【書評】ネットワーク社会をどう読むか
赤木昭夫『インターネット社会』(岩波書店、1996.2.26.発行、1800円)
現代の「情報化社会」を象徴するインターネットの拡大がニュースを賑わしている。本書は、「情報の洪水」の中で「今まさに、インターネット上にかつてない文化と産業の組織が生まれようとしているのだ」(表紙の紹介文より)として、激変する情報環境「実証的に分析」し、対処の仕方を指し示そうとする。
著者の視点は、産業的には一時停滞したとはいえ、情報産業とくにソフトウェア、インフォメーション・サービスで稼ぎまくっているアメリカが打ち出した、圧倒的な国際的優位をさらに高める企て(インフォメーション・スーパーハイウェイの目標のひとつがここにある)に対して、日本がどう対処していくかにある。
すなわち著者によれば、「情報は国際競争力」なのであり、著者の勤務先である慶応の創設者・福沢諭吉のインフォメーションの重要性についての先見の明に代表される姿勢こそが近代日本を守り育ててきたとされる。ここに福沢の脱亜入欧論への言及と評価がないのは問題であるが、現代資本主義諸国の闘争における情報の位置の認識と、アメリカ社会のインターネット拡大による情報化の分析を通じて、本書は日本の独占資本の将来への不安の一部を抉り出していると言えよう。
著者は、アメリカの80年代までの30年間の電子化が、主としてプロセッシング(処理)であったのに対して、90年代以降の電子化がコンピュータと通信のコンヴァージョン(融合)によるインタラクティブ・コミュニケーション(双方向通信)とブローカレッジ(仲介)、インテグレーション(統合)であることから、パラダイムの大転換が起こったことを指摘する。
つまり社会全体にわたってネットワークが大きく貢献できる時代が到来したのである。その代表はCALS(コンピュータによる生産管理システム)やEC(電子商取引)であり、これらによってネットワーク・ビジネスが飛躍的に増大している。そしてアメリカは、産業面でも金融面でもこの方向を積極的に推進しようとしているのである。
かかる背景をもって登場したインターネットは、異機種・異規格のもとでのやりとり(インターオペラビリティ)を可能にすること(インターネッティング)を技術の核心として、軍・産・学とリレーされて発展してきた。従ってインターネットは多様性をこそ最大の特色としている。この特色を活かしたネットワークがWWW(ワールド・ワイド・ウエッブ)であり、これが今や教育・研究・商業のあり方さえも変えつつあるのである。
さてネットワーク化の状況は、著者によれば、組織については自律・分散・協調型の水平型の組織、ダウンサイジング、ヴァーチャルな組織を進行させて、これらの組織は「制約にもとづく信頼とイニシャティブ、その結晶としてのルールとカルチャー」という原理によって、生体システムのようにダイナミックに保たれて活動し(ガーバナンスの原理)、国境を越えて広がっていく。しかしまたそのような「ヴァーチャル組織はうたかたのように現れては消えてゆく」ものであり、「理想的な効率の高い永続的なヴァーチャル組織を求めるのは、どこにもないユートピアを探すのに似ている」とされる。
そしてその中で諸個人は、上のカオス的状況をもつネットワークに接することで分散し流動的となり、人格の同一性(パーソナル・アイデンティティ)を絶えず脱構築(ディコンストラクト)することになる。ネットワークが発達すればするほど人間に対する働きかけが強くなるが故に、このことは将来的に人間に関する大きな不安を含んだ問題となることが懸念される。
以上のように予測することが困難な近未来的問題を多く抱えたネットワーク社会は、同時に現実的な諸問題にも直面せざるをえない。すなわちインフォメーション・スーパーハイウェイ(全米光ファイバー網)設置に際しての電話の加入者線の同軸ケーブル化の規模がとてつもなく金と時間のかかる事業であるということ、さらにはそもそもアメリカ全土で電話の普及率が世帯の94%で止まっているという事実がある(スペイン語系の失業者では15.3%、黒人の失業者では20%の自宅には電話がない)。つまり一方においてインフォメーション・スーパーハイウェイが華々しく宣伝されているのに対して、他方では貧困層とマイノリティを中心に「情報弱者」が確実に出現しているのである。
これがネットワーク加入者になればもっと明確な格差が生じる。これについては著者も「アメリカではじりじりと貧困層に区分される人口がふえるなかで、インターネットの利用者がふえるという形で、情報アクセスにおける格差がひろがり、情報弱者がつくられつつある」と指摘する。情報の分野においても、国際的国内的を問わず資本の論理が貫徹する例をわれわれはここに確認することができる。
このようにネットワーク化された社会の諸問題は、資本主義社会の諸矛盾を新たなかたちでわれわれに突きつけるものであり、インターネットの拡大により、その諸矛盾は地球的規模広がっていると言えるであろう。本書は、専門用語・略語・カタカナが多くて読みづらくかつ不親切で独断的な書物ではあるが、将来的に諸矛盾をわれわれの側で解決していく方向性を見いだすための参考にはなるであろう。(R)
【出典】 アサート No.222 1996年5月26日