【投稿】「雑感~96年滑り込みセーフ!」
日曜日の夜、編集委員の佐野氏から電話があった。12月号の原稿が足りない、是非書いてくれ、とのことだった。新天地での御多忙故か、佐野氏も点検が甘かったそうだ。と、他人事のようなことを言っているが、ここ最近、編集委員としての責任を全く果たせていない後ろめたさと、佐野氏への申し訳なさから本稿を引き受けた。さて、と今年のアサート綴をパラパラとめくっていると、ふと気が付いた。私の無責任、ここに極めり。何と、ちょうど1年前の95年12月号を最後に丸1年原稿執筆していないのだ。確かに、妻の入院、転勤、次女の出産etc、言い訳するには事欠かない状況ではあったが、あまりの滞りぶりに恥じ入るばかりである。佐野氏のお声掛けがなければ、危うく96年のアサートに私の原稿なしという状況になるところでだった。95年以前は再々、アサートへの投稿を紙上で呼びかけていた私だったが、その言葉がそのまま自分に返ってくることとなった。反省しきりである。
さて、’96年も残りわずか。この滑り込み原稿も、1年前と同様に「1996年とASSERT」と、1年を振り返る企画モノにしようとしたが、一筆も入れていない私には、とてもおこがましくてできそうもない。
で、私自身は妻と娘のダブル発熱で残念ながら参加できなかった”総選挙総括の討論会(11月号掲載) の感想めいたことを、最近の状況・心情も含めて一言。
報告を読ませていただいて、まず感じたことは昨年の参院選から見れば、自民党の「復調」、民主党の登場、社民党の解体と、結果や状況は違えども、底流にある根本問題ー討論会の論点でもあるー、すなわち、低投票率や政治不信、対立軸、政策論争云々と言った点については、基本的に何も変わっていないのだなということである。私自身忸怩(じくじ)たる思いで「民主党」と書いたが、投票ギリギリまで、「社民党」と書けるのは、これが最初で最後になるかもしれないと、正直言って悩んだ。討論会でのC氏の意見、「勤労者・給与所得者の利益代表は必要」との考えが、心情的には捨て切れないからだ。期待していた民主リベラルの結集は、中途半端な形となったものの、さらなる結集への思いを込めた投票行動だった。新進党では羽田グループの年内離党が決定的なようである。旧民社グループの動きも含めて、もうひと波乱起きそうであり、また起きてほしいものである。やはり、連合の股裂き状態は、労働者にとって長く放置しておくものではないと思うのである。ただ、討論全体を見ているとこういう悩みは古いのかなと感じてしまうところもある。
というのも、ここ数年すっかり政治活動や労組活動にご無沙汰しており、日常業務や私生活での忙殺にかまけて、逆の意味で思考が硬直化しているのではないか、と思うときがある。政治的に地元も職場も無風状態、労組旗上げの情熱も色褪せてゆく中での、転勤・・・。地方官僚への道、まっしぐらという状況になってはいるが、自らの生き方として地方分権の担い手となり、行政の民主的改革の内なるイニシアティブの発揮が必要と考えるのは「逃げ」なのだろうか。
来年は憲法、地方自治法施行50周年の年である。アサート読者には公務員が多い。「なみはや国体」もあって、いろいろ騒がしいだろうが、地方分権や行財政改革etc議論するにはもってこいの年でもある。労組活動家の方も、そうでない方も、我々はどう考え、どう行動すべきなのか、ともに考えようではありませんか。(入稿がんばります)(江川 明)
【出典】 アサート No.229 1996年12月14日