【書評】『大杉榮–自由への疾走』
(鎌田慧、岩波書店、1997.10.20発行、2,600円)
「春三月 縊(くび)り残され 花に舞ふ」
これは、「大逆事件」(1910年)によって幸徳秋水らが逮捕され、翌年死刑を執行された後の集まりで、大杉栄(1885~1923)が詠んだ句である。著者はこの句について、「ここにあらわれているのは、首を撫でおろしてホッとしている感慨ではない。むしろ、残された時間をさらに闘争にあて、豪華絢爛に散ろうとする決意のように詠める」と書く。本書は、戦前におけるアナキズムの指導者大杉栄を現代の眼線で捉え直そうとする試みである。著者鎌田慧は著名なジャーナリストであるが、その意図するところは次のところにある。
「思想を喪失してひとは現実に拝跪し、妥協と保身にもぐりこんでつぎの時代を思い描けないいま、未来への前進に命を賭けた者たちの記憶を蘇らせたい。/大逆事件から続き関東大震災まで、1910年から23年までの13年間を、『縊り残され』ていた大杉栄を主人公にして書いたのは、ここに登場する人たちがけっして言い訳をすることなく、ひたすら自分の信念にしたがって生きていたことを再現したかったからである」。
本書は、「第1章 予感」から「第9章 欺罔(ぎもう)」まで、大杉の軌跡を辿るが、そこには「自由を、夢を求め続けた」大杉と、これに覆いかぶさって抑圧し、遂には虐殺にまでいたらしめた国家権力、就中軍隊組織の異常ともいえる醜さ卑怯さが鋭い対照をなしている。
その矛盾は、すでに大杉の陸軍幼年学校入学時にあらわれる。
「陸軍幼年学校にはいって、元帥を目指したはずの大杉栄が、ここでもっとも徹底した・反軍思想・を叩きこまれることになるのは、皮肉である。(略)すでに彼の自由な精神は、没論理的な強制に反発を感じるようになったいた。そもそも十三、四歳の少年を『幼年』と呼ぶ軍隊の退嬰的な精神からして異常である。反抗期の少年を閉じこめ、『軍人精神の涵養(かんよう)』と『軍人の予備教育』を注入し、純粋培養した結果が、凶暴にしてきわめて唯我独尊的な帝国陸軍を形成した、ともいえる」。
かくして大杉は成長するにつれて、アナキストとしての道を歩みはじめるのであるが、その生涯において最も大きな影響を与えたのが「大逆事件」であった。「大逆事件」での「友人等の死刑後のその首に残った、紫色の広い帯のあとについての印象。(略)その他数え立てればほとんど限りのない、いろいろな深い印象、というより印刻が、死という問題についての僕の哲学を造りあげた」と大杉は記す。
これについて著者は「のちの大杉のキーワードは、『生の拡充』であり、『精神の爆発』であり、『自由への飛躍』だった。獄中にいてなお、屈服を拒否して昂然としていのは、壁のむこうに自由を感じていたのではなく、闘争そのもののなかに、自由を視ていたからだった」と評価する。
以下著者の大杉評価は、当時の労働運動への評価──それは現在の労働運動への評価にもつながる──との関係で、好意と教訓に満ちたものとなる。例をあげよう。
「大杉の文体がいまなお新鮮なのは、革命の『主体』の問いかけが明確なためであり、運動による『精神的諸才能』への信頼が揺るぎないからである。ロシアの革命が、初期の段階において、『精神的諸才能』と深くかかわっている芸術運動の抑圧(芸術家の粛清)に手を染めたのをみれば、大杉の先見性を理解できる」。
「大杉の主張の背景には、人間が人間にする支配への憤懣がある。彼がもとめていたのは、人間の尊厳そのものである。労働者の『疎外』からの解放、そのための労働運動である。労働運動はけっして、賃上げや労働時間の短縮など労働条件の改善だけに閉じ込められるものではない、との強烈なアジテーションである」。
「いまの日本の労働運動は、政治闘争ばかりか、経済闘争さえろくに実施できていない。経営者が唱導する企業間競争にまきこまれ、利潤拡大に協力してそのごく一部を分け前としてもらう運動となり、はてしなく企業への従属を深めてきた。これにたいして、大杉は、『冬の時代』を脱しようとしている新たな労働運動の昂揚期に、労働者が主人公となるための精神的解放と自主自治能力の獲得を最大の課題にしていたのだった」。
このような指摘と評価は、大杉の時代と現代との相違を差し引いたとしても、今なお通用する側面を含んでいるといえよう。
さてこの大杉が、密かに上海に脱出してコミンテルンの「極東社会主義者会議」に出席したこと(1920年)は知られているが、その後1920年に、翌年ベルリンで開かれる「国際無政府主義大会」に出席のため、パリに渡って以降の経過(結局これが大杉の虐殺にいたる序曲となるのであるが)については、本書ではじめて詳細に明らかにされている。
そして最後に大杉(38歳)、妻の伊藤野枝(28歳)、甥の橘宗一(6歳)の三人が、甘粕正彦など陸軍憲兵隊によってなぶり殺された事件について、著者は、三宅雪嶺の非難を引用する。
「法律によらずして職権をもって殺害するなど驚くべき行為とせねばならぬ。何も知らぬ子どもまで絞殺するに至っては何とも云いようがない」。
「甘粕の行為も悪いが他により多く悪いのはないか。その何(ど)の程度まで明白にさらるるかで、文化の如何を推量することができる」。
そして著者は、「が、結局、軍部はなにも明らかにしなかった。それが日本の文化の程度でもあった」と締めくくる。
この事件について著者は、軍法会議での甘粕以下の被告たちの供述を仔細に検討して、「甘粕の犯罪とは、軍部総ぐるみの犯罪を、あとの栄達と引き換えに、身体を張って隠蔽したことにある。軍部にとって、ヤクザの身代わり(替え玉)出頭と同じ処置だった」との結論に達する。そして命令系統に関する証言の矛盾から、さらに突っ込んで、「しかし、彼らは、実行を命令されていなかったばかりか、実行さえしていなかった。『被告』になることだけを命令されていた、実行はほかの者に命令されていた、と考えることもできる」とする。「複数の人間が、寄ってたかって殴る蹴るの暴行を加えて致命傷を与え、最後に首を絞めた。首にロープを巻きつけたあと、古井戸に放りこんだ。この野蛮を部下になすりつけて、陸軍上層部はなに食わぬ顔をしていた。甘粕は『愛国主義者』とおだてられ、うまく利用されたのである。/『甘粕事件』の筋書を誰が描いたか、いまなお不明である。彼に因果をふくめた『上官』たちもまた、それぞれに栄達の道を歩み、挫折した。当然である」という著者の言葉には、軍隊組織の非人間性に対する心の奥底からの怒りがにじみ出ている。
このように本書は、大杉栄を主人公としながらも、その対極に日本の軍隊組織を配置してきわめて鋭い社会批判を行い、そしてその矛先は、現代の日本社会にまで向けられている。大杉栄の評価には、なおその理論の問題、運動組織の問題、運動のモラルの問題等の諸問題が山積しているが、その考察に本書が大きな一助となるであろうことは疑いないようである。(R)
【出典】 アサート No.241 1997年12月20日