【投稿】沖縄復帰24周年を考える
<なぜ沖縄に>
1995年9月4日、沖縄駐留の3人の米兵による少女暴行事件が起きた。同年10月21日の「少女暴行事件を糾弾し、地位協定の見直しを要求する県民総決起大会」には思想信条や政党の枠を越え、予想を大幅に上回る9万1千人が参加したと報道されていました。こうした沖縄県民の大きな怒りを背景として、大田沖縄県知事は代理署名を拒否し、米軍用地の強制使用拒否の姿勢を明確に示しました。
125万人県民の1割に近い人々が抗議集会に参加をする現実に、わたしも一度沖縄に行ってみたいと思いました。
そんな時期に思いが共通したのか、自治労から沖縄の平和行進に参加するいうことになり、わたしも初めて沖縄に行くことになりました。
<5.15平和行進>
5.15平和行進は、沖縄平和運動センターの主催する「5.15平和とくらしを守る憲法月間」の行動であり、今年は第19回目となっています。
5月12日に結団式を行い、5月13日から5月15日まで3日間沖縄本島3コース、宮古・八重山コースに別れて平和行進を行い、5月15日の「平和とくらしを守る県民総決起大会」で総結集するものです。平和行進は1コース1日約20km、全部で約60km歩くかなりハードなもので、沖縄の日ざしの強い気候や集団での行進による疲労などなかなか大変なものでした。
平和行進の本土からの今年の参加者は、例年の約2倍の750名ほどになり、関心の強さを示していました。そして、平和行進にはのべ約3千人が参加し、最後の「平和とくらしを守る県民総決起集会」には約5千人が結集し、集会後県庁前までデモ行進して行動を終わりました。
<復帰24年の沖縄>
今回の沖縄訪問で、わたしが最も関心をもったのは、「基地のない平和な沖縄」を目指した沖縄の現在の取り組みが、これからの地方分権の時代の中での地方自治の在り方や自治体職員の役割などを考えるうえで大変参考になり、大きな示唆を含んだものと考えられることでした。
今年の『5・15』は、あの悲惨な沖縄戦が終わって51年、復帰後満24年、基地問題がかってない盛り上がりを見せている中で迎えました。マスコミ各紙は、沖縄に今も在日米軍基地の約75%が集中し、県土の11%を占めており、県民の日常生活を悩ませていることや、今後の沖縄の進む方向をいろいろと報道していました。その中で、注目されるのは「基地のない平和な沖縄」を実現するためのアクションプログラムと、21世紀に向けた沖縄の「国際都市形成整備構想」であります。
それによると、沖縄県では、復帰24年を迎えた今年を「脱基地元年」として、2015年までに在沖米軍基地の全面返還を求めており、そのための「基地返還アクションプログラム」を立案しています。また同時に、沖縄を「アジア・太平洋地域と日本を結ぶ結節点」として活用を目指す「国際都市形成整備構想」も発表しており、国際都市沖縄の基本理念を「平和」「共生」「自立」としています。さらに沖縄県では、今後の国際都市形成を目指し、今年県庁組織を大幅に刷新し、国際都市形成推進室や地域離島振興局を設置しました。また、国際交流や県産品の市場拡大・観光等のためにアジアを中心に韓国・台湾・香港に加えてシンガポールやフィリピン・マレーシアなど多くの県海外事務所を設置しました。そして、大田知事は5.15復帰24周年にあたり「若い人々が将来に希望をもてる社会を目指し、取り組んで行く」とのコメントを発表しました。
この沖縄県の構想には、基地問題や今後の沖縄振興策の在り方をなど、非常に多くの困難が待ち受けている中で、自らの進む道を知事や県職員、多くの様々な立場の県民が知恵を出し合って取り組んでいることが示されています。この力が、政府やアメリカ軍を相手にしながら、「基地のない平和な沖縄」を実現する力になっている事がよくわかります。 進むべき方向を示し、その実現のために様々な立場の、多くの人々が自分自身の問題として知恵を出し合い、取り組んで行くこと、このような取り組みは、地方分権が大きな課題となっている、これからの地方自治体の在り方、住民自治を考えるうえで大いに参考になるものと思われます。
わたしも、地方自治体に働く一人として、職員としてできることや、今後の目指そうとする方向を考える上で、大きな刺激となった沖縄平和行進参加でした。 (大阪 T)
【出典】 アサート No.223 1996年6月21日