【投稿】最終局面迎えた社民党
■もはや「筋弛緩剤」が必要?
社民党は新党結成の展望を見いだせないまま、最後の時を迎えようとしているが、今回の「臨終」は、残念ながら過去の総評解散のような「安楽死」には、到底ならないだろう。
それは、医師が「あなたは癌であり、手術が必要です」と告知しているにもかかわらず、「そんなことはウソだ、オレはまだまだ死なない」と治療を拒否し、末期に至ってしまった患者の姿そのものである。
そして、こうした頑迷な対応に医者も「それなら勝手にすればよい」とサジを投げてしい、家族にも「もうつきあっていられない」と見捨てられつつある。
現在はさすがに死期を悟ったようだが、そうすると急に取り乱して「医療制度が悪い、医者が悪い」と断末魔のあがきを見せている。
こうした姿に皆が愛想を尽かすのも当然で、一般有権者はもとより、支援労組や身内の議員や地方組織の離反が相次いでいる。
これまで「党中央」は、地方組織や議員の造反については、政党助成金を握っているかぎり大丈夫とタカを括っていたのだが、北海道の様にほとんど丸ごと出ていってしまう地方組織や、大阪(近畿)の様に、国会は新党でいくが、地方議員中心に社民党組織は残して助成金の「二重取り」をもくろむ地方が続出するといった事態を前に、ただ狼狽するのみだ。
■無力感漂う三宅坂
すでに「党中央」は制御機能を喪失して久しいし、党官僚の不甲斐なさも、前から指摘されていたことだが、ここにきて一層、脱力感、ニヒリズムが強まる傾向が明らかになっている。
例えば「支持率は史上最低だった・・・決して未来への希望が閉ざされたわけではない・・が、それは遙かな深霧の彼方にある」(月間「社会民主」6月号編集後記)「編集後記の書き手が減った・・・一人は新設のミニ政党に去った」(月間「政策資料」6月号編集後記)と専従職員が億目もなく絶望感を吐露しているのである。
非自民連立政権や村山総理が誕生したときの異様なハシャギぶりとの余りの落差には、思わず笑ってしましそうになるくらいだ。
この様に打ちひしがれているプロパーに追い撃ちをかけようとしているのが、一部新聞でも報道された、小選挙区への立候補強制である。3月の社民党第1回大会で、地方組織から「ウチでは自前の候補者をつくれないので、中央の書記を立候補させろ」と、随分勝手な要請があった。この時は佐藤幹事長も「基本的にはそういうふうにするために何が障害になっているかということをいま詰めておるところでございます」などと曖昧な答弁をしていたのだが、まさに恰好のリストラであり、執行部にとっては渡りに船だった様だ。 当の地方組織は「負ければ三宅坂に帰れば良い」などと都合の良いことをいっているが、負ければ三宅坂自体が無くなってしまうのであって、母艦を失った艦載機の様に海中に没する運命が待っているだけだ。そうなれば冗談ではなく、元社民党職員のホームレスが出現するだろう。
■地方組織も展望なし
こうした難破船から、一刻も早く脱出しようとしているのが、大都市圏を中心とした地方組織であるが、特別な条件のある北海道以外は、決して明確な展望があるわけではない。
この間「近畿新党」が取り沙汰されているが、音頭取りと言われている大阪にしても、現職の社民党衆議院議員が、参加をためらっている状況であり、加えて新党の「顔」が武村、土井という全く新鮮味が欠ける状況である。
現実は社民党で死ぬか、新党で死ぬか、どちらが苦痛が少ないかというレベルの問題であって、唯一の展望は、ローカル政党の流れには逆行するのだが、鳩山新党に合流していくことである。しかしそうなれば今度は、大阪の社民党議員は、そうした新党に最も似つかわしくない、ということになってしまう手詰まりの状況である。(最も、そうした人達が希望どおり自民か新進党に行ってしまえば話はべつだが)
とにかく、こうした閉塞状況は中央と同じくメディアにも反映するものであって、「大阪新報」の6月11日号では府連合の副代表のひとりが、展望は新党にしかないと言いつつ「(大阪新報)は何の役にも立たない記事がほとんどですが、赤旗を読むよりは無害なだけでも有益」と愚痴をこぼしている。
これは最早、政策がどうのこうのと言う以前の問題で、人も組織も落ち目な時は、何をやっても駄目としか言う他ない。
こうした惨状は、言ってみれば自業自得であり何ら同情に値するものではないし、逆に最後にして最大の社会貢献と言っても良いのではなかろうか。
(大阪 O)
【出典】 アサート No.223 1996年6月21日