、言うに事欠いて「原子力発電所の20基増設でも、ゼロ%がやっと」とまで発言したことである。CO2問題がいつのまにか原発増設問題にすりかえられているのである。通産省の試算によると、日本の発電量に占める原子力発電の比率を、95年度の32%から44%に引き上げ、原発の設備容量を原発20基分に相当する2550万KW増やし、計7050万KWにしなければならない、という。そのために通産省幹部は、「地元や国民の理解を必死で求める」としているが、その一方で、「20基にこだわるのではなく、十数基の増設を確保し、1基ごとの効率を上げていけば、何とか達成できるかもしれない」などと述べている(10/16朝日)。
これとまったく同じ論法が、南太平洋諸国に対しても用いられている。同諸国首脳会議は9/19、地球温暖化による海面上昇への懸念を表明したコミュニケを採択したが、各国代表は同時に日本の高レベル放射性廃棄物の輸送についても強い懸念を表明したのであるが、日本から派遣された外務省の高村政務次官は、「原子力が海水面上昇につながるCO2などを排出しないエネルギーである」ことを強調して理解を求めたと言う。ここでも、温暖化と放射能汚染のいずれをとるかという二者択一を迫っているのである。この輸送は、30日に及ぶ輸送期間中、船の全損失につながるような事故発生の確率は6%と計算されており、今後10年間、毎年2ないし3回予定されており、たとえ微量であっても何らかの理由で放射能汚染がこの地域に放出された場合、漁業・観光資源は言うに及ばず住民の健康そのものにとっても致命的な損害をもたらすものである。取り引きの対象ではありえない地球温暖化問題と相撃ちにした、一種の恫喝と言えよう。
<<核燃料サイクルの無謀>>
これでもかこれでもかと続く大小無数の原子力施設の事故に対して政府、科学技術庁、原子力安全委員会などのとってきたどうしようもない無責任・無能力体制は、ここで改めて指摘するまでもないことであろう。ごく最近でも、95/12のもんじゅ事故、97/3の東海再処理工場事故、97/4の「ふげん」のトリチウム漏れ事故に続いて、廃棄物ドラム缶からの放射能垂れ流しが発覚、そのずさんは組織ぐるみ、15年以上にわたる隠蔽工作、問題個所をわざわざはずした「総点検」、科学技術庁自身も関与した何十億円もの予算詐取と流用、「健康に害はない」などとの居直り、あきれるばかりの腐敗と無責任体制である。さらにこのほど明らかになった、鳥取県・人形峠の30年以上にわたるウラン残土放置事件は、ドラム缶に入れるどころか野ざらしのまま民家周辺に不法放置してきたものであり、88年に発覚以来の地区住民の徹去要求に、動燃
はまったく何も答えてこなかったものである。
もはやこのような動燃、科学技術庁は廃止以外に道はないと言う世論の高まりの中で、政府は、動燃の看板だけを付け替えて、高速増殖炉と放射性廃棄物処理を担う「新法人」を設立することで事態を糊塗、切り抜けようとしている。低レベル廃棄物でさえ30年間野ざらし、放置してきたものが、高レベル廃棄物で要請される50年間の一時保管、その後の1万年保管など、とてもそれを行う能力、資格ともゼロであると言えよう。現在でもすでに1万2千本に相当する高レベル廃棄物が各原子力発電所から発生しているにもかかわらず、危険極まりない青森県・六ヶ所村の一時保管施設の容量は1440本であり、拡張しても3000本までである。現在、六ヶ所村の日本原燃(株)で、フランスから返還された68本の高レベルガラス固化体が保管されているが、一本当たりの年間保管料は4億円に達する。核燃料サイクルを維持しようとすれば、これが膨大な額に膨れ上がることは、目に見えている。その危険性が決定的であるが、経済性からいっても、そもそも核燃料サイクル存立の条件はどこにも存在していないことが明らかなのである。この上さらに原発を増設するなど、無謀・無責任以外のなにものでもないと言えよう。
<<「原発震災」の現実的可能性>>
しかも地震多発列島・日本列島という非常に重大な条件が忘れられてはならない。六ヶ所村のすぐ東方沖は、太古の歴史以来巨大地震の多発地帯であることは周知のことであり、M8.0級の地震を引き起こす海底大活断層が存在している。さらに日本の多くの原発が、地震予知連が指定している特定観察地域、観察強化地域、その隣接地域に集中していることも重大である。
以前にも紹介したことのある『大地動乱の時代』(岩波新書)の著者である石橋克彦氏は、静岡県の浜岡原発について、岩盤とされている地層が砂岩泥岩互層の軟岩で、来たる東海地震で1m程度の隆起が起こる可能性が指摘されており、いくら原発の建物が堅固であっても、隆起により地盤が傾斜したり、変形、破壊が起きれば原発にとって致命的であると強調し、さらに「東海地震による“通常震災”は、静岡県を中心に阪神大震災より一桁大きい巨大災害になると予想されるが、原発災害が併発すれば、被災地の救援・復興は不可能になる。大地震によって通常震災と原発災害が複合する“原発震災”が発生し、しかも地震動を感じなかった遠方にまで何世代にもわたって深刻な被害を及ぼすのである。…正常な安全感覚があるならば来世紀半ばまでには確実に発生する巨大地震の震源域の中心に位置する浜岡原発は廃炉を目指すべきであり、まして増設を許すべきではない」と強調している(岩波「科学」97/10月号)。石橋氏はさらに朝鮮半島からら中国、インドシナにいたる地域は潜在的に大地震の可能性の大きい場所であり、原発熱を冷ますべきであるとも指摘している。
政府の言う「原発20基増設」の中には、この浜岡原発の5号機の増設も当然のこととして計画されており、さらにこれから新しく立地計画が想定されている大間(電源開発)、東通(東北、東京電)、上関(中国電)、珠洲(北陸、関西、中部電)、芦浜(中部電)など、いずれも近年、大地震の可能性のある活断層上かそれに隣接している危険な地域である。原発密集地の敦賀半島周辺は、このほど通産省工業技術院地質調査所が現地調査で突き止めたところによると、この地域の活断層が二つ同時に活動したことが明らかにされたという(10/8朝日)。立地安全審査の想定外の事態である。非常に重大な危険と隣り合わせで事態が進行していると言えよう。地球温暖化の取り引き材料として原発増設を提起するなど、もってのほか、その無責任さが徹底的に追及されなければならないのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.239 1997年10月25日