【投稿】地方分権と政治改革(4)

【投稿】地方分権と政治改革(4)

3. 行政の果たす役割と地方分権(続き)

<福祉政策における「市場原理」導入>
前号で、中央政府による「地方への財政負担の転嫁ないしは個人の自助努力の拡大を意味する」方向への具体化が個々の政策においてはすでにすすめられていると述べたが、この点についてもう少し詳しく述べてみたい。
近年、厚生省は福祉・保健・医療行政のあり方を大きく転換してきた。その特徴は、次の三つにまとめられると私は考えている。
一つは、少子・高齢化の急速な進展の下で、福祉などのサービスの公的拡充が国家運営上必要であると認めたことである。具体的には、21世紀をめざした高齢化対策の国家的戦略としての「高齢者保健福祉推進10か年戦略(ゴールドプラン)」の策定(1989年)が注目される。これは、消費税導入の大義名分作りの側面はあったものの、それまでの家庭機能重視、ボランティア重視の「日本型福祉路線」を修正したもので、一つの転換点を形作った。
二つめは、医療から福祉・保健へのシフトである。日本の場合、これまで高齢者に関わるサービスシステムは、医療分野に限定されていたといっても過言ではなかった。医療にしか介護等の問題を抱えた高齢者の受け皿がなかったのである。その結果、国民医療費という社会的コストは膨大なものとなり、各地の国民健康保険制度などは極めて厳しい財政状況に追い込まれた。そこで政府は、老人保健施設の設置や老人医療保険制度の確立など医療及び医療保険制度制度における効率化や患者の自己負担強化を進める一方で、新たな受け皿として福祉・保健サービスの拡充を図ろうとしているのである。
三つめは、市町村重視への転換である。1990年、老人福祉法など福祉関連8法が改正されたが、同改正によりノーマライゼーション理念に基づく在宅福祉の積極的推進、福祉・保健行政における市町村の役割重視が明確にされた。改正された老人福祉法及び老人保健法に基づき、1993年度には全国の自治体で高齢者保健福祉計画が策定され、1995年度予算ではそれらを基礎にしたゴールドプランの充実改定、すなわち新ゴールドプランの策定が焦点となったことが記憶に新しい。地域保健サービスの分野でも、1994年6月に、行政機関の設置法たる保健所法が地域保健法に改正され、地域保健をトータルにとらえなおした法体系への転換が図られた。同法では、3歳児健診など身近な保健サービスを市町村に委譲するとともに、保健所政令市制度の指定基準の緩和・同保健所の権限強化などが図られている。
しかし、ここで注目すべきは、これらの特徴を持つ政策転換の際に、常に同時に打ち出されてきた「市場原理・自助原則」の導入である。武蔵大学の藤村正之助教授は、「都市問題」1994年11月号(「東京市政調査会」発行)で次のように述べている。

「1970年代後半以降の『福祉国家の危機』論に対応して、先進資本主義国においてとられた福祉国家システム再編にほぼ共通してみられる二つの方向性は、『民活化( privatization)たる市場原理・自助原則の導入と、『分権化(decentralization)』たるサブナショナルレベルへの権限移管であった」(4頁)

例えば、福祉などのサービスを公的に拡充することが国家運営上必要であると認めたゴールドプランが策定された1989年、時を同じくして、厚生省は次の法律を施行している。名称を「民間事業者による老後の保健及び福祉のための総合的施設の整備の促進に関する法律(略称:民間老後施設促進法/WAC<ワック/ウエル・エイジング・コミュニティーの頭文字>法)といい、有料老人ホーム、健康増進施設、総合福祉センター、在宅介護サービスセンターの4つを一括してつくる事業者を税金や融資の面で優遇するという法律である。老後は、自らの負担で民間の有料老人ホームに住み、アスレチッククラブで汗を流し、趣味を楽しんでもらう–厚生省は、ホームヘルパー10万人、特別養護老人ホーム24万床などという目標数値をゴールドプランで打ち上げる一方で、こうした市場原理・自助原則に貫かれた老後の「青写真」も描いていたのである。
また、子育て家庭支援政策の領域での「市場」傾斜は、高齢者施策の領域以上に強いものがある。厚生省は、1994年度予算においてエンゼルプラン・プレリュードと銘打った総合的な児童家庭対策をスタートさせたが、その目玉は民間主導型の保育サービスの育成・強化であった。具体的には、「こども未来財団」という財団法人が1994年7月1日付けで発足し、駅型保育モデル事業(大手出版会社などが経営に乗り出している)等の補助事業を厚生省から受託している。また、児童手当制度の中で積み立てられていた積立金を取り崩した 300億円で「こども未来基金」を設置し、その運用益を使って民間事業へ独自の助成が開始された。エンゼルプラン・プレリュードにおけるその他の新規事業もすべて児童手当を財源(正確には、厚生保険特別会計児童手当勘定から支出)としており、従来特別保育事業として位置づけられ、一般会計予算の財源が充当されていた延長保育や長時間保育サービス事業についても、時間延長型保育サービス事業として再編された。児童手当の財源は事業主たる企業の拠出金であり、今後、財源の性格が政策内容の「市場」傾斜を更に加速させることになるのは間違いない。

<「措置制度」をめぐる対立>
1993年の秋から1994年にかけて、全国の保育に関わる運動団体の最大の課題は、厚生省が打ち出した「措置制度」の見直しを中心とする保育制度改革を阻止することであった。この問題は、単に福祉サービス供給主体の比重を民間にシフトするというこれまでの流れを一歩踏み越える質を有しており、それだけに運動団体側の動きも極めて活発であった。措置制度について田村和之・広島大学教授は、「措置制度改革論と行政責任」という論文の中で次のように指摘している。

「社会福祉サービスの供給にかかわる仕組みを措置制度と称し、これがわが国の社会福祉制度の根幹をなすものであるという理解はほとんど異論をみない。」
(「都市問題」1994年6月号/「東京市政調査会」)

保育制度改革問題における対立は、厚生省が1993年2月に発足させた「保育問題検討会」を直接の舞台に厚生省の意向に沿う主張をする委員と自治労出身の委員など現場に近い委員が激しく対立する形となった。自治労・保育運動団体など運動団体の運動の盛り上がりはもちろん地方自治体の反発も厳しく、その結果、1994年1月19日の出された保育問題検討会報告書は、措置制度について異なった二つの見解が併記される異例の事態となった。すなわち、第一の考え方(運動団体側主張)は、措置制度を基本において評価し、不十分な部分を改善しつつ維持・拡充するというものであり、第二の考え方(厚生省側主張)は、措置の対象者を一定の所得水準以下の者に限り、それ以外の者については保護者と保育所との契約により保育所へ入所する制度を導入するというものであった。結果的に1995年度、1996年度と2年続けて予算編成段階で措置制度改革は見送られ、この問題については一種の棚上げ状態になっている。
さて、この問題における対立の前提となる措置制度という言葉の意味についての理解は、対立する両者の間で随分と異なっていた。保育問題検討会報告で第一の考え方に立つ者は、措置制度に入所決定事務のみならず保育の提供事務を公的に行うこと、そしてこれらの事業の公的な義務づけを読み取り、第二の考え方に立つ者は、措置制度とは保育所(社会福祉施設)への職権による入所と措置費の仕組みであると理解した。だからこそ、前者は保育改革の内容を保育政策を一部の低所得者を除いて市場原理・自助原則に委ねるものと理解して反発を強めたし、後者は利用者自身がサービスの利用決定権を持ち、施設側に多様な保育サービスに応じようとのインセンティブを生じさせるためには、一種の規制たる措置制度を緩和して市場原理を導入しなければならないと主張した訳である。
しかし、利用しやすい入所手続や多様な保育サービスの確立は現行の措置制度を改善すれば可能な課題であり、今回の保育制度改革の理由付けとしては無理があった。田村教授は前述の論文で、次のように指摘している。

「措置制度改革論の認識とその全体的な主張・指摘を総合的に判断すれば、実のところ措置制度改革論は措置制度の個々の仕組みに問題があることを論拠とするというよりも、市町村の事務・責任においてすべての『保育に欠ける』子どもを保育所に入所させて保育し、これに要する費用を市町村が支弁・負担する仕組みそのものが現状適合的でないという考え方を根拠にしているというべきである」(38頁)

この指摘は実に的を得ていて、私が個人的に厚生省の中堅職員と論議した中でも、そのことは明確であった。この点に関する考察は、後に述べる。
さて、措置制度の見直しについては、高齢者政策の分野でも公然と語られ始めている。
具体的には、1994年10月10日付け「国保新聞」(第1390号)は、1994年9月28日に社会保障研究所が開催した第30回基礎講座における厚生省の吉冨宣夫・老人保健福祉局老人福祉計画課長の講演概要を次のように伝えた。

「同課長(吉冨課長)は、これから高齢化が一層進むことや、介護サービスに対するニーズも多様化することなどから、『(今後は)従来の介護サービス提供の考え方を百八十度代える必要がある』『より弾力的にきめの細かい事業展開をすることによって、住民に身近な地域での包括的なケアシステムを構築する必要がある』と指摘。(中略)⑤特養(特別養護老人ホームの意)やデーサービスセンターに入所する場合は市町村が入所措置を決めるという現在の方式を改め、入所の決定権を特養やデーサービスセンターに委ねる--等により、『地域の実情にあった利用者本位のシステム作り』を目指していく方向を明らかにした」

厚生省が高齢者施設への入所措置権限をただちに市町村福祉事務所から施設側へ移そうと検討している様子はないが、1994年9月8日に社会保障審議会が発表した「社会保障将来像委員会第二次報告」においても利用者の選択を尊重する視点から措置制度を見直し、利用者とサービス提供者とが直接契約する方向が提案されている。同報告では、介護サービスの提供方法についても、税金を財源にした行政サービスだけで提供するのではなく、新しい社会保険で費用を調達することが望ましいとしており、保育制度改革問題で焦点化した措置制度の見直しという課題は、日本における社会保障制度のあり方をめぐる大きな論点となりつつあるといえよう。(続く) (大阪 依辺 瞬)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

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